13 伯爵令嬢の恋バナ事情
「で? ……カルヴァンはどうなのよ」
また日は流れ、ノエリアがこの日ならアディンセル邸に顔を出せる、と言ってくれた日がやってきた。茶会からはひと月ほどが過ぎている。
ありったけの衝立が運び込まれたアイリーンの私室に案内されるなり、ノエリアは、何重もの布越しに真っ先にそう聞いた。アイリーンが彼女と会って話すときの、慣れた光景だ。衝立を何枚立てても隙間からこぼれる、七色の光の揺らめき。声しか聞こえなくても、息遣いや気配から、見えない表情を想像する。
顔が見えなくても分かる。麗しの王太子妃はおそらく、とても、にやついている。
「その……あれから二度ほど会えたけれど、とてもご親切で、頼もしくて、紳士的な方ね」
従姉と二人だけの私的な空間では、アイリーンの口調も自然と昔に返る。幼いころから何かと気をかけて親しくしてくれたリアお姉様は、ぷはっとあまり品のない笑い声を立てた。
「まあ、あなたからそう見えてるなら良かったけど。なんだか不思議。あなたから義弟の話を聞くの」
カルヴァンとアイリーンを引き合わせた当人のくせに、そんなことを言う。
「それに、……とっても、かっこいい」
王族の外見をうんぬんするなど、と父には叱られそうだが、従姉にはこのくらい言ってもいいだろう。アイリーンは彼に会って以来、とにかく誰かしらにこれを言いたくてたまらないのだ。時々、母やメアリーに犠牲になってもらっている。
「まあ、確かに顔は悪くないわね」
が、自身が特別な美貌を持つ従姉はどうも感想が薄い。それとも、絶世の美男子だという夫を持ったせいで感覚がマヒしているのかしら。
「それだけじゃなくて! 立ち姿が立派だし、所作に品格があるし、表情や声も落ち着いていて素敵で……」
それから、そうだ。これを言わなくては。
「それで……私には、美しい黒い鎖をまとって見える」
「……は?」
「あの方の周囲五メートルくらいが、半透明の黒い球に覆われているの。近づいてよく見ると、とても細かな鎖が束になって合わさって、複雑な魔法陣を描いている」
ノエリアが、息を飲む気配がした。
「アイリーン、あなたまさか……カルヴァンの《反魔法》が、視えるの?」
「……そうかもしれない。他の人は基本的に光のかたまりに見えるけれど……あの方の見え方は、特別。でも、黒い球の内側に私が入ると、消えてしまう。たぶん、私の《精霊眼》より、あちらの方が強いんだわ」
「……固有魔法だからかしら。他の固有魔法持ちでの検証……あー、いやまず報告……王室と魔塔と……ううん、やっぱり王室に先に話を通すべきか」
ノエリアが、ぶつぶつと考え込み始めてしまう。やはりこれは大事なことだったのだろう。
「その魔法陣って、覚えてる? 今描ける? ――あ、いや、やっぱりだめ、紙に残すのはダメ。落書きでもスケッチとかしないほうがいいわ。っていうか、これもう誰かに話した?」
「ううん。最初にノエリアに相談するべきだと思って」
「ありがと。賢明な判断よ。うーん……そうかぁ」
ノエリアは、しばし黙して考えてから、言葉を続ける。
「この件はいったん私が預かるわ。でも……まだ確実じゃないけど、あなたそのうち、王宮に呼び出されると思う。魔塔にも来てもらうかも」
一瞬絶句したのは、無意識に身構えたからだ。王宮は高位貴族の中枢だし、魔塔は高位魔法士の巣窟だ。アイリーンにとってはどちらも鬼門。
だが、カルヴァンさえ付き添ってくれれば、そうした場にも自分も赴けるだろうか、と考え直す。特に王城には、一度ご挨拶に参じないといけない気がする。王太子妃が仲介したとはいえ、社交界で見たこともない令嬢が第二王子と会っているのは、王室として憂慮される事態だろう。
「元々ね、前から魔塔には来て欲しいなと思ってたのよ。あなたの固有魔法は報告してあるし、ほら、私がときどき仕事を頼んでるでしょ」
「ええ。今月も三件、調査依頼をもらったわね。今レポートを書いてる」
魔塔こと王立魔法研究院は、ノエリアが見習い期間も含めて六年間所属している、魔法研究機関だ。あくまで基礎研究のための施設で、魔法士の育成を行うのは、また別の王立魔法学校である。
アイリーンの固有魔法が覚醒した当初、父母は、娘を領地で静かに暮らさせようとした。宮廷の役職から離れた父は領地運営に専念していたため、元々アディンセル家の生活基盤は領地にあったし、山地が多い辺鄙なアディンセル領は、高位貴族の往来などほとんどない、のどかな土地柄だ。あちらで暮らしていたときの方が、確かにアイリーンは外出の機会も多かった。
だが、ノエリアは、「それじゃだめよ。アイリーンにも、アイリーンの魔法にも、もっと可能性がある。王都に出てこさせて。私がそれを、証明する」と両親を説得した。説得には数年を要したが、アイリーンが年頃になるにつれて、むしろ母の方が「この年頃なら、そろそろデビュタントに向けて、王都で社交の経験を積ませる時期だわ。このまま田舎に大切に閉じ込めて、若い娘らしい楽しみの一つも知らないのは、可哀想じゃないかしら」と言い出し、ノエリアを後押ししたのだ。
やがて父も折れ、アディンセル家は、二年ほど前、この王都郊外の屋敷に本格的に移ってきた。
その頃には、ノエリアは魔塔の基礎原理研究室の主任に至っており、アイリーンを固有魔法持ちとして登録し、自身の仕事の協力者として『業務委託契約』を結ばせた。けっこうな強権である。
あの頃のノエリアといえば、王太子との婚約期間でもあって、お妃教育も本格化していたのではと思うが、どうやってこれだけの活動量を捻出していたのか、謎だ。しかも今でも王太子妃と魔塔研究員の二足の草鞋を貫いているので、忙しいのはさも当然であろう。
以来、アイリーンのもとには時々、古い魔道具や研究中の試作品が持ち込まれた。魔力量の少ない研究者の適性を見てやってくれ、とひとを寄越されたこともある。
そのたびにアイリーンは、自分の眼で見たことに自身の見解を添え、報告書を書いた。そうすると、契約に従って謝礼がもらえる。金額的にはそれほどでもなかったが、自分の力が役に立った充実感があり、嬉しかった。
ただ『見える』だけではこの仕事は難しかっただろうが、ノエリアは、両親を説得する一方で、アイリーンには「あなたの眼を活かすには、魔法の知識もないとだめよ」と言って、自分のお古の魔法基礎理論の教本を大量に送り付けていた。それらをコツコツと自習し、疑問点はノエリアに手紙で質問して……ということを領地で繰り返しているうちに、アイリーンも魔法学の基礎知識が多少ついていたのである。
「固有魔法研から、時々あなたの固有魔法の検証をしたいって申し入れがあったのよね。うちの研究室でも、アイリーンのレポートを読んで会ってみたいって言い出す人がいたし。移動や面会にかかるアイリーンの負担を考えて、私が全部蹴ってたけど」
「そうだったのね」
「でも今なら、カルヴァンごと連れ出せば行けそうだから」
「……殿下にご迷惑をかけてしまうわね」
「むしろこれは私と魔塔からの依頼になるから、そっちから話を通すわ」
従姉は、今も昔も、きっぱりしていて頼もしい。
改めてこの件はノエリアに任せる、とアイリーンが告げると、任せて、と力強い返事があり、続いてかすかな茶器の音がした。
話を始める前に、彼女と自分の前に出してもらっておいた茶のことを思い出して、アイリーンも自身の前のカップを手に取る。
ハーブティーは少し冷めてしまっていたが、熱心に話し込んでいた唇と喉を湿らせるにはむしろちょうどよかった。
「それにしても、黒い鎖、ねぇ」
アイリーンと同じように口を潤したのだろうノエリアが、話題を戻して呟く。
「私には見えないから何とも言えないけど、確かにカルヴァンにはちょっと似合いそうな気がするわ」
「とっても素敵なんだから。あんなに緻密で綺麗な文様は、どんな美術品でも見たことがないわ」
「……アイリーンってそういうところに惚れるタイプだったのね。ちょっと意外」
「惚れ……っ、いえ、その」
「面食い……とも、ちょっと違うか。魔力の形に一目惚れするって、なんて言えばいいのかしらね」
ころころ面白がる笑い声が衝立越しに聞こえて、アイリーンは真っ赤になった。
「……殿下は、お人柄も、すばらしいと、思うわ」
つい、そんな益体もない補足をぼそぼそとしてしまう。ノエリアに更に笑われた。
「そうそう、私はこういう恋バナをしにきたのよ。ちょっと驚愕の報告があって話がそれちゃったけど」
恋バナ……というものなのだろうか、これが。引きこもりのアイリーンには、あまり経験がない。
「それを言うなら、私、ノエリアからもそういう話を聞いたことがないわ。王太子殿下に初めてお会いした時、どうだったの? 新聞でもよく取り上げれらるし、絵姿なんかも出回っていて人気よね。とても端正なお顔立ちで」
はっきり言うと、アイリーンにとっての王太子は、今まで『新聞や雑誌でノエリアの隣に並んでいる人』というぼんやりしたイメージに過ぎなかった。でも最近は、『カルヴァンの兄上』という題目も加わった。
「あー……。まあ、王宮のデビュタントで王妃様の隣に座ってるのを初めて見たときは、ちょっと嫌味なくらい綺麗な顔だとは思った……気がするわね」
名門侯爵家の令嬢だったノエリアは、毎年新年に王宮で開かれるデビュタントでデビューしている。王妃陛下から直接、寿ぎの言葉と花を与えられる、名誉この上ない祭典である。
その場が初対面だったとしても、あまりいい印象の表現には聞こえない。照れ隠しかもしれないが。
「その後は? やっぱりルッカート侯爵家に申し入れがあったのよね?」
こういう話をノエリアとするのは確かに新鮮だな、と思う。ノエリアとは頻繁に手紙のやり取りをしてきたし、忙しい彼女の時間が許すときは、こうして(衝立等が必要とはいえ)会って話もしてきた。が、婚約や結婚にまつわる話をほとんど聞いてこなかった。
それこそ四、五年前には、ノエリアは「私いっそウォルターと結婚しようかしら。そうしたらアイリーンを義妹としてずっと守れるでしょ。ウォルターも小さい頃から私の性格はよく知ってるから、魔塔勤めを続けても文句言わないだろうし」なんて冗談を言っていたものだが、いつしかそんな軽口も聞かなくなった。
華やかな場に出られないアイリーンへの遠慮で話題を避けたのかもしれないし、王太子とはただの政略結婚で恋バナというほどのエピソードがないのかもしれない。
だが、ノエリアの父――ルッカート侯爵は、アイリーンが知る限り、早逝した妻を溺愛し、忘れ形見のノエリアと弟をとても大事にしている人だった。ノエリアが否と言えば、例え王室からの縁談であれ断っただろう。ルッカート侯爵家の隆盛と、侯爵自身の辣腕を考えれば、王家の縁がどうしても必要だったとも思えない。
だからたぶん、ノエリア自身が『良し』とした何かがあったはずだ。
それを聞いてみたかった。今や彼女はアイリーンにとって、すでに王家と縁付いた『先達』なのである。
「そうねぇ。王妃様主催の王宮でのお茶会に招かれたら、そこになぜか王太子殿下もいて……っていう、よくある見合いの席が組まれたわね」
なるほど。普通はそういう感じなのか。
「お父様からは前もって聞かされていたから驚かなかったけど、あのときは、私としてはちょっと不本意でイライラしてて」
「……え?」
「正直、王太子殿下にもさほどいい印象がなくて」
「……だ、大丈夫なの?」
予想外の話の運びにアイリーンは不安になるが、ノエリアはくすりと笑って晴れやかな声で続けた。
「でも結局……そうね。あのときに説得された、ということになるのかしら。そそのかされた、という方が正しいかもしれないけど」
そうして、『先達』の思い出話が始まった。




