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4月(下)

 穏やかな気分だと、ベガはそう感じていた。

 花の香りを運ぶ風に包まれて、視界一杯に宙を舞う花弁を目にしていると、嫌でも穏やかな気持ちになる。

 花見と言う意味では、自分は今まさにそれをしているのだろうと思った。



「すぅ、すぅ……」



 ただ一つだけ難点を挙げるとすれば、膝が重いことだろうか。

 花畑を文字通りに走り回り、また転げ回って――メイド達が卒倒しそうになっていた――疲れたのだろう、ベガの膝ではヴィクトリアが安らかな寝息を立てていた。

 身体が小さいのでエネルギー切れが早いのだろう、やはりまだ子供だった。



 普段が元気を有り余らせているので、静かなのは寝ている時ぐらいだ。

 それでもひとたび目を覚ませば、また駆け回って何かを始めるのだろう。

 この宮殿に限らず、国中が彼女のための遊び場のようなものなのだから。

 そう言えば、嫁いだと言ってもまだほとんど見て歩いたことが無いなと、そんなことも考えた。



「うふふ、ねぇさま……」

「まったく、何の夢を見てるんだか」

「ねぇさま、おふとんたべちゃだめ……」

「本当に何の夢を見ているんだ?」



 膝にスリスリと顔をこすり付けられて、くすぐったそうに身をよじった。

 髪を撫でてやれば、ヴィクトリアは嬉しそうに笑う。

 眠っていても相手のことがわかるのだろうか、子供はそう言ったところで勘が鋭いものだ。



「でも、眠くなる気持ちもわかるな」



 こんなにも温かな陽気で、柔らかな風で、花々に囲まれていて。

 ヴィクトリアでは無いが、お昼寝のひとつもしたくなる気持ちも良くわかる。

 ベガももう少し幼ければ、ヴィクトリアのようにお昼寝をしていたかもしれない。

 いや、今でも遅くは無いのかもしれない。



 ただ、まぁ、やめておこう。

 最近は忘れがちになっているが、自分は人質の妃だ。

 リチャードの1番最初の妻、悪い言い方をすれば妾に過ぎない。

 だから、皇帝と並んでお昼寝などしてはならないのだ。

 もしかしたら、ヴィクトリアはそう望んでくれているのかもしれないが……。



(この子といると、自分の立場を忘れそうになるな)



 つい、良くない感情を抱いてしまいそうになる程に。



「ん……?」



 その時、ふと気になるものを見つけた。

 少し離れた場所にいる2人、リチャードとエドワードである。

 まぁ、実の所をいればずっと一緒にいるのだが、何をそんなに話すことがあるのだろうか。

 おそらくとてもくだらないことを話しているのだろうが、やはり気になる2人だった。



 ただ先程のリチャードの話しぶりを聞くに、どうも真面目に教えてくれる気は無いらしい。

 ベガには余り理解できないが、男同士の秘密と言うものなのだろうか。

 そこは別に構わないが、少し羨ましいと思う自分もいた。

 誰かと秘密の共有なんて、しばらくしていなかったから。



「ねぇさま……」

「はいはい」



 ここまでリチャードの笑い声が聞こえてくる。

 本当に何を話しているのだろう。

 何か真面目な話をしているのか、それとも先程考えたようにくだらないことを話しているのか。

 それはわからないが、ベガはとりあえず、自分の膝を枕に眠る皇帝の髪を撫で続けるのだった。



  ◆  ◆  ◆



「エドワード、どうしてヴィクトリアはこっちに来てくれないのだろうか」

「知りませんよ」



 そしてベガの予想通り、リチャードとエドワードはかなりくだらない話をしていた。

 正しくは、リチャードが一方的にくだらない話をしていた。

 ただ誤解しないでほしいのは、リチャードは死ぬほど真面目だったと言うことだった。

 真面目に、エドワードにとっては至極どうでも良いことを話し続けている。



 しかし彼は、リチャードは本気で悩んでいた。

 最近、妹であるヴィクトリアがあまり構ってくれない。

 それはリチャードにとっては本当に切実な問題であって、ある意味で国政などよりも重要なことだった。

 と言うか、彼にとってはそれが全部だった。



「ベガが来てからと言うもの、ヴィクトリアは彼女にばかり構って……」

「はぁ」



 実のところ、ベガをリチャードの最初の妻に決めたのはエドワードだった。

 シスタニアは他の6国の姫を妃として迎え入れる慣習を持つ国だ、だから妃を受け入れる順番についても決める権利を有している。

 そして妹煩悩なリチャードがそのあたりの手配をするはずも無いので、自然、宰相代理であるエドワードがすることになった。



「まぁ、妹離れするにはちょうど良いのではないですか」

「それはつまり俺に死ねと言っているのか」

「そんなこと言ってねぇだろうが」



 つまるところ、ベガの他にあと5人の妃候補がいたことになる。

 遅かれ早かれ彼女らもシスタニアに嫁いで来ることになるだろうが、今の所、エドワードは次の妃候補を呼ぶつもりは無かった。

 彼はどうして、リチャードの最初の妻にベガを選んだのであろうか。



「僕としては、むしろ良く皇帝陛下が懐いたものだと思いますがね」



 普通、不仲になってもおかしくない状況だ。

 と言うか、夫が自分よりも妹を優先すると言うのは面白い状況では無いだろう。

 変な話だが、あと5年もヴィクトリアが成長していればまた違った展開になっていたかもしれない。

 まぁ、それは何も婚姻関連の話に過ぎないわけだが。



 とにかく、ベガとヴィクトリアの関係は至って良好だった。

 それはシスタニアにとっては良いことで、エドワードとしても助かる話だ。

 問題があるとすれば、リチャードが寂しい思いをしていると言うことぐらいだ。

 ただ、それこそエドワードにとってはどうも良いことだった。



「エドワード、俺はいったいどうすれば良いのだ!?」

「死ねよお前もう」

「ヴィクトリアを残して死ねるわけ無いじゃないか!」



 そんな彼をしても、自分がどうしてリチャードの傍にいるのかわからなくなることがあった。

 と言うか、割としょっちゅうそう言う時はあった。

 それでも彼はリチャードを裏切らず、摂政として国を治めている彼を陰日向に助けてきた。

 自分の優秀さを鼻にかけるつもりは無いが、自分以外には出来なかったろうと思っている。



「うう、ヴィクトリアがいないとせっかくの花々も色褪(あ)せて見える」



 何しろ、こんな妹煩悩(シスコン)を好んで手助けするような人間はいないだろうから。

 いや絶対にいないだろう、おそらく、きっと。



(我ながら趣味が悪いな、とは何と無く思いますけどね)



 それでもなお、エドワードはリチャードの傍にいる。

 それは、かつて彼と出会った時から――当然、リチャードがベガに話していたような内容では無い――変わらないことで、そしてこれからも変わらないだろうことだった。

 およそ何かを確信することの少ないエドワードにとって、それは数少ない「確信」の1つなのだった。



  ◆  ◆  ◆



 帝都ヴィクトリアは先進都市であるが、それでも治安の悪い地域と言うものは存在する。

 郊外に程近い路地裏等がそれで、いわゆるストリートと呼ばれる空間が形成されていた。

 そこでは力か、さもなくば頭が無ければ生きていくことは出来ない。

 エドワードが生まれ育ったのは、そんな場所だった。



 そしてエドワードには頭も力もあって、彼は幼い頃から誰に頼るでもなくひとりで生きて来た。

 ストリートに住む者の中にはグループを作り、集団で生きていく者もいたが、それはともすれば軍や治安組織に目をつけられる可能性を孕んでいた。

 だから、エドワードは誰ともつるまずにひとりで生きていったのだ。



「お前がエドワードか」



 しかしそうは言っても、それは身の安全を保障することと同義では無い。

 逆にストリートをひとりで生き抜くエドワードの噂を聞きつけて、妙な輩を引き寄せる結果になることもあった。

 ただ流石のエドワードも、まさか帝国の皇太子がやってくるとは考えていなかった。



「良し、決めたぞ」



 そしてあまつさえ、その帝国の皇太子は当たり前のような顔をして自分を指差して言った。



「お前は今日から俺の部下だ」



 正直、こいつは頭がおかしいと思った。

 何が哀しくてストリートまでやって来て人を引き抜こうとしているのか、帝国の皇太子となれば優秀な人材など他にも多くいるだろうに。

 まして彼は1人でやって来ていた、ストリートでそれは「身ぐるみはいでくれ」と言っているに等しい。



 ただ彼の足元、と言うか彼が通って来た道すがらにストリートの仲間――まぁ、仲間と言える程に交流があったわけでは無いが――がばたばたと倒れていて、どうやら身ぐるみを剥ごうとして失敗したらしい。

 相当に強いのだろう、これは逆らうと酷い目に合うかもしれない。

 一瞬の判断で、エドワードはそう思った。



(思えば、それが間違いだった)



 今にすれば、そう思う。

 あの当時はエドワードも相手が帝国の皇太子、リチャードだったから、下手なことをすれば何がどうなるかわからないと警戒したのだ。

 しかし今にして思えば、いっそのこと逃げ出した方が良かったかもしれないと思う。



 少なくとも、その後の苦労は無かっただろうから。

 いや、苦労の方は別にどうでも良かったかもしれない、ストリートで生きるのもそれはそれで苦労の連続だったからだ。

 ただ、リチャードについて行った場合は……。



  ◆  ◆  ◆



 花見が終われば、エドワードの日常がすぐに帰ってくる。

 要するに書類地獄であって、終わるあての無い仕事を延々と続けなくてはならない。

 ただ彼にとって、それは別に苦痛では無かった。

 むしろ、我慢できないことがあるとすれば。



「いつになったらヴィクトリアが差し入れに来てくれるのだろうか」

「知ってますか? 差し入れってのはきちんと働いている人間に渡すものなんですよ」

「ならどうしてヴィクトリアは俺に差し入れをしてくれないんだ?」

「無駄に純粋な目をしやがって……!」



 当のリチャードが、まるで仕事をしないことだろうか。

 いや仕事はするが、基本的に皇帝、つまりヴィクトリアが関係することであって、その他の雑事は全てエドワードに回ってくるのである。

 ついでに言えば、他の役人や部下も専らエドワードの方に仕事を回して来る。



 エドワードにとって誤算だったのは、リチャードは妹以外のことに本気を出さない性格だと言うことだった。

 それ以外のことは極めて適当だった。

 ヴィクトリアを呼んで見ていて貰えばやる気にもなるのだろうかと思ったが、あのヴィクトリアがそんなことのためにじっとしているわけが無かった。



「僕、たまに人生を見つめ直す時があるんですよね」

「そうか、大変だな。悩み事があるなら言ってくれ、出来ることをしよう」

「ならまずは目の前の書類を片付けてください」

「それはヴィクトリアよりも重要なことなのか?」



 たまに本気の殺意を抱くことがあるが、しかしエドワードはリチャードの下を離れようとは思わない。

 今のような生活が出来るようになった恩は一応感じているし、そして何よりも重要なことは、自分以外にこの妹煩悩(シスコン)の面倒を見られないだろうと言うことだ。

 何だかんだ、お人よしなのかもしれない。



「どうぞ」

「ああ、ありがとう」



 仕事は大変だ、しかも責任は重い。

 主人は当てに出来ないし、庶民の出であるエドワードに後ろ盾はいない。

 ただ、充実してはいた。

 リチャードの妹煩悩は正直困りものだが、それも慣れてしまえばどうと言うことも無い。



 エドワードは今、自分が必要とされている事実を実感していた。

 苦労も多いが、それは彼が生まれ育った場所には無かったものだ。

 こうして、たまにメイドが出してくれるお茶も捨て難い。

 だから彼は、今日もこうしてリチャードの傍にいるのだった。



「た、大変です! 皇帝陛下がお妃様とかくれんぼがしたいと言って、宮殿から人払いをするようにと!」



 ただ、たまに後悔することもある。

 それが、エドワードの日常だった。


最後までお読み頂き有難うございます。


宮殿に何百人の人間がいると思っているのか。

と言うか、2人きりで宮殿でかくれんぼって、どんなでしょうね。


というわけで、4月も終わりです。

皆様もお花見はされたでしょうか?

それでは、また次回。

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