4月(上)
4月、ブロッサム宮の大庭園には様々な花が咲き誇っていた。
レースのように広がるゼラニウム、鮮やかな赤色を見せるカーネーション、ずんぐりとした花弁に芳しい香りを立たせる木蓮、はっとする程に明るいオレンジのマリーゴールド、地面を覆う菜の花、
いずれも春に満開となる花、中でも特別なのは木に咲く花だろう。
淡い、本当に淡い桃色の花。
木の枝にぽつぽつと蕾をつけ、満開となるころには樹木全体を覆う華やかな花だ。
しかしその花の見ごろは八分咲き、つまり満開の直前であると言われる。
それはもしかしたなら、人が完成した美よりもなお美しいものを見出そうとした結果なのかもしれない。
「ああ、ヴィクトリアは今日も可愛いなぁ!」
だがそんな花々も、見ようとする者がいなければ何の意味も無い。
例えば、降り注ぐ花弁を追いかけて戯れる妹の姿に癒されている実兄であるとか。
(こいつ、最近隠さなくなって来たよな)
そしてそんなことを思いつつ夫を見やるベガもまた、花を見ない者の1人だったりする。
庭園の芝生に敷かれたカーペットの上、ふわりと広がる豊かなスカートの中で足を崩す。
地面に座ると言うのはベガにとっては懐かしく、シスタニアでは珍しい。
それは、春の離宮ブロッサム宮の「建物部分よりも庭が広い」と言う特色にも現れている。
シスタニアに限らず多くの人々は家を主とし、庭を従として考える傾向にある。
ただしこの離宮に関してだけは、他の離宮と比べると居住環境は最低限のものになっている。
まぁ、それでも一般庶民からすれば贅を尽くしたものに見えるのだが……。
とにかく離宮としては小さく、代わりに敷地の過半を庭園が占めている。
それは、皇帝を含めた皇族がお花見を行えるようにするためだった。
「ま、平和なのは良いことだからな」
メイド達の用意したお茶菓子を摘みつつ、きゃいきゃいとはしゃぎ回っているヴィクトリアの様子を見守る。
それはもはやベガにとっても一種のライフワークになっていて、当たり前ではあるが、ベガがヴィクトリアの姿を見かけない日は1日としてなかった。
「ブロッサム宮の庭園は今年も満開ですね」
そして珍しいことに、この花見の席にはエドワードもいた。
リチャードと違い――この部分は割と重要だ――常に急がしている彼も、たまには花を見て癒されたいと思うのだろうか。
傍らにいつものメイドがいて、何やらお茶を注がれたりしている。
「何だエドワード、宰相の仕事はどうしたんだ?」
「貴方こそ摂政の仕事はどうしたんですかねぇ」
(そういえば、前々から不思議だったんだけど)
実のところリチャードより王様らしい仕事をしているだろうエドワード。
正直、彼がいなくなると国が回らなくなるんじゃないかと思える程に有能な男だ。
しかし前々から、ベガは不思議に思っていた。
――――この人、どうしてリチャードなんかに従っているんだろう?
◆ ◆ ◆
エドワードと言うのは、酷く優秀な男である。
ベガが知る限り彼よりも有能な男と言うのを見たことが無いし、ともすれば知らないことなど何も無いのでは無いかと思える程に完全無欠な男だった。
少なくとも、ベガの目からはそう見える。
それと、モテる。
容姿端麗で人臣を極めているとなれば、それはもうモテる。
同じような立場の上に皇族であるリチャードなどは外面できゃーきゃー言われることはあっても、実はモテると言う意味では余り女性に人気は無かった。
その点、エドワードはかなりモテる方だ。
(メイドさん達の話題に出てくるのも、大体はエドワードだしなぁ)
ただ噂によると――お妃様でも噂話くらいは聞く――何人もの女性から交際を申し込まれているらしいが、全て断っているらしい。
ミーハーな娘が多いリチャードと違い、エドワードは静かに、そして本気で想いを寄せられることが多いのだとか。
その割に女性関係で問題を起こしたことは無いので、ただの噂なのか断られても憎めない程に好かれているのか。
閑話休題。
とにかく、何でリチャードに従っているのか良くわからない。
むしろリチャードを蹴落として自分が1番になろうとしてもおかしく無いくらい有能で、それでいて夫との関係性が見えてこない男だった。
そう言う意味では、新鮮な興味の対象であるとも言える。
「俺とエドワードの関係?」
妹が花弁を集めては投げると言う謎の遊びに興じている中、リチャードに聞いてみた。
すると彼は妹から目を離すことはしなかったが、それでもベガのことを無視すること無く返事を返してきた。
これが進歩なのか後退なのかは、ちょっと判別しにくかった。
「そうだな、アイツとは随分と長い付き合いだ」
「そうなのか?」
「何年になるかな、俺がまだ摂政では無く皇太子と呼ばれていた時代からの付き合いだ」
改めて思うと感慨深いものでもあったのか、やや遠くを見るような目をするリチャード。
まぁ、見つめる先には地面を転がって花弁を巻き上げている妹がいるわけだが。
余りの事態に周囲のメイドが卒倒しそうだが、幼い皇帝はまるで気にしていない様子だった。
あれが天使にでも見えているのだろう、ベガはもはや生温かい眼差しを隠そうともしなかった。
こうなると、エドワードとの関係とやらも余り大したことは無いのかもしれない。
「そうだな、アイツと出会ったのは……戦場だったか」
かと思えば、意外とシリアスなものなのかもしれない。
これはもしかしたらもしかするのかと、聊か不謹慎な気持ちを抱きながらも、ベガは聞きの体勢に入った。
「……?」
そんな2人を、ヴィクトリアが地面に寝そべったまま不思議そうな顔で見つめているのだった。
◆ ◆ ◆
そこがどこだったのか、もはや覚えてはいない。
ただ、危機的状況であったことは覚えている。
草一つ生えない不毛の大地に彼らはいて、剣ひとつでその身を支える彼ら。
まだ年若い2人の少年は、互いの背中を向けて立っていた。
「……囲まれたな」
片方の少年が、ぽつりとそんなことを言った。
2人が着ている制服と剣は基本のデザインが一緒であり、肩章のついたその衣装は軍服だった。
つまり彼らは年若いながらも軍人であり、身体の所々が血と泥に塗れている所を見ると、どうやら今まさに戦場にいるのだろう。
そして周囲に彼らと同じような人間の姿は無く、2人だけのようだ。
さらに今の言葉から察すると、逆に敵に囲まれているのだろう。
疲れ切っているのか、もう1人の少年は地面に膝をついている。
ダメ押しとばかりに雨まで降り始めて、瞬く間に少年達の身体を冷やしていく。
「ここまで、ですか」
「いや、そんなことは無い」
立っている方の少年が、力強くそう言った。
膝をついている方の少年が、そのままの姿勢で後ろを振り仰いだ。
視界に入るのは、逆境に膝を屈することなく立ち続ける力強い背中だ。
困難を前にしても恐れることなく前に進むことが出来る、そう感じる背中だった。
「何がそんなことは無いんですか。貴方が皇太子でも死ぬ時は死ぬでしょうに」
「ああ、確かにそうだな。だが、それはここでは無い」
その声に、悲観は見えない。
どこからそんな自信が湧いてくるのか、一方の少年にはわからない様子だった。
気のせいでなければ、どこか呆れているようにも見える。
「俺はこんなところで死ぬわけにはいかない、俺には守らなければならないものがある」
守りたいもののために、死を拒否する。
戦場においてはまるで意味の無いその感情と言葉は、しかし不思議な説得力があった。
この少年、心の底から自分は死なないと思っているらしい。
いや、少し違う。
より正確に言うのであれば、死に場所はここでは無いと確信している、と言ったところか。
この少年がいつどこを自分の死に場所と定めているのか、少し興味が湧いた。
何しろ、彼もまた……。
「さぁ立て、お前もこんなところで死ぬつもりは無いだろう」
「……まぁ、そうですけどね」
何しろ彼もまた、自分の死に場所はここでは無いという確信に似た気持ちを抱いていたのだから。
予感にも似たその気持ちは、不思議と当たるような気がした。
「剣を構えろ、敵中を一気に走り抜けるぞ」
「やれやれ、なかなか無茶を言う」
思えばそれが、最初の無茶。
その後何年も続くことになる、主君リチャードの最初の無茶だった。
その時のことを、エドワードは今でも覚えている――――。
◆ ◆ ◆
「うむ、確かそんな感じだった」
絶対に嘘だろ。
言いたかった言葉を口にしなかったのは、自分の立場を考慮したためか、それともリチャードのしたり顔が予想以上にウザかったからか。
エドワードとの出会いについて語ってくれたらしいが、ベガはそれを信じた様子では無かった。
大体にして、アイディアルにシスタニアの皇太子が危機に陥るような戦場など無い。
シスタニア一強のこの地域で、帝国の正規軍とまともに戦闘が出来る国も組織も存在しないのだ。
その点だけ考慮しても、今のリチャードの話には相当に無理があることがわかる。
と言うか、ぶっちゃけ嘘である。
「嘘じゃない、本当だとも」
「はいはい。つまり教えてくれる気は無いってことだろ」
「本当のことなのだがな……」
「はいはい」
ただ、それも繰り返されるとどうでも良くなってくる。
元々そんなに興味があったわけでは無く、何となく気になっただけなのだ。
夫の言葉に適当に返しつつ、お茶のカップに唇を当てた。
ただ、どうなのだろう。
傍から見ていて、今の2人はどのように見えるのだろうか。
それは、周囲のメイド達の微笑ましげな眼差しを見ればおのずとわかること。
年の差や立場の違い――そして何よりリチャードの妹煩悩のせいで――婚姻当初、2人のいわゆる「夫婦仲」は余り良好とは言えないものだった。
「まぁ、今でもはたして「夫婦仲」が良いと言うべきなのかは疑問符がつきますがね」
「そうでしょうか、とても仲睦まじいご様子ではありませんか」
「それはまぁ、あれはあれで一つの形なのかもしれないけどね……」
そんなことをメイドと話しているのは、当のエドワードだった。
今でこそお茶などしているが、本来は死ぬほど忙しい身である。
そんな彼がどうしてこの場にいるのかと言えば、それはリチャードとベガの様子を見に来たためだ。
宰相である彼が摂政夫妻の様子を見に来るということは、多分に「そういうこと」を含んでいる。
「そろそろ世継ぎを、とも思いますが。皇帝陛下の年齢を考慮すると複雑なところですね」
皇位継承は、シスタニアが帝政国家である以上、どうしても考慮しなければならないことだ。
そして皇帝が幼年であり、また婚姻相手の選定が非常に――非常に難しい以上、そのあたりのことは摂政、つまりは本来皇帝になるべきだったリチャードに期待しなければならない。
周辺の小国の姫を何のために妻に迎えるのかと言えば、極論すればそのためでしか無い。
そしてベガが嫁いで来てすでに4ヶ月近く、未だその兆候は無い。
と言うか、未だあの2人は同じ寝室で過ごしたことが無い。
しかもその理由が不仲とかならともかくとして、真面目に考えるのも馬鹿らしくなるくらいに下らない理由だったりするものだから、ここまで少し真面目に考えていたエドワードは実は自分が馬鹿なんじゃないかと思い始めていた。
「……あ、いや馬鹿はあのシスコン摂政の方か」
いや違う、馬鹿は自分では無くあの年齢になって妹と一緒に就寝している馬鹿の方だ。
頭で思い、実際に口にする。
傍らのメイドは慎ましやかに宰相の摂政非難を聞き流した、彼女は宮殿仕えの優秀なメイドである。
そして自分が何も悪くないことを確認したエドワードは、うんとひとつ頷き、笑顔を浮かべてお茶を飲むのだった。
最後までお読み頂き有難うございます、竜華零です。
妹と一緒に季節を楽しむこと、それが生きる活力になるんだ!(え)
というわけで、今年も春がやってきましたね。
花粉症は辛い(お)
それでは、また次回。




