49 失格
彼の背中がどんどん遠ざかる。
追い掛ければ今なら間に合った。
でも、足を動かす事が出来なかった。
迂闊な事は出来ない。これ以上・・・・・・
『それじゃあ』と言って俯いた時の彼の顔を思い出したら、引き止めてまで掛ける言葉が浮かばなかった。
これ以上、俺に何が出来る?
彼に適当な言葉を掛けるのは、ただ俺自身を納得させようとしているだけに過ぎない。
俺は彼を見捨てない。
その思いは嘘ではないけれど、本当にするのにはまだ遠くて、
所長なら、それが出来るだろうと思うけれど、たった今の俺自身にその力は無くて、悔しいけれどどうしようもない。
やがて彼の姿は見えなくなってしまった。
俺は溜め息を一つ吐くと、下がった両肩を引き上げた。
そして彼とは反対方向へ歩き出す。
所長の言っていた、相手の言葉に耳を傾ける事が大事だという事がようやく分かった。
自分の思いや考えをぶつけても、何の解決にもならない。
本当に彼の出さなければならない答えは、もうすでに彼の中にあるのだろう。
悩むというのは、迷う二つの答えがすでにあるからだ。
他人が決める事ではない。
それでも何とか助けたいと思って、言葉を掛けるのは悪い事ではないのだろうが、却って相手を悩ませる原因になってしまう事を、俺は今の今まで分かっていなかった。
彼と親しい人ならそれでいいのかもしれない。
ただ、俺は彼の友人と言うより、ただの通りすがり、お節介な相談員、いや、それを気取って居るだけに過ぎない邪魔者かもしれない。
後悔と反省を胸の中で捏ね回しながら歩いた俺が辿り着いた先は、やっぱりここしかなかった。
寂びれたビルの狭いエレベーターに乗り、着いた自殺相談所。
少し考えて、俺はいつもの事務所の扉からではなく、相談所の表の入口を潜った。
相談所の受付にはいつものとおりウサギがいた。
表の入口を潜り抜けた俺を見るなり、ウサギが声は出さずに、相談ブースへ向かう俺の行く手を阻んだ。
俺はひらりとウサギをかわし、所長のブースへ急いだ。
焦っていた。このままではいけないと、さっきの俺の行動は正解ではない気がして。
彼を救えそうだと思いたい自己満足の為なんかではなく、取り返しのつかない事が起きてしまうかもしれないという恐怖から逃れたい為だと分かっている。
ただその恐怖から逃れる事は、自分の為というだけではなく、彼の人生の為でもある。
まだ終わらせて欲しくない。
あの時、追い掛ければ良かったという後悔が、心の中に真っ黒な雨雲のようにじめじめと広がって止められない。
助けて、所長。俺に正解を教えて。
ずんずん歩いた先には、椅子に座った背中────それは所長のものではなく、振り返ったのは初めて見るマスクを着けた中年男性・・・相談者だった。
「あ、す・・・すみません!」所長が相談中だとは考えもしなかった。恥ずかしい。
おどおどした様子で振り返った男性に俺は頭を下げた。そして、カウンターの向こうの所長からの真っ直ぐな視線から逃げ出した。
情けない。結局自分が何をしたいのか定まっていない。その答えを焦って、所長に頼る事ばかり考えて、こんな失態・・・
俺は相談員失格だ。
初めから、タケノウチさんと話す資格なんか無かったんだ。
入って来た相談所の入口から出ると、ウサギが追い掛けて来た。
エレベーターに乗ろうとすると、ウサギが俺の背中をバンと叩いた。
「何だよ。悪かったよ・・・」
ウサギの顔をまともに見れず、俯いたまま言うと、調子に乗ったのかウサギは俺の背中を両手で交互にバンバンと叩き出した。
「ちょっと、やめろよ!」
それは結構強い力で、容赦なかった。
俺の足が前にジリジリと進んだ。
「待って、分かったから、待って!」
気が付くと、俺はウサギに押されて、いつも出入りしている事務所の扉の前にいた。




