48 失言
俺はタケノウチくんの顔を見た。彼もそれに気付いた時、俺は黙って頷いた。
彼は再び口を開いた。
「辛いから行かないのって逃げてるだけで何も進まないってのは分かってるいるんだけど、どうしても足が動かなくて。」
そういう時は誰にでもある。俺は歩道橋の手摺りをぼんやり見ながら首を縦に二度動かした。
その後、彼は黙った。俺がもう一度彼を見ると、
『どうしたらいいんだろう』と訊きたそうな顔に見えた。
迂闊な事は言えないと思いつつも俺は、
「行かなくていいと思う。行きたくなったら行けばいい。」
無責任とも取られそうな言葉を吐いてしまった。
すぐに後悔をしながら
「頑張って行ったから、治るという訳じゃないから。」などと、また考えとは別の、後悔を重ねる事になる言葉を出してしまった。
だけどそれは俺の本心で、彼に伝えたいと思った事は確かだった。
彼は少し考えて、
「そうだよね。行ったから治る訳じゃないよね。行かなくてもいいよね?」と俺を試すように訊いた。
迷いつつも俺は吐き出した。
「治す為と通って、苦しかったら結局続かない。その治療が有効だとしても、受けられないのでは意味がない。違う方法を考えるべきだと思う。そもそも本当に病気なのかと疑いたくなる。」
それは、かつての自分に対して思った事だった。
「そうか、そうだよね。じゃあ、今日はカウンセリング行かなくてもいいと思う?」
俺の心の中では、それは駄目だと叫ぶ自分と、行きたくないなら行かなくてもいいよと言いたい自分が闘っていた。
本来、通わなければならないとされるカウンセリング治療を、俺が否定してしまう権利はない。
しかし、俺が否定したからと言って、彼が治療に行かない理由にはならない。
彼に選択決定権がある事だ。俺が何を言っても責任を負う事は無い。
けれど、迂闊な事は言うべきではない。それは"自殺相談所"で学んだ事だった。相手に意見するのではなく、相手の気持ちを聞き、相手自らの本心に従わせるお手伝いをする。
今、俺のしている事は逆だった。
彼の意見に意見し、本来行くべき所へ行かなくてもいいと言ってしまった。
────彼の人生に対して何の責任も取れないくせに。それに、彼が嫌だと思うカウンセリング治療が本当に必要ないかなんて、俺には分からないのに。
「今日は休んでいいと思う。行きたくなった時に行くのが一番いい。」
「じゃあ、ずーっと行きたくなかったら?」
「行きたくなる日に行けばいいと思う。」
「行きたくなる日か・・・それまで行かなくていいと思う?」
「うん。いいと思う。」返事をしながら、俺は内心ヒヤヒヤしていた。
誰かにアドバイスするというのは、本当は怖い事なのだと知った。
自分の言った事で相手の人生や生き方を変えてしまう。
その後で、相手に後悔させてしまっては申し訳なくなる。
まして、自殺したいと考えている相手と話すのは慎重にならなくてはいけない。
心底後悔した。時間を巻き戻せるなら、彼と話す前に戻りたいと。
彼に話をするのは俺ではなく、経験豊富な所長の方が適していたと思えた。
しかしもう遅い。
俺の言った言葉は正しくなかったし、やり方も間違えてしまった。
ただ心配なのは、これからの彼の時間。
明日彼がどうするかなんて、今の俺には想像つかない。
失敗してしまった。
取返しが付かなかったらどうしよう。
俺は、専門知識のあるカウンセラーでも相談員でも無かったのに。
彼に対して無責任な発言は控えるべきだったのに。
「ありがとう。ナガイさん。ナガイさんと話してスッとした。」
彼にそう言われた俺の心はスッとしていなかった。
彼を信用出来ない訳では無い。ただ、その言葉をそのまま信じてはいけない気がするだけ。
「あのさ、タケノウチくん、また話そうよ。」
「うん、そうだね、また。それじゃあ・・・」彼は俯いた。その顔からは笑みが消えていた。
そのまま彼は背を向け、歩道橋の上を駅向こうへと歩き出した。
俺の中に不安が広がる。
失敗した。彼に対して俺が言った事は間違いだった。
言葉は時に毒になる。相手の命を奪ってしまう程の力を持っている。
しかし薬にもなる。
だから、人を救う事も殺す事も出来る。
言葉は人の心の中で生き続ける。
使い方を誤れば、後悔するだけのものになる。




