089話 私だけの共犯者
うるさいくらいの静けさが、玄関ホールを支配する。
墓標のように突き立っている戦斧を、誰もが黙って見ていた。
沈黙が続く中、フェルディナントが沈痛な面持ちで口を開く。
「勝ち逃げ、された気分だな……」
《喜ばせ屋》は余分な情報を語らず、最後まで自身の仕事を的確にこなして生を終えた。
この場に、喜びや安堵の表情を浮かべている者は一人もいない。
フェルディナントの言葉に同意しているということを、全員の顔が物語っていた。
ノルンは一人、仲間に背を向けて歩き出す。
そして、外に通じる玄関ホールの扉の前に立つと、ゆっくりと開け放つ。
薄暗かった屋敷に太陽の光が差し込み、屋内に漂う塵が雪のように輝き出す。
屋敷内の閉塞感を追い出すように、外の空気が屋敷中を駆け巡り、全員の髪と衣類を揺らす。
ノルンは眩しそうに目を細めた。
玄関付近で待機していたヴィクトルとネリネが、ノルンに近づいてくる。
「……終わったか?」
「……ええ」
ヴィクトルの問いかけに、短く返すノルン。
ヴィクトルは目を閉じながら、小さく微笑みかける。
「よくやった」
ヴィクトルの言葉を聞いて、ノルンは力が抜けたように微笑む。
多くを語らない二人。
ただ、一陣の風が二人を包み込んでくれる。
やがて、屋敷の中から他の仲間たちが出てくる。
フェルディナントを先頭に、その斜め後ろをフェリシエルが歩いている。
スペルグは背中にヴェルザーク侯を背負っている。
そして最後に、ルクレツィアがゆっくりとした足取りで姿を現した。
全員が太陽の光を浴びて終わりの余韻に浸っていると、足元から僅かな地面の揺れを感じる。
不思議に思っていると、やがて地鳴りのような音が聞こえてくる。
遠くに目を向けると、王国軍が屋敷に駆けつけてくる様子が目に映った。
一団から抜け出すように、数人の兵士が馬を走らせて駆け寄ってくる。
フェルディナントは前に出て、余裕のある表情で彼らを出迎える。
「両殿下、ご無事ですか!」
「委細問題ない。ヴェルザーク侯の移送と、屋敷内にある首を二つ、回収してくれ」
「承知しました!」
フェルディナントの言葉を受けた兵士が、後続の兵士たちに命令をする。
何人もの兵士たちが屋敷内に入っていく。
スペルグは兵士たちに取り囲まれるが、大人しくヴェルザーク侯の身柄を引き渡す。
スペルグは悲しみとも諦めともつかない表情で、父の背中を見送っていた。
戦後の後始末を兵士たちに任せていると、一人の男が馬を走らせてフェルディナントに近寄ってくる。
ほかの兵士と違って戦闘用の格好をしていないため、彼は兵士たちによって止められる。
何らかのやり取りがあった後、一人の兵士がフェルディナントに駆け寄ってくる。
「聖教国駐在の外交官より、急ぎの報告があるとのことです」
それを聞いたフェルディナントは、眉をぴくりと跳ね上げる。
フェルディナントとフェリシエルは、急いで外交官からの伝令役のもとに歩み寄る。
二人の姿を確認した伝令は、疲労の溜まった体に鞭打って片膝をつく。
「王太子殿下にご報告があります!」
「話せ」
「エルメルダ・ヴェルザークが、グランルミナ聖教国の『巡礼天使』に任命されました!」
その報告を聞き、フェルディナントとフェリシエルの表情は驚愕に染まる。
ヴィクトルは眉間に皺を寄せ、ネリネは彼の服をぎゅっと掴みながら顔を青くして震えている。
『巡礼天使』が意味するところを知らないノルンは、ヴィクトルに小声で話しかける。
「……すみません、『巡礼天使』とは何ですか?」
「……聖教国は、森羅万象を神の所有物だと考えている。『巡礼天使』は土地を管理し、教えを広める神の代行者だ。そして、巡礼という名がつく通り、自由に移動して管理と布教を行うことが許されている」
ヴィクトルの話を聞いて、ノルンは冷や汗を流す。
スペルグのほうを盗み見ると、彼は心ここに在らずといった様子で顔を白くしている。
彼はしきりに左手をさすっていた。
嫌な予感がしたノルンは、ヴィクトルに問いかける。
「もしかして、『巡礼天使』の管理する土地は、聖教国の管理する土地でもある、ということでしょうか?」
「ノルンさん、正解です。《喜ばせ屋》は反乱に乗じて、王国と聖教国の領土問題を作り出したということになります」
ヴィクトルへの質問だったが、横で難しい顔をしていたフェリシエルが答える。
ノルンの嫌な予感は的中する。
エルメルダという救うべき存在が、争いの種へと変化してしまう。
「おそらく、ヴェルザーク領を聖教国の管理下に置くつもりなのでしょう。神の教えの前には、人の作り出した法など無効。聖教国との外交は骨が折れます」
フェリシエルは疲れた表情でため息をつく。
ノルンたちの戦闘は終わったばかりだが、フェリシエルにとってはこれからが本番のようだった。
「ヴェルザーク侯への処遇はほぼ決まっていますが、スペルグさんに関しては保留です。本来は一族連座による処刑となりますが、これまでの振る舞いとこれからの影響を考えての処遇になるでしょう」
「……国王陛下の御心のままに」
スペルグは片膝をついてフェリシエルの言葉を聞く。
すでに覚悟は決まっているようで、どのような処罰も受ける心構えだった。
それを目にしたフェリシエルは、苦笑いしながら口を開く。
「悪いようにはしませんよ。むしろ、あなたが生きていてくれて良かったです」
* * *
フェルディナントとフェリシエルは王国軍と一緒に帰路につく。
スペルグは形式上、王国軍に捕らえられて移送されている。
ノルンたちも彼らと同行して帰路につくことにした。
「お馬さんも一緒に帰れてよかったです」
ネリネは行きの旅の仲間だった老馬の背中を優しく撫でながら、仲間に話しかける。
馬も嬉しそうに鼻を鳴らす。
その様子をヴィクトルは優しく微笑みながら見ていた。
「しかし、みなさん、見事にぼろぼろですね……」
ネリネはノルンたちを見ながら、呆れたように呟く。
全員、血だらけの衣服を身に着け、体を引きずって歩いている。
「さすがにクラックのメンバーは一筋縄じゃいかなかったよ……」
「ノルンは自傷のほうが多くない?」
ため息混じりのノルンの呟きに、ルクレツィアが突っ込んでくる。
確かにノルンの傷の多くは自分でつけたものだ。
右手の甲と太腿をさすり、左腕の痛みを感じながらノルンは苦笑する。
「レツィこそ大丈夫?」
「私は大丈夫。ただ、魔力が不足してるから、しばらくはお休み」
ルクレツィアは荷台の上に座りながら返答する。
普段通りの調子のように見えるが、普段と違って元気がないようにも見える。
それを察したのか、ノルンの心配そうな目を見て、ルクレツィアが微笑みかける。
「でも、レツィがいてくれて助かったよ。君はいつも僕を助けてくれるね」
「……泣きべそノルン」
ルクレツィアは耳を赤くしながらそっぽを向く。
そして、照れ隠しのようにノルンをからかう。
それを耳聡く聞いていたネリネが、驚いた顔でノルンに問いかける。
「え? ノルンさん、泣いてたんですか?」
「知らない! 泣いてない!」
死闘の後とは思えないほど賑やかな一行。
馬もネリネの声に応じるように嘶く。
それを見ていた兵士たちがおかしそうに笑い出す。
天に抜けるほどの騒がしさを抱えたまま、ノルンたちは王国への帰路につく。
* * *
「次から次へと、問題が山積みだな……」
「ええ、まったく。頭が痛い話です……」
王族二人はため息混じりに会話をする。
兵士たちは戦勝ムードで浮かれ気味だが、二人を包み込む空気は鉛のように重い。
「嫡男であるスペルグさんが生きている上、私たちに与する行為を取ってくれていたのが幸いです。聖教国への外交カードとしては十分です」
「聖教国の介入なしで反乱を鎮圧できたのも大きかったな」
二人の思考はすでに次の戦争に向いている。
戦果の確認をした後、しばらくの沈黙が二人の間に流れる。
「……なあ、フェリシエル」
「なんでしょう、兄上?」
「ノルンについてだが…………あれ、俺にくれないか?」
フェルディナントの言葉に、フェリシエルは思わず手綱を持つ手に力が入る。
それを何かの合図と勘違いした馬が、何をすべきかと暴れ出す。
フェリシエルは慌てて馬を落ち着かせ、何事もなかったかのように平静を保つ。
「ノ、ノルンさんはまだ学生ですよ? 経験が浅く、お役に立てるとは思えません! それに、私の持ち物でもありません!」
「お? じゃあ、誰のものでもないのか。それなら俺が貰っても構わないな? 優秀な人材はいくらでも欲しい」
「だ、だめです! 絶対にだめです!」
いつも冷静なフェリシエルの想像以上の慌てっぷりに、フェルディナントは目を見開く。
そんな彼女の様子を見て、ふと悪戯心が芽生える。
「父上と相談して、お前の婚約者候補にすることも考えているのだがな」
「ノルンさんは建前上は平民なんです! それは彼にご迷惑をかけることになります!」
「お? 嫌がりはしないんだな」
「兄上!?」
フェルディナントは耐え切れず天を仰いで大笑いをする。
突然の笑い声に、周りの兵士たちは何事かと二人のほうを見る。
フェリシエルは顔を赤くし、小さく身を縮こませながら俯いている。
「すまんすまん、からかいすぎた。……しかしあのお前が、男のことでこんなにも心を乱すとはな。兄としては喜ばしい限りだ」
にやりと笑うフェルディナント。
フェリシエルが恨みがましくフェルディナントを睨みつける。
やがて、こほんと咳ばらいをし、平静さを取り戻す。
「仕方がないでしょう? 王族として孤独な私と、彼は初めて対等に手を握ってくれたのです」
フェルディナントは優しい笑顔で妹を見つめる。
風が吹き、太陽が二人を照らす。
フェリシエルはその風を受けながら悪戯っぽく兄に笑いかける。
「だって、彼は私だけの共犯者なのですから」
~第三章 価値の在処編 完~
ここまで読んでいただきありがとうございました。
これにて三章は完結となります。
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