004話 暗赤
「次、ノルン!」
うわぁ、というアレンの同情の声。
売られていく子牛を見るようなセリアの目。
教官に名前を呼ばれたノルンは力なく立ち上がる。
なんでこのタイミングで名前を呼ぶんだよ。
もっと周囲が落ち着いてからにしろよ。
空気読めないってよく言われない?
などと教官への意味のない呪詛を内心で呟きながら亀のような足取りで壇上に向かう。
壇上までは大した距離でもないのに、地平線が広がる砂漠を歩いているように感じられた。
もう前に進みたくない。けれど、このまま歩き続けていたい――そんな相反する気持ちが同時にノルンの中で渦巻く。
ようやく壇上に辿り着いたノルンは教官の顔を恨みがましくチラッと見て、水晶玉に向き直る。
そして意を決して水晶玉に手をかざす。
「ん?」
教官が不思議そうな声を漏らす。
それもそのはずだった。
水晶玉が一瞬、暗い赤色に輝いただけだったからだ。
おそらく遠くから見ている人には何も変化が起こらなかったように見えただろう。
「おい!真剣に──やっているようだな」
教官は怠惰を咎めようとしたが、ノルンの顔を見て訂正の言葉を発した。
ノルンは全身に汗を浮かべ、苦しそうに呼吸を乱していたからだ。
「すまない、戻っていいぞ」
労わるような教官の声を背に、ノルンはとぼとぼと席に戻るのであった。
平民にしては上等なんじゃない?という嘲笑混じりの声が聞こえたが、ノルンには気にする余裕がなかった。
ようやく席に戻ったノルン。
お疲れ、とアレンとセリアの声がかかる。
「アレンみたいに、ノリと勢いで何とかしようとしたけど無理だったよ」
「それは俺だけの特権なんだよ」
空元気を見透かしてか、ノルンの肩を叩きながらアレンは冗談めかして答える。
セリアは心配そうにハンカチを渡してくれる。
見ただけで高級品とわかるシルク製の一品だった。
そんな二人に対し、ありがたさと申し訳なさ、そして気恥ずかしさが入り混じった複雑な感情がノルンを支配した。
その後、特に大きな騒ぎが起きることはなく、無事全員分の測定が終了した。
各々の生徒が自分の教室に戻る中、ノルンたち3人も人の流れに沿って歩き出した。
測定会場だった講堂から離れるにつれ、胸のざわつきは少しずつ収まっていった。
廊下を行き交う生徒たちの表情もどこか緩んでいた。
三人もまた、他愛のない世間話に花を咲かせながら、賑やかな喧騒の中を進んでいく。
しかし、ノルンは最後まで気づかなかった。
アメジストの瞳がジッとノルンの背中を見つめていることを。
* * *
暗い寮の一室。
蠟燭の灯りを背景に、ゴリゴリと何かをすり潰すような音が聞こえる。
音の主は黒髪の少年──ノルンで、床に座り込み何かを一心不乱に動かしている。
どうやら薬研を使って木の根のような素材をすり潰しているようだった。
机の上には乾燥した薬草と乳鉢、瓶詰の蜂蜜や度数の強い蒸留酒が置かれている。
他のものに目を向けると、謎の鉱石やよく分からない生物の角や乾燥した臓器のようなものが雑然と並んでいた。
おそらく調薬をしているのだろう。
資格を持たずに調薬することは違法ではあるが、ノルンには知ったことではなかった。
バレた時は──授業の予習をしていました──とか言って誤魔化そうと考えていた。
「早いとこ資格を取って、隠れて薬を作る生活にも別れを告げないとな」
ノルンには身体的に致命的な欠陥がある。
過去の事件がきっかけで、身体に強力な呪いを受けることになった。
その結果、とある臓器に損傷を受け、魔法を行使するだけで全身の神経を掻き回されるような激痛が走るようになった。
それだけでなく、他者の魔力にあてられるだけでも身体に影響が出るようになった。
普段は自身の魔力を制御し、呪いを身体の中で包み込んで抑えている状態だ。
「そろそろ素材が心許なくなってきた。週末にでも冒険者登録して素材採集と金稼ぎしないと。それに情報収集も始めたい」
薬研で素材をすり潰しながら独りごちる。
ある程度の粉砕が完了したため、次の工程に移ろうとする。
が、突然ノルンは体をくの字に曲げて苦しみ出す。
発作のようなもので、時折呪いが解放しろと言わんばかりに暴れ出すのだ。
よく見ると、胸を中心に黒い影のようなものが侵食するように広がっている。
苦しみながらも普段常用している手作りの痛み止めを懐から取り出し、急いで飲み込む。
しばらくして、発作が落ち着くのを感じる。
副作用により脱力感や思考力の低下こそあるものの、痛み止めはノルンにとって必要不可欠なアイテムだった。
ノルンには目的がある。
一つ目に呪いを取り除くこと。
二つ目に損傷を受けた臓器の治療。
この目的を達成するために、ノルンは学園に入学したといっても過言ではない。
授業により薬に関する専門性を高めることはそうだが、学園には国内随一の図書館が存在する。
その図書館であれば治療の手掛かりが見つかるかもしれない。
さらに言えばこの図書館には禁書庫があるという噂だ。
この呪いに関する情報が隠されているかもしれない。
──そして三つ目。
ノルンにとって、これこそが最も重要な目的で、最初の2つの目的はこれを実現するための手段と言っていいだろう。
「あの事件の主謀者を見つけて、あの日の続きを必ず返してもらう」
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