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020話 世界檻

 笑顔を消した《呼び込み屋》は悠然とノルンたちに近づいてくる。

 一歩、また一歩と静かに迫ってくる彼を、ノルンたちは警戒して見つめる。

 そのとき――彼の姿が突然消える。

 ゆっくりと消え去ったのではない。

 まるで最初からそこに存在しなかったかのように、忽然と。


 ──どこに消えた?


 ノルンは息を呑み、あたりを見渡すも、その姿を見つけられない。

 ルクレツィアと視線を交わす。

 彼女も分からないとばかりに首を横に振る。


 前触れなく姿を消した《呼び込み屋》。

 そのからくりはいまだ分からない。

 ノルンは周囲への警戒を強め、いつでも迎撃できるよう剣を構えた。


「ここですよぅ?」


 突然、ノルンの鼻先に《呼び込み屋》が現れる。

 ぎょっとしたノルンは慌てて目の前の敵を迎撃しようと剣を横薙ぎに振るう。

 しかし、その攻撃はなぜか空振りに終わってしまう。

 またも《呼び込み屋》はノルンの目の前から消え去ったからだ。


「ルクレツィア、何か分かった?」


「分からない。でも、高速移動とかではなさそう」


 ルクレツィアの言う通り、高速移動ではないとノルンも考える。

 もし、超高速で移動しているのであれば、移動の脚力で足元が抉れているはずだ。

 ──光学迷彩の類か?

 そう考えたノルンはルクレツィアのもとに駆け寄り、小声で話しかける。


「頭上に薄い水幕を張れる? それと、できれば草を風で舞い上げてほしい」


「わかった」


「あれれ? 内緒話ですか? 私も混ぜてくださいよぅ」


 次の瞬間、《呼び込み屋》がノルンとルクレツィアの間に、背後からぬっと顔を突き出した。

 ノルンは反射的に剣を振るう。

 だが、その斬撃もまた空を切った。

 やはり《呼び込み屋》は元からいなかったかのように姿を消した。


「……ルクレツィア、取りあえず頼む」


 ルクレツィアは小さく頷き、空中に大きな水の膜を張る。

 もし、光学迷彩やそれに類する魔法であれば、光の屈折率に干渉することで何らかの影響が現れるはずだ。

 続けてルクレツィアは風の魔法で草を空中に散布する。

 相手の移動経路を捉えられるかもしれないし、霧や煙幕と違ってある程度の視界を確保できる。

 しかし、しばらく様子をうかがっていても何の変化も見られなかった。

 時間だけが、ゆっくりと過ぎてゆく。


「だから、無駄ですよぅ」


 また、ノルンたちの目の前に《呼び込み屋》が現れる。

 目を離したわけではない。

 隙を見せたわけでもない。

 それでも《呼び込み屋》は、最初からそこにいたかのように佇んでいる。

 もはやテレポートとしか考えられなかった。

 不思議そうな視線を受けながら、《呼び込み屋》は肩をすくめる。


「私、世界に忘れられているので」


 ──世界に忘れられている?

 ──どういうことだ?

 ノルンの頭の中で疑問が渦巻く。

 ノルンが様々な可能性を検討している中、ルクレツィアが声を出す。


「……認識されないってこと?」


「大正解! 私の宿痕『誰ソ彼』は、世界そのものから認識されなくなる能力!」


 《呼び込み屋》は歓喜に満ちた表情で自身の持つ能力を開示する。

 その声音には隠しきれない高揚が滲んでいる。

 まるで勝利を確信した者のように。


「誰も私を見ることが出来ない! 誰も私に触れることが出来ない! 誰も私を殺すことが出来ない!」


 まるで万物を対象としているかのような物言いだが、実際にはある程度の生命体に限定された話なのだろう。

 土や植物までも対象に含まれるのであれば、そもそも動くことすらできないはずだ。

 ノルンは冷静に考察する。


「ま、代わりに能力中は私も相手に触れることが出来ないんですけどね。潜入にしか向かないんですよぅ」


 すると《呼び込み屋》は、心底つまらなそうな表情を浮かべた。

 先ほどまでの高揚感はどこへやら、肩を落として大きくため息をつく。

 力なく零れた声とは裏腹に、その口元がゆっくりと吊り上がる。


「だから相手を殺すときはぁ──」


 次の瞬間、またも《呼び込み屋》の姿が目の前から掻き消える。

 ノルンは《呼び込み屋》の会話を思い返す。

 胸の奥で小さな警鐘が鳴った。

 嫌な予感が冷たい指先となって背筋を這い上がり、全身の毛穴を総毛立たせる。

 考えるよりも先に体が動いていた。

 ノルンは地面を蹴り、反射的に真横へと身を投げ出す。

 その瞬間──。


「こう! ──ってアレ? よく分かりましたね?」


 先ほどまでノルンが立っていた場所に、剣が鋭く突き出されていた。

 背後からノルンを一刺しにしようとしたその刃は、しかし空を切る。

 剣の持ち主である《呼び込み屋》は、不思議そうな顔でノルンを見つめる。


 攻撃時に能力を解除する必要があることはなんとなく予想できた。

 ただ、ノルンが避けられたのは、勘によるただの偶然だ。

 二回目はおそらく避けることは出来ないだろう。


 ノルンはルクレツィアのもとに駆け寄る。

 その間もノルンは《呼び込み屋》から目を離さない。


「おや? またご相談ですか? いくらでもどうぞぉ」


 《呼び込み屋》は余裕たっぷりの笑みを浮かべる。

 手で譲るようなジェスチャーをし、その目には嘲りの色が浮かんでいた。

 どこまでも人を小馬鹿にしたような態度に苛立ちを覚えるものの、ノルンは冷静さを保った。


「ノルン、手はあるの?」


「いくつかある。でも、即効性がある方法は一つしかない」


 小声で語りかけてくるルクレツィア。

 それにノルンは迷いなく答えた。

 その答えにルクレツィアは安心した顔を見せる。


「即効性のある方法は、ルクレツィアに大きな迷惑をかけることになる。それでも大丈夫か?」


「引率を引き受けた時から覚悟してる。大丈夫」


「じゃあ、ごめん。後始末は任せた」


 ルクレツィアはにこりと微笑む。

 その笑顔に感謝の気持ちと申し訳なさが湧き上がり、ノルンは覚悟を決める。


「あいつは天敵だ。あいつが、じゃない。──俺が、あいつの天敵なんだ」




「おや? お話、終わりましたぁ?」


「ああ、待たせちゃったかな? 忘れてたわけじゃないぞ?」


「全然いいんですよぅ。忘れられるのには慣れてるんで」


 互いに軽口を叩き合う。

 そのやり取りには険しさはなく、むしろ親しささえ感じられた。

 だが、その奥に潜む殺意だけは、軽口の陰に隠れようとも微塵も薄れてはいなかった。


 先に動いたのはノルンだ。

 右手を開いた状態で前に出し、意識を集中する。

 自身の内側に眠る意識を、周囲へと浸透させるように広げる。

 そして、右手をぐっと握り締め、世界へと干渉する。


「『世界檻』」


 その一言とともに周囲の景色が揺らぐ。

 ノルンと《呼び込み屋》を囲むように、魔力でできた檻が出現した。

 その檻を《呼び込み屋》は失望したように眺めている。


「はぁ、何をするかと思えば、閉じ込めただけですかぁ? いくら移動を制限しても無意味なんですよぅ」


 《呼び込み屋》は肩を落とし、大げさなほど落胆した様子でノルンへ語りかけた。

 その声音には緊張感の欠片もなく、まるで期待外れの見世物を見せられた観客のような呆れさえ滲んでいる。

 飽きてきたからそろそろ終わりにするか、と《呼び込み屋》は自身の能力で姿を消そうとする。

 しかし──。


「──あれ?」


 間の抜けた声が漏れる。

 余裕に満ちていた表情がわずかに崩れ、その瞳に初めて困惑の色が浮かんだ。

 そんな《呼び込み屋》に、ノルンは真似をするように語りかける。


「姿、消せないね? なんでだろうね?」


 何度も姿を消そうと試みるが、失敗する。

 そんな能力は元々なかったかのように、手ごたえすら感じない。

 ──檻が原因か

 そう考えた《呼び込み屋》は檻から抜け出そうと体を動かす。

 しかし、体が思ったように動かない。

 まるで水の中を歩いているかのような重い感覚に、《呼び込み屋》は初めて焦りを覚えた。


「体が重いね? なんでだろうね?」


 ノルンの声を無視するように、《呼び込み屋》は檻に手をかける。

 檻に手を触れた瞬間、電撃とも灼熱とも似つかない衝撃が体を走り、檻から弾かれてしまう。


 困惑の色を深める《呼び込み屋》を余所に、ノルンは静かに歩み寄る。

 《呼び込み屋》の体を突如として激痛が襲った。

 一歩、また一歩とノルンが近づくたび、その痛みは耐え難いものへと変わっていく。


「く、来るな! それ以上近付くな!」


 《呼び込み屋》の余裕は消え去り、顔は恐怖に歪んでいる。

 それをノルンは無表情で見つめながら、一歩ずつ近づいていく。

 必死に距離を取ろうとするが、ノルンの歩みは止まらない。


 《呼び込み屋》は剣を構えて応戦する。

 しかし、普段と違う体の感覚と全身の痛みから、体が思うように動かない。

 ノルンが間合いに入った瞬間、《呼び込み屋》は悲鳴にも似た声を上げながら剣を振るった。

 だが、その一撃はあまりにも鈍い。

 ノルンはわずかに身をずらしただけでそれを躱す。

 そして次の瞬間――。

 《呼び込み屋》の右手が剣を持ったまま宙を舞う。




 ──ノルンの宿痕、『世界檻』。

 檻の中にいる対象に自分の世界を押し付けるもの。

 相手をノルンと同じ土俵へ引きずり下ろす力。


 ノルンの前世では、宿痕なんてものは存在しない。

 ノルンの前世では、魔力なんてものは存在しない。

 ゆえに、この檻の中では自身も含めてあらゆる能力が不発に終わる。


 人は誰しも身体活動の補助として魔力を使っている。

 その補助が断たれた今、骨と筋肉だけで体を支えることは容易ではない。

 《呼び込み屋》が感じている体の重さも、その影響だった。


 そして、相手にノルンの感覚を共有する。

 相手との距離に応じて共有される感覚は強くなる。

 ゼロ距離まで近づけば、ノルンが感じている痛みを《呼び込み屋》も等しく感じることになる。

 この程度で根を上げるとは、と半ば呆れ気味のノルンだが、無表情を貫いている。


 ただ、この能力にはデメリットがある。

 ノルンにとって呪いは不可思議な力ではなく、感情や自己暗示の一種。

 つまり、ノルンは呪いは前世にも存在すると考えている。

 そのため、呪いまでも消し去ることはできない。

 魔力で囚われていないノルンの呪いは、現在ノルンの体の中で暴れ回っている。




 《呼び込み屋》の右手を切り落としたノルンは、返す刀で首を狙う。

 しかし、刃が首筋に届こうとした瞬間、暴れ狂う呪いによりノルンの体がついに限界へ達した。

『世界檻』が解除される。

 必殺の剣閃は軌道を狂わされ、《呼び込み屋》の首にかかったペンダントを断ち切るだけに終わった。


『世界檻』の捕縛から逃れた《呼び込み屋》は、慌ててノルンから距離を取る。

 しかし、共有された感覚は幻痛としてしばらく残ることになる。

 血が噴き出る右腕を抑えながら、《呼び込み屋》は怒りの表情でノルンに告げる。


「今は退く。だが、お前だけはいつか殺す。絶対に殺してやる!」


 そう言って《呼び込み屋》は姿を消した。



 * * *



「ノルン!」


 戦いの一部始終を檻の外から見守っていたルクレツィアは、弾かれたように駆け出した。

 一刻も早く彼のもとへ辿り着こうと足を急がせる。

 だが、その途中で彼女の足がふいに止まった。


 ノルンの様子がおかしい。

 勝利の余韻に浸るでもなく、傷の痛みに顔を歪めるでもない。

 ただそこに立ち尽くしている。

 その姿はひどく希薄で、まるで実体を持たない幽霊のようだった。


 焦点の定まらない瞳。

 生気の感じられない虚ろな表情。

 風に吹かれれば、そのまま消えてしまいそうなほど頼りない立ち姿に、ルクレツィアの胸を得体の知れない不安がよぎる。


「……ノルン?」


 その呼びかけに、ノルンは彫像のように硬直した姿勢のまま、目だけをぎょろりと動かした。

 闇の底から這い出るような視線が、ゆっくりとルクレツィアを捉える。

 そして、地面を滑るように走り出し、ルクレツィアに向かって剣を振るう。


 紙一重のところでその剣閃をかわしたルクレツィアの瞳に、困惑の色が滲んだ。

 荒くなりかけた呼吸を押さえ込みながら、彼女は宿痕の力を発動し、ノルンの姿を見据える。

 その瞬間、ルクレツィアの背筋を冷たいものが走った。

 以前は胸の一部にのみ見えた死が、全身に広まっていた。


『世界檻』により、ノルンの魔力は一時的にゼロになった。

 そして、今もまだ魔力不足により呪いを抑えられずにいる。

 今のノルンは人ではなく、ただの魔物としてルクレツィアの前に立っている。


「後始末を任されちゃったからね」


 ルクレツィアは寂しそうに笑う。

 彼女はゆっくりと目を閉じると、覚悟を決めるように深く息を吐いた。

 そして、決意を固めた表情で、まっすぐノルンを見つめながら告げた。


「ノルン、安心して。あとは私に任せなさい!」

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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