19 期末試験とそれぞれの誓い
「——そこが違う。何度言えば分かるんだ、ローゼン」
放課後の第二図書館。
静寂に包まれた閲覧室の片隅で、冷ややかな、しかし呆れを含んだ声が響いた。
「魔力回路の接続効率の計算式だ。君はなぜ、いつも直感で数値を埋める? 式を途中省略するなと、あれほど言ったはずだ」
「うぅ……。だって、感覚でやったほうが早いんですもん……」
「感覚で魔法を行使できるのは君の特異体質だ。試験で求められているのは『理論』だ。書き直せ」
リアム・アークライトは、無慈悲に赤ペンでアリアのノートを真っ赤に染め上げた。
アリア・ローゼンは、涙目で机に突っ伏した。
「鬼……。リアムさんは鬼です……」
「なんとでも言え。あと三日で期末試験だぞ。私の『監視対象』が赤点を取って補習になれば、私の夏休みの予定まで狂う」
リアムは涼しい顔で紅茶を啜った。
学園祭での事件から二週間。
アリアとリアムの関係は、奇妙な安定を見せていた。
表向きは「成績不振の生徒を、A組首席が指導している」という名目。
実態は、「アリアの正体がバレないよう、リアムが全力で彼女の『一般生徒としての偽装』を完璧なものにするための特訓」である。
「いいか、アリア。君の実技(魔法制御)は規格外だ。だが、座学(理論)が伴っていなければ怪しまれる。『天才肌の落ちこぼれ』ではなく、『努力型の凡人』を演じるんだ。そのためには、基礎理論で平均点を取る必要がある」
「平均点……。それが一番難しいのに……」
アリアは呻きながらペンを走らせた。
クロノス直伝の魔術は、すべてが「感覚」と「イメージ」の世界だ。教科書に載っているような複雑な数式や魔法陣の理論は、アリアにとっては逆に難解な暗号に見える。
「大丈夫だよ、アリアちゃん。ここの公式はね、お菓子作りと同じだよ。分量を間違えなければ爆発しない、みたいな?」
向かいの席で、メアリ・スミスが優しく教えてくれる。
「メアリちゃん……! 天使……!」
アリアはメアリに抱きついた。メアリはすっかり元気を取り戻し、以前よりも少しだけ自信に満ちた表情をしている。
「スミス嬢、甘やかすな。……よし、次は魔法史だ。年号を暗記しろ」
「ひいぃぃ……!」
スパルタ家庭教師リアムの指導は、日が暮れるまで続いた。
そして迎えた、期末試験当日。
午前中の筆記試験は、リアムの猛特訓のおかげで、なんとか「空欄」を埋めることができた。
(たぶん、赤点は回避できたはず……! ありがとうリアム先生!)
アリアは手応え(というか疲労感)を感じながら、昼食のサンドイッチを頬張った。
問題は、午後の「実技試験」だ。
「よし、ヒヨども! 一学期の成果を見せてもらうぞ!」
訓練場に、ギデオン教官の怒声が響く。
今日の試験内容は、「一対一の模擬戦」。
ただし、対人戦ではない。教官が操る「訓練用ゴーレム(劣化版)」を相手に、制限時間内にどれだけのダメージを与えられるか、あるいはどれだけ華麗にいなせるかを評価する。
「攻撃力、防御力、機動力。全てを採点対象とする! 全力を出せ!」
生徒たちが次々と試験に挑む。
カインは《岩石槍》でゴーレムを粉砕し、高得点を叩き出した。
リゼットは《風刃》でゴーレムの腕を切り落とし、優雅に勝利した。
リアムに至っては、《紅蓮の槍》の一撃でゴーレムを蒸発させ、教官に「やりすぎだ!」と怒られつつも満点を獲得した。
そして、アリアの番が回ってきた。
「次! アリア・ローゼン!」
「は、はい……」
アリアは、震える足で訓練場の中央に進み出た。
視線が集まる。
「あの子、大丈夫かしら? 魔力Gなんでしょう?」
「でも、学園祭の時は凄かったって噂だよ?」
「いや、あれはリアム様が凄かっただけだろ」
様々な憶測が飛び交う中、アリアは杖を構えた。
目の前には、岩でできた無骨なゴーレムが立っている。
(どうしよう……)
アリアの心臓が早鐘を打つ。
(本気を出せば、一瞬で終わる。……でも、それはダメ)
(かといって、何もしなければ赤点だ)
(『平均的な、風属性の生徒』として振る舞う。……リアムさんに教わった通りに!)
「始め!」
ギデオンの合図と同時に、ゴーレムが突進してくる。
遅い。
森で戦った「森の主」や、温室での「泥の巨人」に比べれば、止まって見えるほどだ。
アリアは、慌てふためくフリをして、横に転がった。
「うわあっ!」
ドスン! ゴーレムの拳が、アリアがいた場所を叩く。
(よし、回避はオッケー。次は攻撃……だけど、風刃で岩は切れないフリをしなきゃ)
アリアは杖を振った。
「えいっ! 《風刃》!」
放たれた風の刃は、意図的に威力を弱められ、ゴーレムの表面を浅く削るだけに留まった。
「……チッ、浅いか」
ギデオン教官がメモを取る。
(よしよし。これなら『魔力不足』で減点されるけど、不合格にはならないはず)
アリアはこのまま時間切れまで逃げ回る作戦に出た。
だが。
「逃げ回ってばかりでは点数はやらんぞ! 反撃しろ!」
ギデオンの檄が飛ぶ。
(ええー……。反撃って言われても……)
アリアは困った。
岩を砕くほどの風魔法を使えば、バレる。
かといって、このままではジリ貧だ。
その時、アリアの脳裏に、ゼフィルス教官の言葉が蘇った。
『植物はね、風に逆らわないんだ。風を受け流し、時には風に乗って種を飛ばす。それが生存戦略だよ』
(……そうか)
(壊さなくていい。倒さなくていい)
(ただ、『無力化』すればいいんだ)
アリアは、ゴーレムの動きを観察した。
関節部分。魔力の継ぎ目。
そこに、微細な「砂」が入り込めば?
アリアは、足元の砂埃に魔力を込めた。
「《砂塵》!」
突風と共に砂煙が舞い上がった。
「なんだ? 目くらましか?」
生徒たちがざわつく。
ゴーレムは視界を遮られ、動きを止めた。
その隙に、アリアは風を操り、舞い上がった砂粒の一つ一つを、ゴーレムの膝関節と肘関節の隙間に、猛烈な勢いでねじ込んだ。
ギチチ……。
ゴーレムが動こうとして、異音を立てた。
関節に砂が噛み込み、物理的にロックされたのだ。
「えいっ!」
アリアは最後に、ゴーレムの足元に《風の足払い》を放った。
バランスを崩したゴーレムは、関節が動かないため受け身も取れず、そのまま棒立ちで仰向けに倒れた。
ズガーン!!
ゴーレムは、起き上がろうともがくが、体が動かない。
完全に沈黙した。
「……そこまで!」
ギデオン教官の声が響いた。
静寂。
そして、ざわめき。
「な、なんだ今の?」
「倒した……のか?」
「砂で転ばせただけに見えたけど……」
ギデオン教官は、倒れたゴーレムに歩み寄り、その関節部分を調べた。
そして、驚愕の表情でアリアを振り返った。
「……関節の駆動部に、砂を食い込ませたのか? この短時間で、これほど精密に?」
「あ、いえ! たまたまです! 砂埃が、運良く……!」
アリアは必死に手を振った。
ギデオンは、じっとアリアを見つめた。
その目は、以前のような「落ちこぼれを見る目」ではなく、底知れない原石を見つけた「鑑定士」のような目だった。
「……運、か。まあいい」
ギデオンはニヤリと笑った。
「『敵を破壊せずに行動不能にする』。戦場において、最も効率的で、かつ高度な制圧術だ。……合格だ、ローゼン。Bプラスをやる」
「えっ!? Bプラス!?」
アリアは飛び上がって喜んだ。
「やったー! 赤点回避!」
観客席で見守っていたリアムが、フッと小さく笑ったのが見えた。
(……やるじゃないか。地味だが、君らしい戦い方だ)
こうして、アリアの初めての期末試験は、筆記・実技共に「目立ちすぎず、落ちこぼれすぎず」という、絶妙なラインで幕を閉じた。
数日後。一学期の終業式。
講堂での式典を終え、生徒たちは開放感に満ち溢れていた。
明日から、長い長い夏休みが始まる。
「アリアちゃん、夏休みはどうするの?」
教室で、メアリが尋ねてきた。
「私は実家のパン屋の手伝いだけど、アリアちゃんは里帰り?」
「うーん……。そのつもりだったんだけど……」
アリアは、鞄の中に入っている「一通の手紙」を思い出し、顔を曇らせた。
昨日の夜、学園長室に呼び出された時に渡されたものだ。
差出人は、ヴォルグ学園長。
内容は、『夏季休暇中の特別課外活動への参加命令』。
『アリア・ローゼン君。君の魔力制御技術の向上、および「光」の運用訓練のため、夏休み期間を利用した強化合宿を実施する。場所は北部の避暑地「白霧の湖畔」。拒否権はない』
そして、追伸には、見慣れた汚い字(クロノの字ではない)で、こう書き殴られていた。
『久しぶりだな、末っ子! お兄ちゃんたちが可愛がってやるから、覚悟して来いよ! ——カイより』
(……絶対、ろくなことにならない)
アリアは遠い目をした。
四天候の兄姉弟子たちが待ち構える合宿。
それは「特訓」という名の「地獄のしごき」か、あるいは「過剰なスキンシップ大会」になる未来しか見えない。
「……うん。ちょっと、遠くの親戚の家に、修行……じゃなかった、遊びに行くことになったの」
アリアは曖昧に答えた。
「そっかぁ。寂しいけど、楽しんできてね! お土産話、待ってる!」
「うん。メアリちゃんも、元気でね」
二人は笑顔で手を振り合い、別れた。
アリアが校門を出ようとすると、夕焼けに染まる並木道の下に、見慣れた人影があった。
リアム・アークライトだ。
彼は、迎えの豪華な馬車を待たせ、一人で佇んでいた。
「……リアムさん」
「帰るのか」
「はい。……リアムさんは、王都へ?」
「ああ。父上が、夏の間は領地に戻って政務を手伝えと煩くてな」
リアムは肩をすくめた。
「しばらく、君の『監視』ができなくなるのが残念だ」
「ふふ。監視って……。もう、必要ないんじゃないですか?」
「いや。君のことだ。私が目を離した隙に、またとんでもないトラブルを引き寄せるに決まっている」
リアムは真顔で言った。
あながち間違いではないだけに、アリアは反論できなかった。
「……ローゼン」
リアムは、一歩近づいてきた。
「何かあったら、すぐに連絡しろ。私の使い魔を飛ばせば、王国のどこにいても半日で駆けつける」
「……はい」
「それと。……無理はするなよ」
リアムの手が、伸びてきた。
アリアの頭を、ポン、と軽く撫でる。
その手つきは、不器用だが、とても優しかった。
「……君は、もう一人じゃない。それを忘れるな」
アリアの胸が、熱くなった。
入学式のあの日、最悪の出会い方をした二人。
お互いに警戒し、疑い、反発し合った日々。
でも今は、誰よりも信頼できる「背中合わせ」の存在だ。
「はい。……リアムさんも、お元気で」
アリアは、満面の笑みで答えた。
「二学期に、また会いましょう!」
「ああ。……またな、アリア」
リアムは、ひらりと手を振り、馬車へと乗り込んでいった。
アリアは、馬車が見えなくなるまで見送った。
(さあ……)
アリアは、くるりと回れ右をした。
視線の先には、北の空が広がっている。
そこには、まだ見ぬ冒険と、懐かしくも騒がしい「家族」たちが待っているはずだ。
「行くよ、クロノ!」
「うむ。……やれやれ、馬車に揺られるのはご免だがな」
鞄の中から、クロノが顔を出した。
アリア・ローゼンの一年生、一学期が終了した。
「目立ちたくない」「平穏に暮らしたい」という願いは、半分叶い、半分砕け散った。
だが、手に入れたものは、それ以上に大きかった。
かけがえのない親友。
心強い騎士。
そして、自分自身の「力」と向き合う勇気。
物語は、まだ終わらない。
むしろ、ここからが本当の始まりだ。
アリアの持つ「光」が、世界の闇を照らすその日まで。
彼女の波乱万丈な青春は、続いていく。




