メルシオ
俺の父親は、金で親友にも妻にも裏切られ、それを見返すために取り憑かれたように商会を大きくしてきた男だった。
父はよく言っていた。
金がなければ、幸せにはなれないのだと。
***
カタスティマ男爵家の当主である俺は、ふと夜中に目が覚め、隣ですやすやと眠る最愛の妻の寝顔を見て頬を緩めた。
さらりとシーツの上にこぼれる美しい白銀の髪は月の光に照らされきらきらと輝き、少しだけ開いた小さな唇はサクランボのように色づいている。今は閉じている瞼が開けば、世界中のどんな宝石よりも輝く若葉色の瞳が俺を見て嬉しそうに笑ってくれるだろう。
ずっと会いたいと思ってきた彼女が今俺の妻として隣にいてくれる幸福が、今でも信じられない。
俺は、彼女と本当に初めて会った日の事を思い出していた。
まだ幼かった頃、父が国外に仕事に行くため俺は一時的にステラシス領にある親戚の家に預けられたことがあった。
家ではいつも父の後を継ぐための商売の勉強をしていた俺は、同年代の子供たちと遊んだことがほとんどない。それよりも、帳簿を読み込んで粗を探したり金貨を数えているのが好きな子供だった。それなのに、親戚は子供は子供同士で遊ぶべきだと家から連れ出され、近所の子供たちが遊ぶ広場に連れてこられた。
始めは戸惑ったけれど、同い年の子供たちと遊ぶのは新鮮でなかなか楽しく、彼らと遊ぶ毎日に慣れるのはすぐだった。
子供たちの中には何人か孤児院の子供もいて、一緒にシスターに悪戯をして怒られたこともあった。
「そういえばもうすぐ花祭りだよな」
「花祭りって、お母さんお父さんだけじゃなく、仲のいい友達同士でも花を贈るんだってー」
「お花屋さんで売ってるみたいな綺麗なお花いつかもらってみたいな~」
「ははっ、あんなの高くて俺たちみたいな子供が買える訳ねえじゃん。それよりその日はまたここで集まろうぜ。いいもん持ってきてやるよ」
その話に、俺の胸はそわそわと落ち着かなかった。父と住んでいた王都では、友達なんていなく、ほとんど家にいない父とも花祭りを一緒に過ごしたことなんてない。だから、だれかと一緒に花祭りを過ごせることにどこか浮かれていたのだ。
……ただ、みんなに喜んでもらいたかっただけだった。
皆が野花を摘んで持ち寄ってきたなかで、花屋から高価な花を買ってきた俺に皆は黙り込んだ。
俺はすでに王都にいる時は商会の帳簿つけを担当することもあり、子供の小遣いとは言えないほどの資金を個人的に所有していた。だから何本だって花くらい購入できたし、王都で人気の玩具だって取り寄せることができた。
せっかくの花祭りだからみんなで遊びたいと持ってきた高価な玩具を見て、いい物を持ってきてやると笑っていた子供は悔しげに手作りであろう拙い作りの玩具を握りしめ俺の持つ花を地面に投げ捨て怒鳴った。
「俺たちのこと、貧乏人だって馬鹿にしてんのかよ⁈」
そんなことないと、言いたかった。しかし、昨日まで笑って遊んでいた子供たちの俺を見る冷たい視線に何も言うことができなかった。
皆が立ち去った広場には、ぐしゃぐしゃに踏みつぶされた花と玩具、そして呆然と立ち尽くす俺だけが打ち捨てられたように残っていた。
ぼんやりと、散らばった花を片付けなければと思考を無理矢理動かそうとしていた俺の俯いた視界に、白いハンカチが映り込む。
驚いて顔を上げた先には、天使のように可愛らしい少女が立っていた。
日に当たるとキラキラと輝く白銀の髪に、春の芽吹きのようにやわらかな若葉色の大きな瞳。
少女は、心配そうに俺に問いかける。
「大丈夫?」
そっとハンカチで頬を拭われ、はじめて自分が泣いていることに気が付いた。
俺は年下の少女に泣き顔を見られたことが恥ずかしくてぐいっと腕で目元をこすると、「もう大丈夫だ」と目線をそらした。
「よかった」
ふわりと笑った少女は、地面にしゃがみ込むと散らばった花を拾い出した。
少女の綺麗なワンピースが汚れてしまうと慌てて止めようとしたけれど、少女は大丈夫よと笑ってすべての花を拾い集めてくれた。小柄な少女が抱えていると、まるで大きな花束のようだ。
「どうぞ」
そう言って渡そうとしてくれたけれど、俺は受け取ることができず、いらないと少女に告げていた。どうして?と不思議そうに首を傾げた少女に、俺は気づけば先ほどの事を話していた。泣き顔を見られ、もうこれ以上取り繕うこともないと捨て鉢な心境だったのだ。
話すうちに、麻痺していた頭がだんだんと落ち着いてくる。
俺がしたことは、きっと彼らを傷つけることだったのだと理解した。
「金があったって、幸せになれないじゃないか」
ぼそりと呟いた言葉は、少女に聞こえてしまっていたらしい。話を聞いた彼女も離れて行ってしまうだろうかと思っていると、ずいっと若葉色の瞳が近づいた。
「そんなことないわ!」
小さな手で俺の手を握った少女は、まっすぐに俺を見つめる。
「確かに、自分が持っていないものを持っている人を羨んでしまうことってあるかもしれない。嫌な思いをしてしまったかもしれない。でも、みんなに喜んでもらいたかったっていうあなたの気持は、とっても素敵なものだと思う」
金持ちと陰口をたたかれたことはあれど、こんな風にキラキラした瞳で言われたことがなかった俺は頬が熱くなってたじろぐ。
「それに、お金はとっても大切よ!私もね、今からお金をたくさん貯めたいと思っているの!お金があれば、領民たちの生活をもっとよくできる!お金があれば、たくさんの人を笑顔にできるもの!」
ぱっと花が咲いたような笑顔に、俺の心臓は何故かぎゅうっと締め付けられた。金貨よりも綺麗なものがあると、俺はその時初めて知った。
顔が赤くなっている自覚のあった俺は、「このお花、どうしよっか」と悩んでいる少女によかったら貰ってほしいと告げていた。鮮やかな花々は、少女の側ではより輝いているように見えたから。
「ほんとう⁈嬉しい!私、花祭りでお花をもらうの、初めてなの」
とても嬉しそうに笑顔を綻ばす少女に、俺はすぐに後悔した。この子の初めての花ならば、落ちた花ではなくもっときれいな彼女にふさわしい花束を贈ればよかった、と。
「そうだ、待っててね」
そう言って、少女は花束を抱えたまま広場の端までぱたぱたと走っていった。
戻ってきた少女の手には、一輪の白いアナベルの花。
「こんなに立派なお花のお礼にはならないかもしれないけど、私からも花祭りのお花を。あなたの今日という一日が素敵なものになりますように!……自分の名前の花を贈るの、ちょっと恥ずかしいけど」
照れたように頬をピンクに染めた少女から、アナベルの花を受け取る。
まるで少女のように、真っ白で清楚な白きアジサイ。
その日から、俺の一番好きな花はアナベルになった。
後になって、俺はその少女が孤児院に視察に来ていたステラシス子爵家のご令嬢であったことを知る。
平民の商家の子供である俺には、決して手の届かない存在。
そんな高貴な身分の幼い彼女は、領民のためにお金を貯めたいのだと笑っていた。
領民たちの血税を贅沢のために消費する貴族が多いなかで、それはまるで泥沼に咲く一輪の花のようだと思えた。
俺のような平民の商人には、もう由緒正しい子爵家のご令嬢に会う機会などないかもしれない。それでも、今も領地のために頑張っているであろう少女に恥じない自分でありたいと思った。いつかもしも幸運が重なりもう一度彼女と話す機会ができたなら、あなたの言葉でここまで商会を大きくすることができたのだと伝えたい。そんな思いを胸に、俺は貿易の盛んな隣国に渡って父から経営を学びつつ、自らも商会を立ち上げその規模を拡大していった。
幸運なことに、俺には商売の才能があった。にっこりと笑いながら相手の逃げ道を塞いで契約を取り付ける手腕は冷血商人と陰口をたたかれることもあるが、相手方にもちゃんと利益をださせているのだから文句はないだろう。
自国の王太子であるアレキサンダー殿下からの接触があったのは、隣国での貿易に大きな影響力を持つようになった頃だった。
彼は脆弱な自国の経済を立て直し貿易を活発化させたいと、隣国で大きな規模となった俺の商会を誘致しに来たのだ。
その話に、俺はすぐに是と答えを返した。王太子の後押しがあれば王都や各領地に店舗を構え影響力を持つことも容易であるし、国の経済が活性化すれば、ひいてはその国に住む彼女の領地にも好影響をもたらすことができると考えたからだ。
彼女の暮らすステラシス子爵領の状況には、ずっと忸怩たる思いを抱いていた。
子爵家の状況を知ったのは、彼女からエンポロス商会に初めての問い合わせがあった時だ。水はけの悪い土地でも育つ食物について教えてほしいという美しい筆跡の彼女からの手紙に、俺の心は踊りだしそうだった。彼女とつながりができた幸運が、飛び上がるほどに嬉しかったのだ。もちろん俺は商会の力で世界中の水はけの悪い土地でも育つという植物の情報をかき集め彼女に送った。彼女の素晴らしい心映えが伝わってくるような丁寧なお礼状はもちろん大切に金庫にしまってある。
しかしもっと彼女の力になれないかと子爵領の様子を調べてみれば、分かったのは彼女の父である子爵と義母、そして義妹の散財に苦しみながら、彼女が必死で領地を支えている現状だった。
彼女に喜んでもらえるのなら、いくらだってお金を送っても構わない。しかし婚約者のいる彼女に平民の男から金を送るなど、彼女の不名誉になってしまう。彼女の相談に乗るくらいしかできない自分の無力さが歯がゆかった。
だから俺は、アレクサンダー殿下に取引を持ち掛けた。爵位と、そして港のある領地を売ってほしいと。
「今までの貸しを考えれば……もちろん協力してくださいますよね、殿下」
「お前その笑顔怖い!笑ってるのに目が笑ってないじゃないか!」
「私は殿下の鳴き声でなく『はい』か『イエス』の返答をいただきたいのですが?」
「選択肢がない⁈」
王家への支援や経済の下支えで俺に大きな借りがある殿下は、めそめそしながら一筆書いてくれた。この国の王族は先代のやらかしのせいで実は切実な財政問題を抱えている。華やかな社交界の裏で金に苦労してきた王族だけあって、この王太子は金の力を十分に理解している。非常に扱いやす……友好的な協力者だ。
「大丈夫、言い値を払ってあげますよ」
「やった!さすがメルシオ!俺もそんな台詞一度でも吐いてみたいぜ!」
途端に目の色を変えて上機嫌になった殿下は、希望通りの土地を用意してくれた。港はあるが、ほとんど放置されていた地。そこを立派な交易の要として整備し発展させる。そしてその実績をもって、貴族として堂々とステラシス子爵に治水事業の融資と技術提供を申し込もうと考えていた。事業をうちの商会で引き受ければ、いくらでも手助けができるようになる。
「でも意外だよなー。お前に金以外に執着するもんがあったなんて。しかもそれが女だぜ?知ったときは驚くより先に自分の正気を疑ったね」
「何が言いたいんです?」
「いんや?そんなに好きならさ、いっそ略奪しちゃえばと思って。爵位が足りないなら、買えばいい。お前に買えないもんなんてないだろ?」
お前になら伯爵位くらいどうにかしてやると宣った殿下に、俺は呆れた溜息をはいた。
「不敬です」
「……え?おまえが?」
「あなたがですよ、殿下。彼女を私のような平民出の商人が手にしようなどと、不敬極まりない発言です」
「……えぇ?あの、おれ、一応おうたいし……」
「彼女は誰より美しく、清廉で心優しい高貴なご令嬢なのです。それを金で手に入れようなど……。そもそも、そんなことをして彼女に嫌われたらどうするのです……!」
真剣な俺の言葉に、殿下は「大丈夫か?拗らせすぎて妄想の域に達してない?ってか実物には認識もされてないんだろ?」などとムカつく発言をしている。
「俺は、彼女が幸せに笑っていてくれたら、それでいいんですよ」
しかし季節外れの嵐で状況が一変してしまう。
彼女が婚約破棄され、次期当主の座もへらへら笑って着飾ることしか能のない義妹に奪われたというのだ。その報告に、俺は腸が煮えくり返った。
(彼女が領民のために、どれだけ努力してきたと思っている……⁈)
更には彼女の父親である子爵が彼女を三十も年上の貴族の後妻として売り払おうとしていることを知り、怒りで頭の中が真っ赤に染まった。
気づけば俺は札束で頬を叩くように、子爵に彼女との婚姻を申し込んでいた。
その後冷静になってから、俺は海よりも深い後悔に襲われる。
(あ゛ァーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、お、俺は、なんて事を。こ、こんな、彼女を金で買うような真似をして、もし嫌悪されていたら……)
自分の想像にゾッとして死にたくなる。しかし、とんとん拍子に承諾の返事がきて彼女との結婚が決定してしまった。
彼女が男爵領にやってくる日、俺は落ち着くことなどできずに玄関前のポーチでずっと立ち尽くしていた。不審げに俺を見る執事の視線が痛い。そしていざやってきた馬車を前に、心臓が口から飛び出しそうだ。
小さなころでも天使のように可愛らしかったアナベル嬢。成長した今では、当然女神のように美しい淑女になっていると想像していた。
なのに俺は、馬車から降りてきた彼女を見て呆然としてしまった。
なぜなら、実際に目にした彼女は俺の想像など軽く飛び越えるほどに美しかったからだ。
幼いころの記憶のままの白銀の髪は腰を覆うほどに豊かで、白く小さな顔に折れそうに細い手足。何より世界中の宝石を集めたって敵わないような美しい若葉色の瞳。
暗い色の簡素なワンピースを着ていても隠せないほどに彼女は美しく魅力的だった。
……誰だ、実物を見てがっかりすんなよと言った馬鹿は。あの王太子だ。
「あの……?」
十年ぶりに聞いた彼女の鈴を転がすような可愛らしい声に、ぶわっと自分の顔が熱くなるのを自覚する。首をこてりと傾げた彼女のあまりの可愛らしさに絶句する俺を、後ろにいた執事の咳払いがやっと正気に戻させてくれた。
用意した部屋やドレスは気に入ってくれただろうかと心配していたが、彼女は丁寧にお礼を言ってくれた。いやむしろ、お礼を言いたいのはこちらの方だ。彼女が俺の選んだドレスを着てくれている。それだけで、全財産を捧げたいくらい幸せだ。ドレスを着た彼女はさらに美しさに磨きがかかり、直視できないレベル。本当に、こんな女神のような女性が俺の妻となってくれるのか⁈
俺が婚姻を申し込んだことを不思議そうに聞いてきた彼女に、手紙のやり取りの事を伝える。
今までずっと、彼女にもう一度会えたならあの時のお礼をしようと思っていた。しかしそれは、まさか彼女が俺の妻になるなんて思ってもいなかったからだ。…………妄想したことがないとは言わないが。
いざこれほど美しい彼女と結婚するとなれば、彼女に恥じない完全無欠の夫にならなければ。あんな情けない泣いていた姿はそのまま忘れていてもらって、頼りになる夫だと思ってもらいたい。彼女に、俺と結婚して良かったと思ってもらいたいのだ。
あふれ出るこの気持ちをなんとか落ち着かせて、俺は彼女の領民を思う姿、その優しさに惹かれたのだと伝えた。
しかし、その言葉に彼女は悲しそうに顔を俯かせてしまう。
俺は焦った。金で買うように彼女を求めてしまった俺が愛を伝えるのは、気持ち悪かっただろうか。
「……そのように言っていただけて、とても嬉しく思います。でも……。
……私は、お金にがめつい、冷酷な守銭奴令嬢なんです。お金がなければ、誰かに優しくする事もできない、恥ずべき人間なのです」
悲しそうな言葉に、俺は首を傾げた。これほど素晴らしい彼女が、なぜ自分のことをこんなに卑下するのか本気で分からない。しかし、とにかく彼女がお金がなくて冷たい人間になることを憂いていることだけは理解した。それなら、話は簡単だ。なぜなら、そんな心配はこれから一生不要になるのだから。
「でしたら、これから毎日あなたの部屋の中を金貨でいっぱいにしましょう!あなたの部屋の前の庭を宝石で埋め尽くしても良いですね。時計台から札束をばらまく遊びをしてみるのもいい。あれはなかなか気分がよさそうですから」
あなたが安心してくれるのなら、そんなことお安い御用だ。
これから彼女をお金で困らせることなど、俺の名に懸けて絶対にさせないと断言できる。だからあなたは、俺の隣で安心して笑っていてほしい。
「不安になる事なんて何もありません。私は商人です。これからもじゃんじゃん稼ぎますし、一生あなたに溢れるほどの愛と金を捧げると誓いましょう。
——だから、あなたは一生、優しい人間でいられますよ」
俺の腕の中で、安心したようにふにゃりと笑ってくれた彼女が愛おしすぎてどうにかなりそうだ。こんなに綺麗で可愛らしい彼女に、俺が触れてしまっても良いのだろうか……?
そんなことを頭の中で悶々と考えながらも、俺は世界で一番大切なぬくもりを抱きしめながら幸せを噛みしめたのだった。
***(ザマアおまけ)***
「おーい、邪魔してるぞ、メルシオ」
ガチャリとノックもせずに入ってきたアレキサンダー殿下に、俺は鋭い視線を向ける。
「しばらく口を閉じていてください。美しい景色が穢れます」
「はい……?」
ぽかんと口を開けて固まった殿下を放って、俺はその美しい景色を見逃さないよう、すぐに視線を窓の外に戻した。
視線の先では、白きアジサイであるアナベルの花に囲まれた東屋で、最愛の妻が読書を楽しんでいる。おもしろい内容だったのか、時折ふわりとほほ笑みながら本のページに視線を落とす姿は、まさに地上に舞い降りた天使のようだ。何時間眺めていても飽きることはない。
「おっまえ、ほんと奥方のことになると人が変わるよな」
ずっと覗き見してんのかよ、とドン引きの表情を浮かべる殿下に、俺は仕方なく視線を向けて用件を聞く。
「先日のステラシス領の水害の話、聞いたか?」
俺はその話に、不愉快そうにぐっと眉を寄せる。
「聞きましたよ。あの屑ども、領民を見捨てて自分たちだけ逃げたらしいですね」
子爵領はもとから定期的に水害の起こる地だ。だからこそそこを治める領主はそのための備えをする必要があるし、被災した領民を救助する義務がある。それなのに、アナベルの父も義母も義妹もその婿となった元婚約者も、税収を自分たちの贅沢や人気取りの催しのために使い切り、今回の水害時には領民からの支援要請も捨て置き自分たちだけ安全な他領に避難したらしい。そのことに、領民たちは激怒。そして今更になって、アナベルに再び戻ってきてほしいなどという世迷いごとをほざいているらしい。
「奥方には話したのか?」
俺は重い溜息をはく。
「水害のことだけは話しましたよ。後から知った方が、アナベルは悲しんでしまうでしょうから。正直あの義妹の甘い言葉に乗っかり楽な方に流れ、ずっと領地のために頑張ってきたアナベルを蔑ろにした領民たちなんて見捨ててやりたかったですけど、それでは彼女の笑顔が曇ってしまいますからね。死人だけは出さないよう、最低限の支援は送っておきました」
「はは、冷血商人とは思えないお優しい対応じゃないか」
俺はふっと冷たい笑みを浮かべる。
「あくまでも最低限です。今頃アナベルがいた頃はどれだけ彼女が領民のために心を配っていたのか実感して涙を流して後悔しているでしょうね」
「おお怖っ」
「そう言えば逃げた子爵家の連中はどうするつもりですか?」
「あーあいつらな。さすがに領主でありながら領民を捨てて逃げたのはまずいって分かってるのか、今は予想以上の被害で自分たちだけでは支援が行き届かないから国からの援助を求めるために出てきたんだ~って体で同情を誘う演技を王宮で繰り返してるよ」
「では、これを持って帰ってあの屑どもを潰してきてください」
「ん?なんだこれ?」
「子爵家の資産推移とドレス、宝石等の嗜好品の購入履歴です。これがあれば、あいつらが自分たちの贅沢のために子爵家の資産を食いつぶして災害支援もできないほどにすっからかんにしていたことが分るでしょう」
「うっわ、こんな貴族家の内情どうやって調査したんだよ」
「この国の物流を誰が掌握していると思ってるんです?たかが子爵家の資産状況くらい、国中の商会の情報を辿ればすぐに丸裸にできますよ。領主としての義務を怠り私欲に走った証拠があれば……子爵家のお取り潰しは確実でしょうね」
うっそりと笑えば、殿下は口元を引きつらせる。
「ほんと、お前を敵に回したくないわ……。でもま、これは有難く有効活用させてもらうよ。そういえば、あいつらいろんな家に援助を求める手紙を出してるみたいだけどここにも来たのか?」
その問いに、俺は笑顔のまま暖炉の灰を指さした。散々アナベルを虐げていたくせに、恥知らずにも金を送ってくるよう上から目線で催促してくるような汚物を彼女の目に触れさせる訳がないではないか。
「ははっ、それがいい。今は大事な時期だもんな」
「ええ」
殿下の言葉に、俺はふっと頬を緩める。
窓の外を見れば、アナベルが本を閉じて嬉しそうに大きくなった自身のお腹に何か語りかけてあげている。その幸せの象徴のような光景に、俺は居ても立ってもいられずに席を立った。
「それでは殿下、その件はよろしくお願いします。風も冷たくなってきたので私は妻を迎えに行かなければなりませんので」
「おう、奥方によろしくな。子供が生まれたら、お祝い持ってまた来るよ」
お互いふっと笑い合い、俺は妻のいる庭園へと歩を進める。
声をかければ、きっと彼女は嬉しそうに笑って俺の名を呼んでくれるだろう。
そうしたら、俺は彼女を抱きしめて何度伝えても伝えきれない愛を伝えるのだ。
いつまでも、ずっと。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
ちょっとおかしいくらいヒロインの事が大好きなヒーローが書きたかったのです!
皆様に楽しんでいただけたら幸いです。




