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1.常連客たち

 極東サーバー管区によって管理されている電脳世界(メタバース)には〈ネオアジア〉と呼ばれる巨大な仮想的都市が浮かんでいる。

 そこは十八世紀のような古風な街並、あるいは十九世紀末のような懐古趣味、モダンな雰囲気の二十一世紀、まだ見ることの叶わない想像上の二十三世紀以降の世界までが、見事に融合、ときにはごちゃ混ぜにされたような奇妙な場所でもあった。

 そのなかでも二〇世紀末から二十一世紀初頭を思わせる街の、閑静で上品な住宅街を模した通りの一角で、ひっそりと佇むように営まれているバーがあった。


〈アヴァンティ〉


 それがバーの名前だ。

 出入口はあえて目立つことないようにデザインされていて、隠れ家的な雰囲気を演出していた。

 店名の刻まれた銘板は真鍮製で、控えめな暖色系のスポットライトに照らされている。その入り口の扉は、マホガニーかウォールナットを思わせる濃い色味で重厚感があり、きれいに磨かれているかのごとく光沢を放ち、高級な空気感を漂わせていた。

 常連客には見慣れたものだが、一見の客にとっては、自分がはたしてこの店にふさわしい存在なのか? と思わず自問せずにはいられない。まるで店舗自身が、訪れる客を選り分けしているかのようだった。

 扉をゆっくりと開けると、入店を知らせる鈴の音が上品に響く。

 店内の照明は控えめな明るさで、モダンジャズが静かに流れている。客たちが静かに交わす会話とジャズのリズムが相まって、独特の落ち着つきのある雰囲気を醸し出していた。

 店内のカウンター席の中ほど、二人の男が並んで、静かに会話をしながら酒を飲み交わしていた。

「テツさん、あなたはどうして中年男性の格好なんてしているんですか? それに、いつも前時代的な地味なスーツ姿じゃないですか?」

「じっさい、地味な中年オヤジさ」と、男は冗談めかして答えた。「現物も大差無いぞ」

「またまた、そんなことおっしゃって。メタで過ごすのは、どんな格好でもいいんですよ。みんな自由です。自分の内面にあるものをさらけ出しても、誰も止めたりしないですよ」

 中年オヤジと自称しているのはテツジという名の男で、メタバース世界のログインネームにも本名を用いていた。もっぱら、テツと名乗っていた。

 そんな彼と一緒に酒を飲んでいるラフな服装の人物は、アイビーという若者だ。

 履きつぶしたようなダメージジーンズと革のサンダル。若干ダボついたサイズの薄黄色のシャツには、世界一美しい数式“オイラーの公式”のデザインがプリントされていた。

 そしてなにより、目を引くのは彼の頭だ。まるでエジプトのアヌビス神みたいな格好で、ジャッカルかなにかのイヌ科がモチーフのかたちをしていた。

 もちろん、現実の彼が青年かどうかといったことも、ここでは分からなかった。このメタバース世界では性別や年齢すら意味を成さない。

 それかに、二人が度々訪れるこのバー〈アヴァンティ〉のマスターですら、シャンパンゴールドに輝いている大仏様みたいな頭をしているし、店内を見渡してみれば、常連のほとんどの人も、なにかのアニメ調のキャラクターであるとか、モフモフな外見の獣人であったり、神話の登場人物のような姿、サイバーパンクなアンドロイドやロボットのような恰好をしてる者もいた。

 奥のボックス席には、まるでファンタジー映画にでも出てくるような感じの大男 —オーク? あるいは鬼か? — が三人、ビールの入った大ジョッキ片手に談笑している。

 丸テーブルの席が並んでいる店内の中央には、ややデフォルメされた恐竜のような姿 —もしかすると実寸大のコンプソグナトゥスかもしれない— のカップルが一組、食事を愉しんでいる。

 ほかにも犬や猫といった、なにかしら実在の動物がモチーフとなっている獣人の姿も多数あった。もちろん、当たり前に人間の姿かたちをしている者もいる。

 今の時代なら、特段に珍しくもない光景だった。だがもしも、メタバース世界を知らない人 —例えば過去にコールドスリープしていて最近になって目覚めたとか、北センチネル島の住人みたいな状況の人だとか— がいたとして、この世界を初めて覗き見たとすれば、カオスのような情景と人々の姿に肝をつぶすことだろう。

 もっとも、そんな中で統計的に一番多いとされるのは、ありきたりな美男美女だという点は、どこか皮肉にも思える。

 いずれにしても、メタバース世界とはそういうものだった。それに人の姿だけにとどまらない。乗り物であったり、あるいはちょっとしたツールでもそうだ。

 ここの世界では、具現化できない姿かたちは存在しない、といっても過言ではない。

 市中の建物だって奇妙な恰好だったり、現実世界では物理的に再現不可能な構造、デザインのものだって、まるで当たり前のように存在していた。

 なんにせよ、メタを知らない現実世界からみれば、奇妙奇天烈な世界なのかもしれなかった。

「自由なんだろ?」

 テツは静かに聞き返した。「それじゃ、俺がこんな格好でいるのも自由だ。それともあれかい? この世界には、冴えない中年オヤジという存在は似つかわしくないってか?」

 テツはどこか自嘲めいた、あるいは皮肉めいた笑みをこぼし、その表情を見たアイビーは少し戸惑った。

「そんなことはないですよ。ほんとです」

「ははは、何言われたって気にもしないさ。こんな世界じゃあね」

 もちろん、メタバース世界が自由と言っても、誰も彼もなんでもかんでも好き勝手出来るというわけではない。決まりごとはあった。


・利用規約にしたがうこと

・言葉で他人を殴らないこと(この世界での物理的攻撃はあまり意味が無い)

・各々のコミュニティのルールや個人の意見は尊重すること

 これらがメタバース世界での主たる法だった。


 アイビーはカクテルを一口飲んで続けた。

「だってテツさんの格好は、パッと見で、なんというか、現実的すぎるように思うんです。といってもいわゆる、ステレオタイプ的な話になるんですけどね。歴史の教育映像で見たような、大衆労働時代のデスクワーカーみたい。それで、なんとなく不思議に思うんです。ネガティブな言い方かもしれないですけど、この世界で、その姿は“浮いている”っていうんですかね」

「俺はたぶん……リアリスト、ってやつなんだなぁ」

「あるいは、こだわりが強いとか?」

「ははは、それもあるかもしれん。それに懐古趣味ときた!」

 テツはマスターに視線を送り、空になりかけのグラスを、軽く掲げた。マスターは察したようにお代わりを注ぐ。いつもシングルモルトだ。

「それに俺だって、メタバースが嫌いなわけじゃない。だが」一口飲んで続ける。「俺は現実のほうに人生の重きを置きたいだけだ。あるいは、二十一世紀という世界への憧れ、もしくは郷愁」

「ただの懐古趣味かも」

「ははは。まあ、とりあえず、今はな。だから無意識に、こんな格好を選んでるのかもしれん」

「ある意味、自分なりのしっかりとした考えと生き方があるわけですね」

「おう! そういうことだな。それに、メタはメタならではのメリットもある」

「なんですか?」

「ここじゃあ、酔いを自由に調整できる。いくら飲んでも悪酔いしない、ってことだ! それに暴食もオッケーときた」

「現実でも食通なんですか?」

「おっと、そいつはどうかな?」

 するとマスターが声をかけてきた。

「なにかお食事をご用意いたしましょうか?」

「ああ、そうだなマスター、ちょいと軽食を頼むとしよう」

「はい、承知いたしました。お待ちください」

 それからマスターはさりげなくウイスキーのお代わりを差し出し、その場を後にした。

 テツは話題を続けた。

「メタバースじゃあ、人々の内面が見えるなんて話があったな」

「そうですよ。ここでは個人があるがままです。つまり、内面的なものだって必ず具現化できるんです」

「内面を具現化、かぁ……」

 テツジは少し身体を反らし、横目で店内を見回した。

「だが、俺はそうは思わんな」

「なぜです?」

「人々の内面じゃないね、たぶん。俺には……なんつうか、外面にまた別の外面を被せているだけにも思えるけどな。殻の中身じゃなくて、殻に殻を被せてる。メタにあふれているのは、単なる理想像と幻想みたいなもかもしれんぞ」

「おもしろい話ですね。たしか、そういったことを指摘していた学者の話を見かけたような気がします」

「学者だって? ハハハ、そりゃまた、とうてい反りの合わなさそうな連中と、俺は意見が合うわけか?」

「ええ? テツさんって、学術的な仕事でもしているんじゃないんですか? 僕はそう思ってますけど」

「そいつはどうかなぁ?」

「でもまあ、とにかく今は経済も政治もこの世界のなかにあるんです。世の中の物事の中心はメタになってしまっているんです。それでも社会は、こうして上手く動いているじゃないですか。疑問を挟んでもしょうがないですよ」

「だが、俺はなんとなく納得できないように感じるけどな。ま、だからといって否定はしないがな」

「フィクションとかでみる、ステレオタイプな昔の職人さんみたいな考え方ですね」

「じっさい職人みたいなもんさ」

「へぇー。そういえば、テツさんはメタでどんな風に過ごしているんですか? 仕事は? これまでに、ちゃんと聞いたことないですよ」

「メタバースに入るのはこのバーで酒を飲みに来るとき。あとは気晴らしにメタの街を散策するときだけだもんな、よく考えて見りゃ」

「本当ですか? じゃあ、外の世界では何をしているんです?」

「訊くのか?」

「あ、すみません。あまりプライベートなことに立ち入りすぎちゃいました?」

「いや、聞いてもつまらんぞ、ってことだ。ただの肉体労働だからな」

「それって……冗談? ほんとに、ほんとうのこと?」

「ああ、いたって真面目な話さ。外での仕事。まあ、世界の中心がメタにあろうが、現実世界でも欠かせない仕事はあるんだよ」

「外での仕事……結構、たいへんそうですね」

「まあな」

「どんなことなんです?」

「具体的に言えば設備メンテナンス、といったとこだな」

「でもずいぶんと大雑把な言い方ですね。そいうお仕事も、いろんな分野があるのではないですか?」

「業務契約上の都合。従事している内容についてベラベラと、他人に喋るなという取り決めがあるんだよ。他言無用ってわけだ」

「それもなんだか、昔気質な感じですね。ここでは情報なんて、基本的にオープンなのに」

「そりゃ俺のは外のことだからな。しょうがないさ。いろいろと決まりごとは現実の方が厳しいってもんだ」

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