17.夜の森
夜の森は静かだった。焚き火のパチパチという音だけが響く。
火は、さっき私が剣と石で点けた。火打石の要領だ。
驚くべきことに、火を点けたいと思ったら――バットが剣に変化した。鋏に続いて火打石にもなってくれるとは。万能バットめ。
「ここなら風も避けられるし、地面もそんなに湿ってないね」
私は周囲を見回しながら頷いた。森の中での寝床選びは大事だ。間違えれば、夜中に冷えたり、変な虫に襲われたりする。
「アイリは、外で寝るのに慣れてるんですね」
ん? いま、ホームレスって言われた? ――いや、そんな裏を読んじゃダメだ。ティリスに悪気はないはず。
「ボーイスカウトやってたからね」
「ぼぉいすかうと?」
ティリスが不思議そうに繰り返す。私は説明を省いて笑顔を返した。
「さて、次は食材探しだね!」
私は森の中に分け入り、数本のキノコをゲットして戻った。見た目はいまいちだけど、虫が食べてたからたぶん大丈夫。
いまいちな見た目のせいで、アイルがイヤそうな顔をする。
「それ……食べ物なのか?」
「見た目はちょっとアレだけど、たぶん大丈夫」
さっそく木の枝に差して焼き始める。
「いや、たぶんって……」
アイルは眉をひそめてキノコを睨んでいた。目力で消そうとしているようだ。
「俺が毒味しますよ?」
ティリスは何でもないような顔をして、まだ生焼けのキノコをかじる。イケメンなのに意外にチャレンジャーだ。
「あ、これは――美味いですね!」
「ほらね、好き嫌いしちゃ大きくなれないよ?」
私がからかうと、アイルはむっとしてそっぽを向いた。むくれた顔も可愛い。
「我が王は大地の恵みを無下にする方ではございません」
ティリスがにっこりとキノコを差し出す。この笑顔の圧に逆らうのは至難の業だろう。
「あ、当たり前だろ!」
アイルは、心の底からイヤそうにキノコを受け取った。渋々かじる。
「!」
思いのほか美味しかったのか、表情がぱっと明るくなった。そのままパクパクときのこをかじっている。本当に可愛らしい。
「さて、と」
他の食材の下ごしらえをしようと、私はバットを手にした。
――瞬間。
右手薬指の王家に伝わる由緒正しい指輪が光を放ち、バットが剣に変化する。なんでやねん、とツッコミを入れたくなるほどグッドなタイミングだ。
「よし、皮を剥くわよ。それ取って」
手を出す。
「……えっと、アイリ……それ、本気ですか?」
ティリスが遠慮がちに言う。
私は重々しく頷いた。うん、分かる。これは野菜の皮をむく道具じゃないもんね。
「問題ない。アイリはそれでメー太の毛も刈ったんだ」
なぜかアイルが得意そうに言う。
ジャガイモに似た野菜を受け取り、自分でも驚くほどスムーズに皮を剥き、芽も取る。そして一口大に切った。
「はい、次はこんにゃく――」
ぐにゃ。
「あれ……?」
切れない。
まるで抵抗するようにこんにゃくは無傷のままだった。私は剣を傾けて何度か試すが、どうしても切れない。
「なんで? なんでこんにゃくだけ切れないの!?」
「これは……素材の問題でしょうか?」
ティリスが真剣に考え込み、アイルはあははと笑いながら言った。
「柔よく剛を制す、とはよく言ったものだな」
「だから、どこでそんな言葉覚えてくるのよ」
しかし、まあ、あれだ。かの石川ゴエモンでもこんにゃくは切れなかったと聞く。剣豪に無理なら野球部マネージャーのJKには絶対に無理じゃん。
「こんにゃくは手でちぎった方が味が染みるのよ」
てゆうか、驚くのが遅れたけど、この世界にもこんにゃくがあったのね。
***
夜中にふと目を覚ますと、森の空気が変わっていた。
焚き火はまだ小さく燃えているけど、風がないのに木々がざわめいている。いや、これは……誰かが近づいている?
「……っ!」
私は反射的に剣を握った。――つもりだったが、バットに戻っていた。ええい、武器には違いないからどっちでもいい!
その時、複数の人影が焚き火の明かりに浮かび上がった。
「エルドロウの王だな」
低く冷たい声が夜の静寂を裂く。クレイズの刺客たち? 彼らの鋭い目は、迷いなく私たちを狙っていた。
「ああ、マジかぁ……」
私は寝起きの頭を掻きながらバットを構える。こんな時間に襲撃とか、心底いい迷惑だ。夜更かしはお肌に悪いんだから。
「ティリス、アイル、起きて!」
すぐにティリスが飛び起きた。その表情が一瞬にして凍りつく。
そして、刺客の姿を認めると、鍋の近くにあったおたまを手に取った。
「我が王の眠りを妨げた罪は死に値する!」
忠臣ティリスの低い声が刺さるように響く。焚き火の光の中で、ティリスの紅の目が赤く燃え上がった。
普段は冷静なティリスが、これほど感情をあらわにするとは。アイルの安眠を妨害するのはそこまで罪深いのか。
次の瞬間、ティリスは音もなく地を蹴った。一閃。おたまが月光を反射し、鈍く輝く。
「なっ――!?」
刺客の1人が驚愕の声を漏らす間もなく、その首におたまが叩き込まれた。その画づらは戦いというには家庭的すぎて、痛いのか痛くないのかよく分からない。
「ぐっ……!」
訂正。もんどりうって倒れた。痛そうだ。
2人目が反撃を試みるが、ティリスはその刃をおたまで弾き、瞬時に相手の懐へ踏み込む。そして、柄の部分で腹を突いた。
「うっ……!」
これもこれで痛そうだ。おたまって武器になるんだな。
「……私の出番はないみたいね」
私は手に持ったバットを形だけ構え直す。剣に変化する様子もない。
火を起こすときや野菜の皮を剥くときはマッハで変化したくせに。なんでやねん。
そして、この夜のできごとを深く心に刻む。
――絶対に、アイルが寝ているときに起こさないようにしよう。
***
朝、目を覚ますと辺りは白い霧に包まれていた。霧はひんやりと肌を撫で、不安を煽るように静かに漂っている。
昨夜まで見えていた木々の輪郭も霞み、進むべき道がまったく分からない。これもホワイトアウトというのだろうか。
「ここはロンドンか!」
と、ムダを承知で言ってみる。あ、ロンドンじゃなかった、失敬失敬――って霧が晴れてくれたりして。
「ここまで視界が悪いと移動は危険ですね」
私のボケを完全にスルーして、ティリスが周囲を見渡しながら言う。
「おはよー」
アイルが眠そうに目をこすりながら起きてきた。昨夜の襲撃でも起きなかったこの小さな王様の熟睡には脱帽だ。
「すごい霧だな。これじゃ遭難しそうだ」
起きてすぐ状況を理解したのか、冷静にアイルが言う。
「そこを何とかするのが勇者アイリ様のハンドパワーですよ」
冗談めかして言いつつ、私は指輪ごとぎゅっと剣を握った。今までも困ったときに助けてくれたんだから、今回も何とかしてくれるはず。
「お願い!」
祈るように言った瞬間。
バットが淡い光を帯び、剣の姿に変わった。
――あ、やっぱり剣ね。相手は霧だっつーのに。
「……」
もしや、と思いながら、試しに剣を振ってみる。
ヒュオッ!
空気を斬り裂く音とともに、強い風が巻き起こった。1本の剣が生み出したとは思えないほどの風圧。まるでこれは――。
「芭蕉扇にもなるの!?」
半信半疑でもう一度振る。すると、霧は勢いよく吹き飛ばされ、みるみるうちに消えていった。視界が復活する。
「これぞまさに霧散……!」
ダジャレじゃないよね、まんまだよね?
「やっぱりアイリはすごいな。期待以上だ」
アイルが満足そうに頷いた。褒められた。




