18.再会
霧が晴れ、ようやく進むべき道が見える――そう思った瞬間、目の前にそびえ立つ断崖絶壁に息をのんだ。
「え……?」
夜の闇に隠れていたのか、こんなものがあるなんてまったく気づかなかった。
「これは……登るしかないですね」
ティリスが淡々と言うが、私はフリーズしてしまった。
「いやいや、クライミングは未経験なんですけど!」
「大丈夫ですよ、俺が先に登りますので」
言うが早いか、ティリスはひょいひょいと崖を登っていき、あっという間に上に到達した。――サルか。
あっけにとられて見上げている私に向かって、ロープを投げ下ろしてくれる。
「アイリ、これで登れますか?」
「マジか……」
私はロープを握った。登り綱はあまり自信がないけれど、先に進むにはこれしかないらしい。
ふと横を見ると、アイルがじっとこちらを見ていた。
「なに?」
「いや、その……ぼくには難しいと……」
語尾はゴニョゴニョと消え去った。
「しょうがないわね」
みなまで言わずとも理解した。私はアイルに背中を向けてしゃがみこんだ。
「どうぞ、王様。しっかりつかまっててね」
アイルは素直に私の背に乗ると、小さな手で肩口にしっかりとつかまった。
やばい。かわいい。背中にいるから顔は見えないけど、絶対かわいいに決まってる。
アイルを背負いながら、私は慎重に崖を登り始めた。
「すまない、アイリ。いつか必ずぼくが背負えるようになるから」
背中から、アイルの小さな呟きが聞こえた。
***
海沿いの道は、朝日に照らされてきらきらと輝いていた。潮風が心地よく、波の音が規則正しく響いている。
「ふわぁ……海の近くだと、なんか気持ちがゆるむね」
私は崖登りで疲れの溜まった腕を伸ばしながら、大きく息を吸い込んだ。
ここまで緊張しっぱなしの旅だけど、こういう瞬間があると少し救われる気がする。
「しかし、なんともカラフルですね」
ティリスが訝しげに周囲を見回していた。視線の先には、まるで絵の具をぶちまけたような色をした動物たちがいた。
紫と黄緑のツートンのリス。同じく鳥。さらに猫までいる。なんだこのファンシーワールド。
「ねぇ、これってやっぱりアレ?」
猛タヌキ。もしくは親猛タヌキ。
アイルがこくりと頷く。
「猛タコだろうな」
「そっちかー!」
ふとファンシーカラーのよしこを思い出した。私になついた牛。元気にしてるかな。
ふわりとした思い出に浸りそうになって、私は首をぶんぶん振った。今は現実逃避してる場合じゃない。
「この先がクレイズの首都……気を引き締めましょう」
ティリスが先を見据える。
私はまっすぐ前を向いた。
潮風が吹き抜け、遠くには大きな城壁がうっすらと見えてきた。
***
海沿いの道を抜け、とうとうクレイズの首都が見えてきた。
夜の帳が降りる中、城の白い壁がぼんやりと月光を受けて浮かび上がる。
「ついた……」
ホッと息をつく間もなく、街の入り口で巡回していた兵士たちがこちらを見つけ、鋭く声を張り上げた。
「おい、そこの3人、止まれ!」
一瞬の判断が遅れ足が止まる。逃げるべきか――そう思った刹那、数人の兵士がすばやく間合いを詰め、囲み込まれていた。
「まずい……!」
アイルが動こうとした瞬間、無情にも兵士の手がアイルの細い腕をがっちりと掴んだ。
「離せっ!」
アイルは抵抗するが、兵士の力は強く、腕をねじられたまま地面に押さえつけられる。
「アイル様っ!」
ティリスが短剣――ではなくおたまを抜こうとしたが、それを見越していたかのように、別の兵士が壁になる。おたまを見て一瞬「ん?」って顔をした。
「おとなしくしてもらおうか」
背後から冷たい声が響く。振り返る間もなく、背後から腕を捕まれる。
「ちょっ……ちょっと待って! 私たちは――」
「説明は城で聞く。大人しく来い」
ぐいっと腕を引かれ、抵抗する間もなく取り押さえられてしまった。
「もう、観光気分で歩いてるから……」
ぼやいてみるものの、もがくことすらできない。
街の灯りを背に、私たちは城門の奥へと連れて行かれた。石畳に響く足音だけが、やけに大きく聞こえる。
やがて、重厚な扉が目の前に現れた。兵士がそれを開くと、視界の先には広々とした謁見の間が広がる。
――そして。
その中心に立っていたのは、見覚えのある姿……!
「……キャプテン?」
信じられなかった。夢にまで見た野球部のキャプテン。私の射止めたい人ナンバーワン。
「キャプテン! どうしてここに!?」
思わず兵士を振り払って駆け寄ると、彼はクールな表情のまま、私を見下ろした。
「おぉ、棚星。お前も来てたのか」
「来てたのかって! 修学旅行じゃないんだから!」
「まあ、俺は俺で色々あったしな」
この雑な返事、紛れもなく我が部のキャプテンだ。呆れながらも、懐かしさで胸がいっぱいになる。
でも、そんな私の思いとは裏腹に、キャプテンの視線は私ではなく、私が持つバットへと吸い寄せられていた。
「おい、それ、俺のバットじゃね?」
「えっ?」
「間違いねぇ、グリップが俺仕様だし。……うお、懐かしいな!」
キャプテンは感慨深げにバットを見つめ、私のことなんてそっちのけ。
「え、ちょっと待って? それより私との再会にもっと感動とかないの?」
「いや、だってお前よりこのバットの方が長い付き合いだし?」
「ひどくない!?」
思わず叫ぶと、キャプテンは軽やかに笑った。
「悪いな。でも、こっちに来てから野球なんかやる環境じゃなかったしな。もういらねぇよ、それ」
「……」
令和で一番ショックを受けました……。
私を甲子園に連れて行ってくれるはずだったキャプテンはもういないのね……。
崩れそうになるメンタルをギリギリのところで持ちこたえる。
「キャプテンも勇者として召喚されたの?」
「雄沙だけにな」
はははっと豪快に笑う。
「あ、そーゆうのは」
いらない、と私は手を振った。
「クレイズの王、ジュールに呼ばれた。だから、ここにいる」
「王様、ジュールっていうんだ。何かの法則を発見しそうだね」
物理の先生の顔が過る。すぐに追い払った。
「そっちはエルドロウの王だと聞いたが?」
と、まだ兵士に拘束されているティリスを目で指す。
「私の心のプリンスではあるけど、王は子どもの方よ」
「ちびっこか」
敬意のカケラもなくアイルに視線を移す。そうそう、キャプテンはこうゆう人。
「まだ小さいけど、国ではちゃんと王様だから」
「ふーん。エルドロウは敵だと聞いているが……」
ドクン、と心臓が脈打った。そうだ。ここでは敵同士だった。
「棚星とは戦いたくねえな。ジュールが聞いてくれるといいんだが……」
キャプテンの言葉が、やけに遠く感じた。




