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「今朝はあんなに困惑してたっていうのに……」


「そりゃ、理由も知らないままあんなことを言われれば困惑もするよー」


朔耶に荷物を届けた時から、まだ数時間。女子学生としての制服を見に纏う翼の姿が、朔耶の目に違和感を与えることはない。

従者として鍛えられてきた折衝力に加えて、朔耶は護衛としての能力も鍛えられている。人よりも優れたはずの洞察力をもってしても翼の真意が理解できない。


目の前で呑気にカツを頬張る少女のような姿に、朔耶は頭を悩ませることしか出来なかった。


「一応言っておくけど、私にだって少なからず思うところはあるよ。でも、私の場合はそういうのも含めて仕事だからね。朔耶ちゃんだって似たようなものでしょ?」


「まあ、確かにそうね。……でも、流石にそれは津葉木の学園生として駄目よ」


「はえ……?」


大きく開けた口にカレーを運ぼうとする翼の手を掴む。スパイスの効いた芳醇な味わいを期待していた翼の口内は、春の清々しい空気に晒され乾燥していった。


「津葉木は淑女を育てる学園なの。そんな学園内で大口開けてカレーを頬張るのは淑やかとは言えないわよ」


「えー、いいじゃん、ご飯の時くらい。食事は楽しんでこそ、だよ。他の人に迷惑かけてるわけでもないんだし」


反省の色を見せない翼。こちらの怒りを煽るようにしか見えないその振る舞いに、朔耶が耐えられたのはほんの一瞬だった。


「学園の品位を貶すような行動は慎みなさい」


「あだだだだっ!でも、だ……」


「誰も見てなくても!」


腕を捻られても、翼に反省した様子はなかった。それどころか、「ごめんなさーい」とそんな気など無いと明らかな謝罪をする始末。


朔耶の知る翼は仕事に対して真摯な人間だ。

少なくとも、目の前にいる間の抜けた少女ではない。しかし、翼という人間を知っているからこそ、彼なりの目的があるというのは分かる。咲耶は彩葉の従者として翼が呼ばれたということしか知らない。それだけが理由とは思っていないが、翼が何も知らないことは分かっている。それでも、何かを悟ったからこそ()()()という人間を作り出しているのだろう。


「まあ、あなたの振る舞い方は分かったからそれで良いわ。精々、本性を悟られないようにね」


翼の要求通り、朔耶との関係性を学園内で作った。それ以上、朔耶に分かることはない。

箸を置き、トレーを持ち上げる。翼は終始、張り付けたような笑顔を浮かべたままだった。


朔耶が席を立ち、こちらに向けられる視線の数を確かめる。


「ふう。多分これで間違ってはないと思うけど……。流石に大変かも」


残り一切れになったカツの衣をスプーンでつつきながら愚痴をこぼしてみる。肉厚のカツを包んだ衣が軽やかな音を立てる。


学園内において唯一正体を知っている朔耶との接触は早めにしておく必要があった。実際の二人が知り合いかどうかではない。周囲からどう思われるかが重要なのだ。


多少、無理矢理でもあったが朔耶と接点を作ることは成功。翼がこの学園で生活するには朔耶を巻き込むことが必要だった。


「とはいえ、朔耶ちゃんにとってみればただの迷惑だもんね。バレた時用に逃げ道も作ってあげないとだし、彩葉様との関係もあるし……」


課題を上げればキリがないが、状況が状況のためそれは仕方がない。差し迫った問題か否かをまずは吟味するところから始める。

そもそも、翼は津葉木女子学園について何も知らない。国内随一のお嬢様学園であろうが、女子高である以上、翼が深く興味を持つには至らなかった。勿論、彩葉が中等部に在籍していることは知っているし、学園のホームページから簡単に見られる内容程度であれば頭に入っている。ただその程度の知識しかないことが大きな課題でもある。翼のような従者にとっての知識や情報は基礎であり、なくてはならないもの。情報をほとんど持たない翼にとって一番の問題と言える。


情報を得るには信頼できる人、つまり朔耶から聞く以外に方法はない。エトワールとソレイユの関係が良ければ、エトワールがソレイユに興味がなければ、もっとマシな方法を取ることができた。しかし、全く異なる環境の者同士がそう簡単に仲良くなれるなどとは考えられなかった。

その結果が教室での一幕だった。


現時点での翼は空気の読めない自分勝手な人間に違いない。


「逃げ道を1つ作るだけなのに、代償が大き過ぎるよ……」


翼の食事が進まない1つの理由は、針の(むしろ)に戻りたくないから。もちろんそれだけではないが、その他の理由など些事でしかない。


つまり、気が進まないだけである。


「とはいえ、あんまり時間もないし……」


ゆったりとスプーンを掴み直し、食事をすすめる。先程までとは違い、従者らしい食べ方で。

目立たず、早く。且つ優雅に食事をすすめる。

いでいるが故、仕方のないことと諦めての行動であり、別段気に留めることもなかった。

食堂を出たのは喫食時間の終わりを告げる予鈴と同時。重い足取りのまま教室に入ったのは本鈴から数秒前経ってからだった。


入学1日目から授業が行われることはないが、午後からもカリキュラムは組まれている。主には学園内での注意事項や決まり事等、学園生活について。午前は簡単な説明のみだったが、午後からは具体的な履修範囲や授業形態の説明が多く、熱心に聞いているのはほとんどがソレイユの学生たち。エトワールの少女たちも教師の話を聞いてはいるが、その程度である。

翼もエトワールと同じく学園についてはよく聞かされていたため、BGM程度に聞き流しながら周囲の様子を観察していた。


翼にとってエトワールは既に興味の対象にない。似通った価値観に生きる人間を、翼は求めていない。他にもソレイユと関係を構築したい理由はあるが、一番の理由は価値観の多様性にある。

そのソレイユの中でもひと際翼の目を引くのは元気と明るさが取柄の少女。珍しい姓を名乗るその少女もまた翼やエトワール同様、集中して説明に聞き入っているようには見えなかった。詳しい理由まで推し量ることはできないが、彼女もまた知っている側であることは分かる。勿論、単に聞く気がないだけという可能性もあるが。


辺りをキョロキョロし続ける訳にもいかないので、ある程度聞いているというポーズを取っていると、ふとこちらに向けられた視線を感じた。視線の元を探そうかとも考えたが、翼が気付くとほぼ同時にその視線を感じられなくなった。

気のせい、自意識過剰だと自分の中で結論付けつつ、密かに警戒心を上げ、学園での1日目を終えた。

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