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危機の時代

 『危機の25年』 ニック・ロビンソン 2599年4月15日


 私の外務省におけるキャリアは凡そ17年もに及ぶが、緊迫せる国際社会の現状は今から24年前、ちょうどヘルト第4皇女アナスタシアの結婚の年より始まっていたと見ることが出来るだろう。ヘルト帝国内部の一部政治家はこの年より拡大主義、侵略主義を密かに企み、やがてそれは2576年のヘルト=リトラス紛争として現出することとなった。当初この紛争は数週間で片付く小規模紛争と見られていたが、ルネスタン共和国によるリトラス軍事援助により紛争は長期化した。小国リトラスの地は、ヘルトとルネスタンという世界二大軍事強国の代理戦争の地と化し、国土は破壊され、多くの民がユトダイン王国へと雪崩れ込んだのであった。


 ユトダイン政府は中立の立場を堅持した。外務大臣のアンディ・ウィルソンは「リトラスの地を巡る如何なる紛争に関与せず、またあらゆる無辜の市民を受け入れる体制を整えている」と声明。ユトダイン政府は併合支持派、反対派に関わらずリトラス市民の難民受け入れ方針を打ち出したのである。


 ルネスタンとヘルトの両首脳は会談の場を設け、ルネスタン政府は2581年6月にリトラス義勇軍支援の打ち切りを発表した。同時にヘルトもリトラスからの漸次撤退を表明し、大陸情勢はようやく安定の兆しを見せるかに思われた。しかしリトラス義勇軍のレジスタンスは依然として抵抗を続け、ヘルト陸軍は治安維持を名目に軍を駐留させ続けた。こうしたヘルト帝国政府の対応は、国際社会の強い非難に晒された。


 世界戦争の危機が迫る中、ウィルソンは国際紛争調停機関の設置を提唱したが、果たしてそれは聞き入れられなかった。かくしてリトラスに、暗黒の時代が訪れた。


 当時外務省の若手官僚であった私は、ジェームス王太子の協力を得て王室外交部門の設立に尽力していた。宮中からの反発はあったものの、88年には同機関の設置までこぎ着け、自ら初代王室外交部長の座に就任した。


 戦争の危機は我が王国にも迫っていた。ランカスター王子は軍部と結託して盛んに反ヘルトキャンペーンを展開していたし、世論はリトラス救済の風潮に扇動されていた。我国のみならず、80年代は世界的に「大戦争の勃発」を危惧する声、または待望する声が多く見られた年代であった。


 それと同時に、80年代は民主化の時代でもあった。国民は普通選挙の実施を訴えるべく議事堂前に集結し、軍部までもがそれを遠回しに支持していた。私は内務省の部課長らと連携して、警察力をもってこれを鎮圧させた。急速な民主化は衆愚政治を招きかねない。真の民主主義を理解する知識人は皆平和主義者である。だが80年代の民主化運動を先導したのは皮肉にも、軍部の宣伝に焚きつけられしヤクザ紛いの活動家連中であったのだ。


 軍部の要求と国民の不満は次第に高まりつつあった。時の内閣は軍事費の増額を認めたが、国民の声は止まなかった。70年代後半の驚異的な経済成長は影をひそめ、庶民の生活は閉塞感に包まれていた。何とかしてこの状況を打破せねばならない。


 2588年の軍事侵攻は、危機の時代がその頂点に達した一つの事件であったと言えるだろう。ユトダイン陸軍は大陸における勢力圏拡大の為、また対ヘルト防衛線確保の為、そして豊富な資源と広大な大地を求めて、バーバス王国への侵攻を開始したのである。

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