英雄
事件から三日、俺はようやく諜報局から解放された。そして国王陛下より直々に感謝の御言葉と、本来幼年学校優等卒業者のみに渡される恩賜の銀時計を頂いた俺は、自身が知らぬ間にとんでもない状況下に置かれていることを悟ったのである。すでに辞令を受けていた俺は、用意された王室専用車に乗り込んだ。車はそのまま王宮正門を通過した。
ところが正門前で待ち受けていたのは、大勢の記者とシャッター音の嵐であった。彼らは車道を塞ぎ、我先にと俺たちの車に押し寄せる。
俺は諜報局を出る直前、局員のサムから次のように言い渡されていた。
「専用車を用意させている。記者の前では何も話すな。窓も開けない方がいい」
それを聞いたときは、何を大袈裟なとタカをくくっていたのだが。事は想像以上に世間を賑わせているらしい。
「運転手さん、進んじゃっていいですよ。轢かないように注意して下さい」
運転手は恐る恐るブレーキを離した。車がゆっくりと前進し始める。しかし記者たちは並行して
歩き続け、車から離れてくれない。
「窓を開けてください!」
「王太子妃を救った英雄! 何か一言!」
「真相はどうなっているのですか!?」
窓を閉め切っていても聞こえるほどの大声で、記者たちが質問を投げかけてくる。俺は小さく頭を下げながら、できるだけ謙虚な姿勢に見えるよう努めていた。そういえば今朝渡されたユトダイン・タイムスの一面には、次のような見出しが躍っていた。
『英雄、ニック・ロビンソン。きょう王宮を出発予定。アナスタシア王太子妃の側近衛兵に抜擢』
俺は王太子妃の側近衛兵に任命されたのである。側近衛兵とはその名の通り、王族の側近として彼らを守護する衛兵だ。基本的には王族一人につき、側近衛兵が一人配属されている。しかし今回の王太子妃暗殺未遂を受け、アナスタシア王太子妃には特例として二人の衛兵をつけることが決定された。その二人目の側近衛兵に選ばれたのが俺である。
側近は、王室衛兵の中でもとりわけ優れた戦闘能力と、判断力を有した人間のみが選ばれる。そのため多くの側近衛兵は熟練の、軍歴の長い人物が務めているのだが、俺は王太子妃を暗殺の魔の手から守った功績が考慮されることとなった。まさに異例の人事である。
王室衛兵入隊三日での側近任命は、当然ながら過去最速でもあるらしい。そのあたりは少し誇らしい気もするが、思わぬ重役に心臓が潰されそうでもある。
それにもう一点、今回の人事を素直に喜べない理由があった。
今回俺を王太子妃の側近衛兵に推薦したのは、諜報局尋問室長のホールデンであったのだ。
「取引をしよう」
ホールデンからそう持ち掛けられた時、俺は悟った。この取引は断れない。なぜなら俺は圧倒的に不利な状況下に置かれているからだと。
「今回のアナスタシア妃暗殺未遂に関して、君の証言や行動、そして収束までの流れには、数多くの不審点が存在する。傍から見れば君は依然として疑わしい人物だ。もちろん証拠の短刀も見つかったし、君が何らかの容疑を着せられることはないだろう。しかし裁判となれば、君の不審点は鋭く追及されることになる」
「……全て、話せということですね」
「いや、そうじゃない。君がどうしても語れない秘密を抱えていることは、私にもわかっている。そして私は、そんな君の意思を尊重してあげたい。私が報告書に少し手心を加えれば、不審点は消えてなくなる」
俺の為に虚偽を織り交ぜた報告をしてくれるというわけだ。しかしこの男が、ただでそんなことをしてくれるわけがない。
「そちらの要求は何ですか」
「話が早いね。こちらの要求は次の通りだ。君に、アナスタシア妃の側近衛兵になってもらう。そして彼女の周囲の情報を少しでも、こちらに報告してもらいたいのだよ」
「側近衛兵、そんな、王室衛兵の中でも選ばれし者のみが指名されるってのに。俺には無理ですよ」
「現に君は、アナスタシア妃の暗殺を未然に防ぎ、共犯者の確保に貢献している。私の方で少し誇張させてもらうが、どちらにせよ君を王太子妃の側近に任命することに、異を唱える者はいないだろう」
俺は考えた。ここで彼の取引を蹴れば、俺の能力を明かす必要が生じてくる。ホールデンの協力を得られなければ、俺は大審院で全て包み隠さず証言しなければならないのだ。できればそれは避けたい。それに……。
俺の契約相手の精霊と再び会うためには、アナスタシア王太子妃の身体に触れなければならない。彼女の側近になれば、容易にそれが可能となる。
しかしこの男は何を企んでいる。王太子妃の周囲の情報なんか嗅ぎまわって、一体何をしようというのだ。
「あなたのメリットは、何ですか?」
「情報が欲しい。私の使命は国家の維持と安寧の為、常に最善の策を提示するところにある。アナスタシア妃を取り巻く状況は極めて厳しいものだ。不安分子の動きを監視するためにも、個人的な情報ルートが欲しいのだよ」
「厳しい状況って……。そういえば、あなたは取調室で、ジェイソンは捨て駒だろうとか話してましたが。あれは何ですか」
「……今回の暗殺未遂、確実にバックが存在する」
「計画的だった、ということですか」
「ああ。もともと過激な地下組織が存在することは知っていたが、まさか王室に危害が及ぶほどとは、我々も予想していなかった。この国は大きな闇を抱えている。ニック、君の力が必要なんだ」
その言葉がどれだけ本心かは分からなかったが、結果として俺は、ホールデンの要求を飲み込んだ。かくして俺はアナスタシア王太子妃の側近衛兵として、彼女の暮らす宮殿へと向かっているのであった。




