09.自由が終わる日
「……ジット、ラクジット!」
誰かの手がラクジットの肩を掴み、数度揺さぶる。
抱えた膝に顔を埋めて両手で顔を覆い、涙を流して悲鳴を上げていたラクジットは肩を揺さぶられて我に返った。
「あ、あれ?」
覆っていた手のひらを外し、ラクジットは涙でグシャグシャになった顔を上げる。
「わたし、は? アレクシス?」
乳児の体ではなく、開いた手のひらを見て元の大きさに戻っていると確認した。
目前には、自分とよく似た顔立ちをした双子の片割れアレクシスが身を屈め、心配そうに顔を覗き込んでいた。
先ほどまで居た離宮の一室とは違い周囲をクリーム色に覆われている此処は、ラクジットとアレクシスの夢の中。
「寝ようとしていたら、ラクジットの悲鳴が聞こえたんだ。何かあったのかって慌てて意識を繋いだ。どうかした?」
真剣な表情のアレクシスに問われ、乳児だったラクジットが見聞きした光景が脳裏に甦ってくる。止まっていた涙が二度溢れ、頬を伝い落ちた。
「アレク、わたし、お母さんの、夢を、みたの」
「お母さん? ラクジット落ち着いて」
肩を震わせてしゃくり上げるラクジットの背中をアレクシスは優しく撫でる。
彼の手のあたたかさと撫でる仕草は、優しかったリセリアと似ていて余計に涙が零れた。
「お母さんは、国王に喰われたんじゃない。自殺、城のバルコニーから身を投げたの。生け贄を得られなければ国王は弱体化する。私が生け贄にされないように。アレクシスが次の器とされないように。成長した私達が国王を倒せるように、私達に国を解放してって。ヴァルンレッドの目の前で」
「そっか……」
しゃくりあげるラクジットの額にアレクシスの額がこつんとくっつく。
「お母さん、ヴァルンレッドに、私を護るようにって」
「分かったよ。もう、喋らなくていいから」
「……うん」
隣に座ったアレクシスの肩へ顔を乗せたラクジットは目蓋を閉じ、二人はどちらともなく手を繋ぐ。
無言になった二人は、目を覚ますまで寄り添っていた。
体が後ろへ引っ張られる感覚に、ラクジットは眠りから覚める時間が来たのを察知する。
久し振りに会えたアレクシスと離れるのが名残惜しくて、繋いだ指先に力を込めた。
「もうすぐ……だ、から、また、」
クリーム色の夢の世界から、現実の世界へと意識が切り替わるその瞬間、アレクシスの唇が数回動く。
その真剣な表情から、彼から重要な事を伝えられているのは分かったが、ラクジットの耳は言葉の断片しか聞き取れなかった。
***
「ラクジット様っ」
嗚咽混じりの声が聞こえ、ゆっくりと重たい目蓋を開いた。
霞む視界に見えたのは、見慣れた薄桃色の天井と涙を瞳いっぱいに溜めたメリッサの顔。
「メリッサ? あれ?此処は……うっ、私、どれだけ寝ていたの?」
上半身を起こそうと、身動ぎした時にズキッと疼く腰の痛みにラクジットは「いたた」と呻いてしまった。
「戻ってきてから丸々二日間眠っていらっしゃいました。お怪我は無いのに起きてくださらないから、私、私……」
「二日も?」
言葉に詰まったメリッサの瞳に、じわじわと涙が溜まっていく。
涙ぐむメリッサと夢の世界で垣間見た母親の姿が重なり、胸が苦しくなってラクジットは右手で胸元を押さえた。
「ラクジット! 目が覚めたのか!? あっ」
バタンッ、と勢い良く扉を開いて、文字通り部屋に飛び込んで来たカイルハルトは、大きく目を見開いて固まってしまった。
ベッドの上で上半身を起こした寝間着姿のラクジットに、涙を流しているメリッサが抱きついている。
それは思春期の少年には少々刺激的な光景で、固まるカイルハルトの頬は真っ赤に染まっていく。
「カイルハルト様!」
背後から怒りを滲ませた声が響き、固まっていたカイルハルトは大きく肩を揺らした。
ノック無しに女の子の部屋へ入る、というとんでもないマナー違反をしたと気付いたカイルハルトの顔から、一気に血の気が引いていく。
「出ていてくださいませ」
慌てるカイルハルトの腕を、背後に立つ猫の獣人メイドが強く引っ張り退室を促す。
「わ、悪いっ」
逃げるように顔を背けて、退室していったカイルハルトの耳は真っ赤に染まっていた。
寝間着から普段着のワンピースへ着替え、朝と言うには遅い朝食を食べてお腹を満たしたラクジットは、呼びに来たメイドに先導されて部屋を出た。
部屋を出て直ぐに、廊下の曲がり角に立つ彼の姿を認めたメイドは歩みを止める。
廊下の先でぼんやり佇んでいたカイルハルトは、扉の開閉音で俯いていた顔を上げた。
「あのさ、ごめんな」
「何が?」
顔を合わせたカイルハルトからの開口一番の謝罪に、ラクジットはキョトンとして訊き返す。
「その、さっきのと……その、一緒にミンコレオ退治を出来なくて。俺がラクジットを護るって誓ったのに護れなくて、ごめん」
眉尻を下げて沈んだ声で謝罪の言葉を口にするカイルハルトは、まるで叱られた子犬だった。
プラチナブロンドの髪にアイスブルーの瞳という冷たい印象を与える色合いに、親しい者以外は素っ気なく愛想もない態度をとる彼だが、恋愛シミュレーションゲームのメインヒーローをやれるくらい、綺麗な顔立ちをしている。
難しい思春期に入っているせいか、最近は感情をあまり表に出してくれなくなったカイルハルトが落ち込んでるだなんて、幼馴染み、もしくは弟として見ていなかったはずのラクジットの胸の奥がキュンッとなった。
「私は無事だったから謝らなくていいよ。カイルもヴァルに酷いことされ無かった? 酷いことされたら私に言ってね」
「ラクジット、俺は……絶対に護るから」
「なぁに? カイル、」
まるで、自分に言い聞かせるように呟いた台詞の後半は聞き取れず、聞き返そうとしたラクジットが口を開くとカイルハルトはくるり背を向けた。
「えっちょっと、カイル?」
走り去っていくカイルハルトの後ろ姿を、ラクジットはポカンと口を開いたまま見送った。
よく分からないカイルハルトの行動に首を傾げつつ、メイドに先導されてラクジットはエルネストの自室へと向かった。
重厚な扉をノックしてからメイドは扉を開き、ラクジットは軽く頭を下げて室内へ入る。
「ラクジット様!」
「もう大丈夫、だよ?」
駆け寄ってきたヴァルンレッドには何時もの余裕は無く、へらりと笑うラクジットの顔を見て心底安堵した表情を浮かべた。
国王直属の黒騎士ではない、ラクジットに仕える優しい護衛騎士のヴァルンレッド。
ミンコレオの巣穴で意識を失う前の朧気な記憶では、力を失うラクジットの体を抱き締めた彼は今にも泣き出してしまいそうなくらい切ない表情をしていた。
夢の世界では、黒騎士としての任務を全うするため感情を排除しようと努めていたヴァルンレッド。
あの時の彼が別人に見えるくらい、今はこんなにも感情豊かだ。
(ヴァルが私に対して過保護なのは、任務だから? それとも、リセリアを死なせた罪悪感……?)
「体調は、寝過ぎてちょっと怠いくらいかな」
不安に似たモヤモヤした感情を悟られないよう、ラクジットは無邪気を装って笑顔を作る。
「ラクジット」
ソファーに足を組んで座ってやり取りを見ていたエルネストは、ラクジットの頭のてっぺんから足の先まで見下ろしてフッと目を細めた。
「ようやく目覚めたか。竜王の血による体の、外見は変化して無いな」
竜王の血。
ミンコレオの女王との戦いの後、朦朧とする意識の中で耳に届いたエルネストとヴァルンレッドの会話に何度か登場した。
竜王の血とは、そのままの意味ならばイシュバーン王族の血筋、所謂血筋チートというやつだろう。
「竜王の血、外見の変化って、竜みたく体が変化した人もいたの?」
疑問に思ったことを問えば、エルネストは「ああ」と頷く。
「元々の魔力や耐性によると思うが、過去には尾や鱗が生えた者もいたらしい。外見も精神面も変化が無いとは。やはり、お前や双子の片割れは特別か。今までの竜王は、何かしら変化が生じていたからな。竜王の血が自力で目覚めるのも希で、三百年前までは国王選定の儀で目覚めさせていた。それ以降は、転生の儀で目覚める。現国王は転生の儀で角が生えたと聞いた」
「角? って、あれ? 双子の片割れって、アレクシスも竜王の血は目覚めているの?」
いつの間に? 夢の中で会ったのに気が付かなかった。つい、ラクジットの声は大きくなってしまう。
「ええ、アレクシス王子とダリルの努力の賜物ですね」
「ラクジットの竜王の血を目覚めさせるのは、私とヴァルンレッドにとっては大きな賭けだった。目覚めるのかも、お前が血に狂わない保証もなかったからな。幾度と無く命の危機を感じさせたのに目覚めなかったお前は、ミンコレオの女王蟻への嫌悪感から目覚めるとは。フッ、本当に想定外な奴だ」
クツクツと喉を鳴らすエルネストへ、ラクジットは精一杯の反抗心を込めて睨んでやる。
「賭けって、ショック療法だとしてもアレは酷すぎるでしょ。気持ち悪過ぎて虫が苦手になったよ」
ミンコレオの蟻の下半身に四方を埋め尽くされた光景と、無数の蜘蛛形ミンコレオが這い上がってくる気持ち悪い感覚は、思い出す度に身震いがしてくる。
青ざめて小刻みに震えるラクジットの右手を、ヴァルンレッドの大きい手のひらがそっと包み込んだ。
「エルネストを止められず、御守りすることが出来ずに、申し訳ありませんでした」
「ヴァル……」
「フッ、良かったなヴァルンレッド。これで心置き無く王宮へ戻れる」
「えっ?」
エルネストの言葉を聞き、ラクジットは驚愕で目を見開きヴァルンレッドを見上げた。
瞬時にヴァルンレッドの顔から感情が消え失せ、触れていた手を離して後ろへ下がる。
「ラクジット様のお誕生日、アレクシス王子15歳の生誕祭の日に陛下の覚醒の儀を行います。陛下の肉体の状態によりますが、その時、貴女は妃として迎え入れられるでしょう。現在の陛下の肉体の状態は限界です。覚醒と同時にアレクシス王子の体への憑依、転生の儀を行うでしょうね。そうなると、ラクジット様は……」
感情を排除した声で淡々と話す彼、ヴァルンレッドが何を伝えたいのか十分すぎるほど理解したラクジットは、ぎゅっと下唇を噛んだ。
「それ以上は聞きたくない。最悪だわ」
転生の儀式をして息子アレクシスの体へ憑依し、国王は生き続けるために娘、肉体上では双子の片割れのラクジットを娶るつもりだなんて。
現国王の花嫁になるのも嫌なのに、兄の肉体で妹を娶るという鬼畜過ぎる考えに沸き上がる嫌悪感を抑えられず、震える自分の体を両腕で抱き締めた。
次話から甘くなります。




