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第5話 狙われた獲物

 ふっと流れるような風がルエンの頬をなで、彼は我に返った。

 自分でも気づかにうちに、意識が何かに捕らわれていたらしい。しかし横にいるヒールリッドが何も言わずにいるところをみると、その感覚は一瞬のことだったようだ。



「……? ルエン様。そろそろ戻りますか?」


 ルエンの視線に気づいたヒールリッドが、若干怪訝そうな目で彼に問い返す。うん、とあいまいな返事をしてから、もう一度窓の外をみるとそこには兄王子やアルゼール国の人たちの姿はなかった。騎士団に所属する幾人かの騎士たちと、クァと大きなあくびをしている竜二匹、金色の髪の少年がいるだけである。


「そうだな、あの竜を見ているのも楽しいが、お前たちの邪魔をし続けるわけにもいかないしな」


 そろそろ兵士たちに持ち場を返さないと、将軍たちから苦情が来る怖れがある(しかも、兄上に知られたらもっと面倒なことになりそうだ)。


「ではな、迷惑かけたな」

「いえ」


 兵士たちがそろって頭を下げる中、ルエンは窓から離れた。そのとき、まるでタイミングを計ったかのように、外でつむじ風が巻き起こる。


 二匹の竜が翼を拡げて、再び空へと舞い上がったようだった。大きな竜には金髪の少年が、乗るというより乗せられているような格好でしがみついている。うわっと地上にいた騎士たちが声をあげ、顔を砂埃で守っていた。塔の中にも入ってきた風に兵士たちも顔を腕で守る。ルエンも軽く腕を上げたが、竜の姿が名残惜しくて目を細めるだけで風を防いでいた。


 きゅるり。


 小さく喉を鳴らすような音。聞いたことのない動物の声の主を求めて、ルエンの目が塔の外をさまよっていたとき、ぴたりと目が合った。


 ばさりと空中で停止した赤い鱗をもつ竜。

 金色の瞳がじぃっと塔の中にいる人間たちを見つめていた。


「ルエン様」


 ヒールリッドがルエンを後ろに下がらせる。

 彼は腰に差してある剣に手を乗せて、空中でとどまり続ける竜を睨みつけていた。


「グァウ」


 その気配を察したわけではないだろうが、赤い竜がついてこないことに気が付いたのか、大きな竜が一声鳴くと赤い竜はゆっくりと首をあげ翼をはばたかせた。去り際に、再び金色の瞳がルエンを捉えたような気がしたのは思い過ごしなのかもしれない。


「そろそろ戻ろうか。ヒールリッド」

「……はい」


 いまだ警戒を解かぬヒールリッドの肩をたたき、ルエンはようやく塔を後にする。


(しかし、なぜあのとき竜はこちらを見たのだろう)


 金色の瞳が自分を捉えたと思ったのは気のせいなのだろうか。

 それとも……隠れるように見ていた自分たちを不快に思っただけなのか。


(竜に会うことを反対されないと良いのだが)


 己の近衛騎士の今後の反応を思い、ルエンはため息をついた。

 


◇◇◇



 煌びやかなシャンデリアの明かりが薄暗くなり始めた夜を照らす。

 その明かりの下には、着飾った男女たちが微笑み、会話を楽しんでいた。しかしどこか落ち着かないようなしぐさを見せ、彼らの会話の内容もほぼ同じことで占められている。


「ついにアルゼール国の竜皇女が来たとか……」

「あの噂の竜皇女とはどんな方なのか……」

「竜に乗ってきたとは真なのか……」


 最強の獣を駆る国の皇女に人々は興味津々で、伝え聞くわずかな噂を頼りに会話をする貴族たち。その内容に目を輝かせる者もいれば、眉をひそめる者と様々だ。ざわめきが覆い尽くす会場の中、ルエンは甘やかな香りを放つグラスに少しだけ口をつけた。


「ルエン様、良いのですか」


 会場の壁の近く、しかも天井からつりさげられた赤い垂れ幕のような傍にいるルエンに、ヒールリッドは一応確認のためという口ぶりで声をかけてきた。ルエンは王族だ。本来なら彼らの視線の先にいる、国王や王妃、兄のレイドリックのように貴族たちと何らかの会話をしたり、挨拶をしたりしなければいけないのだろうが、彼は会場に入り、顔見知りの大臣や公爵たちと挨拶しただけでこの場に下がってしまった。


「かまわないさ、いつものことだし、皆慣れているだろう」


 会場には年頃の若い娘も多い。小さな国で争いごとに無縁とはいえ、第二王子の妻という立場はそんな娘たちをもつ親にとっては魅力的なものだろう。しかし、ルエンは自分の精神的な幼さを前にだし、そんなことには気づかぬふりをし続けているうちに、そういった話からも縁遠くなってしまった。おまけに次期国王であるレイドリックはいまだ妻どころか、婚約者さえいない身の上である。狙うなら第一王子の方がよいと思う心理も当然のことだろう。


「兄上にはこれからダンス三昧と気の毒なことだがな」


 小さく笑いながらルエンは顔をしかめているヒールリッドを振り返った。

 確かにまだ17歳のルエンに、未来の妻など考えるのは早く、政治的なことがからいつも逃げ出しているので、かかわりあうのは面倒だと思っているのだろう。だが、もともとこういった人の多いところは苦手なのだ。人が嫌いというわけではない、一対一、もしくは少人数での会話なら難なくこなしていけるのだが、人の気配が部屋の中からあふれるほどあるという状況があまり好きではないのだ。話しかけられるわけでもないのに息苦しく感じてしまう。人の気配に、あてられてしまう。幼いときは、こういった場にでるとすぐに気分を悪くすることも多かったため、ルエンが今だこういう場所にいても、国王や王妃、兄のレイドリックからはあまりうるさく言われない。それを良いことに、いつもならこういった場は途中で抜け出すのだが、今日はそうもいかない。  


 何しろ今日の夜会はアルゼール国、竜皇女の歓迎会。

 大国の姫がくるとあって、集まった者たちはいつも以上に着飾っている。ルエンもいつものように束ねた銀髪を前にたらし、その髪の色にあった銀縁に彩られた濃紺の上下に分かれた衣装に身を包んでいた。黙って立っていれば、娘たちが喜びそうな絵姿から抜け出したような姿ではある。だが、彼の思考は早くこの夜会が終わり、部屋に帰ることだけで占められていた。つまらなそうな顔を隠しもせず、何度もため息をつきながら、あまり好きではない酒にちびちびと口をつける。夜会にはふさわしくない雰囲気だ。


「ルエン様。せめてその顔はやめてください。レイドリック様に見られたら、何もしないお前ごときがそんな顔をする資格があるか! と後からねちねちと言われますよ」

「う……兄上の説教は長いから嫌だ」

「あと少しで時間です。アルゼール国の姫君との挨拶が終われば王族の義務は一応はたされるのですから、我慢してください」


 黒を基調とした、王族の近衛騎士の服装に身を包んでいるヒールリッドは、それまで会場に流れていた音楽が小さく変わったのに気づき顔をあげた。ルエンもそれに気づき、グラスを口元から離す。


「アルゼール国、第一皇女フェリアーデ様がご到着されました」


 会場からすうっと話し声が消え、音楽以外の音が消える。

 正面にある扉がゆっくりと開き、その中央に立つ女性の姿があらわになっていく。

 ルエンも皆と同じように、そこに立つ女性の姿に視線が吸い寄せられた。




 たった一人で会場中の瞳を集めながらも、まるで王者のようにそこに立つ風格。

 注目を集めるのが当たり前のように、彼女はドレスの長い裾から足を一歩踏み出した。


 紅のような、炎を包み込んだ赤い瞳。だがその鋭さを隠すように深められた微笑みは、少女に似合わぬ妖しさを秘めていた。漆黒のような、腰まである長い黒髪が、むき出しになっている小麦色の肩やドレスの下に見える豊満な胸の谷間を隠しながら、歩く早さに合わせるようゆっくりと揺れていた。装飾などあまりないシンプルで、赤よりも深いワインレッドのドレスは、彼女のバランスの良い体と、彼女同じ年頃の娘にはない色気を高めるかのように揺らめいているようだった。


「アルゼール国、第一皇女フェリアーデと申します。このたびは、突然の来訪を快く迎え入れてくれたこと感謝いたします」


 国王たちの前についたフェリアーデは、ゆっくりと淑女としての礼をとった。その声によって、はっと我に返った貴族たちは、国王の歓迎の言葉を耳にしながらもフェリアーデから目を離すことができなかった。


「このような遠い地にわざわざ足を運んでくれたこと、こちらもうれしく思います。この国に滞在される間はごゆるりとお過ごしください」

「ありがとうございます」


 顔をあげ、微笑んだフェリアーデにレイドリックが歩み寄る。彼も今日は夜会用の服を着ているものの、金色の装飾と黒の布地の服からはどこか騎士服に近いものを感じさせられる。彼はゆっくりとフェリアーデの手を取り、その甲に口を寄せた。


「初めまして。フェリアーデ皇女。私はラグレーン国、第一王子レイドリックと申します。あなたのご滞在が満足できるものであればよいのですが」

「ありがとうございます。レイドリック王子。この国はとても美しい国ですね。空から見たとき、豊かな自然と美しい城と街並みに感動いたしました」


 フェリアーデの手を離し、二人は微笑みあう。

 だが、互いを見つめている瞳はその笑顔とは裏腹に、別の意思をもって相手を見ているようだった。そんな二人をぼうっと眺めていたルエンは、後ろからヒールリッドに背中を軽く押され、何事かと振り返った。


「何やってんですか! レイドリック様の後は、貴方の挨拶でしょう! さっさと移動してください!!」


 小声で当然の指摘を受けたルエンは、そうだったと若干顔を青ざめながらレイドリックの背中に向かって移動する。幸い、皆の視線はフェリアーデに集中しているのでルエンの焦った様子に気づいたものはいない。しかし彼がレイドリックの側についた途端、目的の背中が振り返り、緑色の刺すような瞳がルエンに向かって細められた。


「我が国を気に入っていただけて、とてもうれしいです。フェリアーデ皇女、そして後ろにいるのが私の弟であり、この国の第二王子ルエンと申します」


 さっさと挨拶しとけ。

 レイドリックの無言の声が聞こえたような気がしつつ、ルエンは彼の機嫌があまり良くないのを感じ取る。ルエンは彼の声に促され、じっとこちらを見つめるフェリアーデの前に進み出た。


 フェリアーデの強烈な印象は、彼女を前にするとさらに強まった。

 男性を引き付けるような色気と、妖しさを秘めた彼女ではあったが、何よりも印象深いのがその瞳だ。まるで炎のようだとルエンは一瞬気をのまれかけた。しかし、それに引けをとらない緑色の瞳が背中から突き刺さるのを感じ、ルエンはゆっくりと彼女の手をとり、その甲へと唇を寄せる。


「はじめまして、遠いところからよくお越しくださいました。第二王子ルエンと申します」

「フェリアーデです。初めまして、ルエン王子」


 ルエンの挨拶を受け取り、フェリアーデは微笑みを深めた。だが、ルエンに対する興味はそれ以上起きなかったようだった。手を離したルエンにそれ以上視線を向けず、彼女は再びレイドリックへと顔を動かし会話を始めた。


 それはいつもの光景だ。

 他国から来た王族たちとの会話も、ルエンは挨拶が終わるとすぐさま下がるため、レイドリックが引き継ぎ夜会は続く。それが当たり前だった、自分もその当たり前を受け入れて、その形を当然のことだと思っていた。


(なのになぜ、今自分は疎外感を感じているのだろうか)


 不意に沸き起こった感情に戸惑った。

 しかしこうしていれもどうしようもない。ルエンがいつも通りに、夜会から下がるために一歩後退したときだ。


「それでは、あなたがレイドリック王子の将来の右腕と名高い、ナサール公爵ですね」

「私ごときの噂をお耳にしていただけて光栄です」


 フェリアーデの声音が少し変わった感じがした。

 興味をひかれてそちらへと顔をむけると、そこにはレイドリックとフェリアーデに紹介を受けているナサール公爵のアリウェルの姿があった。彼女の目をみたルエンは、ぞくりと背中を震わす。フェリアーデの深められた赤い唇と、その瞳に。


 あれは獲物を見つけた、竜の目だ。


 それは直感だった。

 だが、間違ってはいなかった。


 アルゼール国の第一皇女フェリアーデは、ナサール公爵アリウェルを狩りにきたのだ。




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