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第6話 竜との遭遇

 人が獣と同じ目をしているのを初めて見た。

 様々な意味で、印象深いアルゼール国の皇女であったが、ルエンにはナサール公爵を見たときのあの瞳が一番印象に残った。ルエンはあの後、皇女に敬意を払いいつもより長く夜会に出席し、その場を辞した。何故かアルゼール国の皇女を見ていると、圧迫感のようなものを感じ、それ以上その場にいられなかったという方が正しいのかもしれない。その夜は、なんだか酷く疲れ、早々に眠りに入った。


 次の日、ルエンはまたいつも以上に早い時間に目を覚ます。

 だが、今回は何かの声によって目覚めさせられたと言っていい。まだ太陽も目覚めていない、うす暗い時間。ルエンは何故自分がこんな時間に目を覚ましたのかわからず、自分の部屋だというのに呆然としてしまった。


(はっ……いや、そうだ、何か声が聞こえて……たような?)


 聞きなれぬ声で目を覚ましたのだ。確か。

 ……ヒールリッドがいれば間違いなく、自分がどれだけ毎朝苦労して起こしていると思っているんだ! と怒られかねないほど、毎日睡眠はぐっすりとるルエンである。少々の物音では目を覚まさないのになと、首を傾げながらベットから降り、窓へと向かう。しかし、ルエンを起こしたらしい声も、何か変わったことも見当たらず、窓の外は地平線の向こうに光が走り始めたのを見せるだけ。


 だが、落ち着かない。


 いつもなら、迷うことなくベットへと戻るというのに、彼は着替えを手にしていた。そして、少し迷った後、意を決したように着替えを始める。


(なんだろう、この落ち着かない感覚は)


 ざわざわとした気配に追い立てられるよう、ルエンは静かに部屋を出て、外へと通じる道を目指し、まだ誰もいない廊下を足早に歩いた。だが、自分がどこに向かっていいのか、向かってよいのかよくわからない。ふと立ち止まれば、先ほどの落ち着かない感覚はすでに体の中から消えており、ルエンは安堵なのか苛立ちなのかよくわからない感情を吐き出すように、深くため息をついた。

 ふと、あたりを見回せばいつも城を抜け出していた道が目に入る。厩の使用人たちならもう起きているだろうし、たまには一人で馬を走らせるのも良いかもしれない。そう考えたルエンは、嬉々としてその道に足を踏み入れ、まだ眠たげな目で馬の世話をする、厩の使用人たちを目を完全に覚まさせてしまうのだった。



 ◇◇◇


「たまには二人で朝の空気を吸うのもよいものだな」

「ブルル……」


 城の裏手にある小さな森に入り、灰色の毛並みを持つ愛馬の背に揺られながら、ルエンはご機嫌で馬の手綱を握っていた。馬の名はシェスタ。この馬が生まれたとき、一目で灰色の毛並みと黒い瞳が気に入り、珍しくも父に強請ねだった雌馬だ。性格は大人しく、ルエンに従順。足も速く、手綱をもつルエンの行きたい方角を瞬時に理解する判断力ももっている。そんな愛馬とともに、森の中心付近にある湖についたルエンは、近くの木の枝に手綱をかけて、岩の上に腰を下ろす。


「最近はヒールリッドの監視の目も厳しくて、一人で出かけられることもなかったしな……遠乗りも一時間ぐらいで戻れるところばかりだったし、お前も物足りなかっただろう?」


 自分の額を撫でるルエンに満足げな声をだし、シェスタは首を摺り寄せる。くすぐったそうに眼を細めていたルエンが森の中を駆け抜けた風に視線を向けたときだ。

 

 シェスタが飛び上がるほど体を震わせた。

 鳥が一斉に飛び立つ。

 虫の声がぴたりとやみ、息を殺す。

 風が。



 風が渦巻いた。



 声をあげることもできず、震えるシェスタの体が、恐怖を伝えてくる。

 湖の上から降り立ってきた、翼の音。

 落ちる影。


 それは、湖の中にある岩場にゆっくりと足を乗せた。

 赤とところどころに混じった黒い鱗の巨体がぶるりと体を震わせ、翼を閉じる。

 岩の感触が気に入ったように喉からきゅるりと声を出した。



 竜だ。



 ルエンはごくりと喉を鳴らした。

 何故こんなところに竜が降りてくるのか、ルエンは混乱しそうになる頭の中で、必死に息を殺していた。ルエンと竜の間は民家が五軒ほどの距離ぐらいしかない。しかも、ルエンの座っているところは木一本間になく、丸見え状態。できることといえば、息を殺し、こちらの気配に気付かぬことを願うこと。シェスタもそれがわかっているのか、ルエンにぴったりとくっつきながらも必死で息を殺していた。


 竜はぴしゃりと長く太い尾を水に打ち付け、しばらく遊んでいるようだった。

 岩の上から湖を興味深げに覗き込み、魚でも眺めているのか、ぴすぴすと鼻息のような音を立てている。ルエンは最初の頃は、竜への恐怖でいっぱいだったが、次第に竜の動きが面白く、興味深げに観察するようになってきた。何しろ、こんな間近で竜を見られる機会など滅多にあるわけではない。しかも、あの赤い竜をみていれば、周りすべてが珍しく、面白い、好奇心に満ちた目と動きをしていてとても楽しいのだ。


(竜……じゃなければ、かわいいとか言えそうだな)


 ヒールリッドがいれば、そんなことを思うのは貴方だけですと突っ込まれそうだったが、ルエンは少し気持ちの余裕を持ちながら、竜をじっと眺めていた。やがて竜は、湖から興味をなくしたのか、水に突っ込んでいた顔をあげ、空を見上げる。ようやく立ち去る気になったかと、ほっとしたルエンの耳に届いたのは、小さな旋律だった。


(これは……朝の……)


 竜の喉から発せられるとは思えないほど、小さな鳴き声。

 それはまるで歌だった。

 竜が歌うことに驚きながらも、ルエンは自分を目覚めさせた正体に聞き惚れていた。

 しかし、シェスタの方はもう限界だったらしい。震えが大きくなり、ついにぺたりとその場に座り込んでしまった。そして、そのときに立ててしまった音が、竜の耳に届いてしまった。


「っ……!!」


 ぴたりと歌が止み、金色の瞳がルエンを射抜く。

 そこにあるのは、愚かにも自分の気を害した怒りか、盗み見をしていた罰を与えるものなのかわからない色をまとっていた。ただわかるのは……


(気づかれてしまったか……!!)


 紅い翼が大きく膨らみ、風が巻き起こる。

 シェスタはついに喉から鳴き声をもらし、ルエンに縋り付いた。

 ルエンは愛馬を見捨てることもできず、ここで背を向けても竜の怒りを買うのは同じことと、その場に踏みとどまる。口を大きく開け、怒りに震えた声を発した竜をみて脳裏によぎったのは、獣への恐怖と、兄に迷惑をかけてしまうことだった。いや、兄だけじゃない、自分の勝手な行動で責任をとらされてしまうかもしれない、近衛騎士の……


(うわ、牙大きい……)


 何故か冷静に竜の口の中をみていたルエンは、その牙が自分に届かずぴたりと止まっていたことに、数秒後に気づく。


「あ……れ?」


 何故だ? と顔をあげれば金色の目がルエンを見下ろし、口を閉じふっと鼻を近づけてきた。馬や小動物ならともかく、自分の命を奪いかねない生き物にすり寄られ、さすがのルエンも硬直してしまう。 


(え。なんだこの状況)


 ふんふんと鼻を鳴らす竜に敵意は見当たらない。

 獲物と認識はされていないようだが、はっきりいって、この後どうすればいいのか全くわからない。

 下手に動いて噛みつかれるかもしれないし、目の前にある牙で切り付けられるかもしれない……いやいや、尾でたたきつけられるかも……とルエンが、自分の二倍の大きさはある竜への対処で困りながらも、その行動を眺めていれば、どうやら竜はいつのまにか紐がほどけてしまっているルエンの銀髪に興味があるようだった。そしてその鼻が次第にルエンの首元へと近づき……



 ぐおおおお……ん


 赤い竜がぴたりと動きを止め、空を見上げる。つられて見上げたルエンは、一匹の大きな黒い竜がやってくるのをみてぎょっと目を開いた。竜は一直線にこちらを向かってきた後、器用にも宙にとどまる。赤い竜よりも一回り以上大きな体格をもつ竜だった。そんな竜の背から飛び降りてきたのは、黒い影。膝をつき地上におりた彼がまとうのは黒いマント、そして黒い鎧。こちらに顔を向けた彼の髪と目も黒だった。


 吊り上った目が敵意を込めてルエンを睨む。

 ぎくりと体をこわばらせたルエンに、男は唸るような低い声で言った。


「その竜から直ちに離れろ。離れなくば……殺す」


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