第23話「看病してあげるわ!」
三学期が始まって、まだ数日しか経っていない。
新学期早々、風邪を引いて学校を休んでいた。
「……最悪だ」
自室のベッドに横になったまま、重たい身体を布団の中へ沈める。
朝から喉は痛いし、頭もぼんやりしている。
さっき熱を測った時には、しっかりと三十八度を超えていた。
今日は大人しく寝ているしかない。
そう思って目を閉じようとした、その時だった。
――ピンポーン。
「……ん?」
突然鳴ったインターホンに、重たい瞼を持ち上げる。
こんな時間に誰だろう。
しばらく無視しようかとも思ったが、もう一度インターホンが鳴り、仕方なく布団から起き上がった。
「……しんどい」
気怠さを堪えながら自室を出て、そのまま玄関へ向かう。
誰が来たのかも確認せずに扉を開けると、そこに立っていたのは莉夢だった。
「結飛、生きてる?」
「……莉夢?」
こんな時間なら、まだ学校にいるはずだ。
「お前……なんでここに――」
そう言いかけたところで、急に足元がふらついた。
「ちょ、ちょっと結飛!?」
倒れそうになった身体を、莉夢が慌てて支えた。
「大丈夫!? 顔、真っ赤じゃない!」
「……熱あるからな」
「だったらこんなところまで出てこないで、寝てなさいよ!」
「インターホン鳴らしたの、お前だろ……」
「それは……そうだけど!」
莉夢は一瞬言葉に詰まると、俺の身体を支えたまま家の中へ入った。
「ほら、部屋に戻るわよ。歩ける?」
「……たぶん」
莉夢に促されるまま部屋へ戻り、再びベッドに横になった。
布団を掛け直し、枕に頭を預ける。
それだけで、少し身体が楽になった気がする。
莉夢はそんな俺の様子を、ベッドの傍らからじっと見ていた。
「……で、お前、学校は?」
「早退してきたわ」
「早退って……お前も具合悪いのか?」
「そんなの仮病よ、仮病!」
「堂々と言うなよ……」
悪びれる様子もなく言い切る莉夢に、思わずため息が漏れる。
「だって結飛がいないんじゃ、学校にいてもつまらないんだもの」
「……それで早退してきたのかよ」
まったく、こいつは。
呆れながらも、少しだけ嬉しいと思ってしまった。
「それにしても、随分つらそうね」
莉夢はベッドの傍まで寄ってくると、俺の顔を覗き込んだ。
そのまま、手が俺の額へと伸びてくる。
「……熱いわね。薬は飲んだの?」
「一応な。あとは寝てれば治るだろ」
「ふーん……」
莉夢は何やら考えるように俺を見つめていたが、やがて何かを思いついたのか、その顔に笑みを浮かべた。
「だったら私が看病してあげる!」
「……看病?」
「ええ。せっかくだから、魔界式の看病ってものを見せてあげるわ!」
「魔界式……?」
胸を張る莉夢を見ていると、なんだか嫌な予感がする。
「ちょっと待ってなさい。すぐ用意してくるから」
そう言い残し、莉夢は部屋を出ていった。
それからしばらくして、湯気を立てるマグカップを手に戻ってきた。
「はい、これ飲んで」
「……なんだ、それ」
差し出されたカップの中を覗き込み、顔をしかめる。
そこに入っていたのは、どう見ても身体に良さそうとは思えない紫色の液体だった。
「魔界に伝わる薬湯よ。風邪くらいなら、これを飲めばすぐ楽になるわ」
「本当に大丈夫なんだろうな……?」
「失礼ね。ちゃんと効くわよ」
そう言って自信満々に差し出してくる莉夢から、渋々カップを受け取る。
覚悟を決めて一口飲んだ、その瞬間。
「にっが……!」
あまりの苦さに、思わずカップから口を離した。
「ちょっと! ちゃんと飲みなさいよ!」
「こんなの一気に飲めるか!」
「薬なんだから苦いのは当たり前でしょ!」
それはそうなのかもしれないが、限度ってものがあるだろ。
それでも莉夢に急かされながら少しずつ飲んでいくと、不思議なことに冷えていた身体の内側がじんわりと温かくなってきた。
「……あれ?」
「ほら、ちゃんと効くでしょ?」
確かに、さっきまでのだるさが幾分和らいでいる。
見た目と味はともかく、効果だけは本物らしい。
「じゃあ次は、その熱をどうにかしないとね」
「まだ何かあるのか?」
「当然でしょ。看病は始まったばかりよ」
莉夢が片手を俺の前へ差し出す。
掌に光が集まったかと思うと、ぷるん、と半透明の小さな塊が現れた。
「……なんだ、それ」
「冷却用の魔法スライムよ」
「スライム……?」
莉夢はそれを摘まみ上げると、俺の額にぺたりと乗せた。
「うおっ、冷た……」
思わず声が漏れたものの、ひんやりとした感触は火照った肌には思いのほか心地いい。
「……これ、結構いいかもな」
そう思ったのも束の間、額の上にいたスライムが、じわりと形を崩し始めた。
「……莉夢」
「なに?」
「なんか垂れてきてるんだけど」
熱を吸ったせいか、柔らかくなったスライムが額からずるずると下がってくる。
眉を越え、目元へ、さらに頬まで覆い始める。
「んぐっ!?」
次の瞬間、べちゃりとスライムが顔全体を覆った。
「んんっ! んーっ!」
息ができない。
慌てて引き剥がそうとするが、手で掴もうとしてもぷるぷると形を変えるばかりで、うまく剥がれてくれない。
「ちょ、ちょっと結飛!?」
莉夢が慌てて手をかざす。
「消えなさい!」
その声と同時に、顔を覆っていたスライムが一瞬で霧散した。
「ぷはっ!」
ようやく息ができるようになり、大きく空気を吸い込んだ。
「……看病で病人を窒息させるなよ!」
「わ、わざとじゃないわよ! ちょっと熱を吸わせすぎただけなんだから!」
「ちょっとで済むか!」
「……だったら、今度こそ!」
莉夢はそう言うと、今度は俺の布団へ両手をかざした。
「身体が冷えないように、魔法で布団を温めてあげるわ」
莉夢の指先から紫色の魔力がゆらりと立ち昇った。
揺らめく魔力がそこへ染み込むように消えていき、それに合わせて布団の内側に温かさが広がっていく。
「お……これはいいかも」
熱のせいで寒気のする今には、ちょうどいい温かさだ。
――けれど、それも最初だけだった。
「……莉夢」
「なによ?」
「熱い」
じんわりとしていた温かさが、どんどん熱くなっていく。
「熱っ! 熱いって!」
耐えきれず、勢いよく布団を蹴り飛ばした。
「病人を蒸し焼きにする気か!」
「ちょ、ちょっと加減を間違えただけよ!」
「……もう普通に看病してくれ」
力なくそう呟くと、枕へと頭を沈めた。
「なによ。ちゃんと看病してたじゃない」
「……もういいから」
「むぅ……」
莉夢は不満そうに頬を膨らませる。
けれど、俺がそのまま目を閉じていると、やがて小さなため息が聞こえた。
「……わかったわよ。普通にすればいいんでしょ、普通に」
そう言って、莉夢は部屋を出ていった。
しばらくして、水の入ったコップと濡らしたタオルを手に戻ってきた。
「ほら、水。飲める?」
「ああ……」
身体を起こしてコップを受け取り、水を喉へ流し込む。
それから再び横になると、莉夢は濡れたタオルを俺の額にそっと乗せた。
「……最初からこれでよかったんじゃないか?」
「うるさいわね。魔界式だってちゃんと効くんだから」
「危険も多かったけどな……」
「もう、黙って寝なさい!」
「はいはい……」
言われるまでもなく、さすがにもう限界だった。
目を閉じると、身体から力が抜けていく。
莉夢が傍で何か言っていた気がしたけれど、その声も次第に遠くなっていった。
そして俺の意識は、そこで途切れた。
◇ ◇ ◇
どれくらい眠っていたんだろう。
目を開けると、さっきまでの身体の重さが随分と和らいでいた。
額に乗せられたタオルはまだ冷たく、熱も少し下がったような気がする。
「……ん?」
ふと、右手に何かが触れていることに気づいた。
いや、触れているというより――握られている。
視線を向けると、ベッドの傍に座った莉夢が、俺の手を握ったまま眠っていた。
「……莉夢?」
小さく呼んでみるが、返事はない。
ベッドに身体を預けるようにして、静かな寝息を立てている。
俺が寝ている間、ずっとここにいたんだろうか。
手を握られていることを意識しながら、眠っている莉夢の顔を見つめる。
魔界式だなんだと散々振り回されたけど――。
こうして傍にいてくれたことが、今は素直に嬉しかった。
「……ん」
しばらくその寝顔を眺めていると、莉夢の身体がわずかに動いた。
伏せられていた瞼がゆっくりと持ち上がり、まだ眠気の残った赤紫色の瞳が俺を捉える。
「……結飛?」
何度か瞬きをした後、莉夢はようやく俺が起きていることに気づいたらしい。
「起きたのね。具合は?」
「さっきよりだいぶ楽になったよ」
「そ。ならよかった」
莉夢は安心したように息をついた。
起きたばかりだというのに、真っ先に俺の体調を気にしてくる。
さっきまで散々な看病をされていたせいか、そんな莉夢の様子が妙に新鮮に感じられた。
その時、まだ右手に残っている温もりを思い出す。
莉夢の手は、今も俺の手を握ったままだ。
「……ところで莉夢」
「なに?」
「なんで俺の手、握ってるんだ?」
俺がそう尋ねると、莉夢は繋いだままの手へ視線を落とした。
「ああ、これ?」
てっきり慌てて離すのかと思った。
けれど、莉夢はそんな素振りを見せるどころか、俺の手を握り直してくる。
「病人が寂しくないようにしてあげてたのよ。感謝しなさい♪」
「なんだよ、それ……」
「ふふっ。結飛の手、思ったよりあったかいわね」
莉夢の指先が、確かめるように俺の手へ触れる。
寝起きだというのに、もういつもの調子に戻っているらしい。
こいつ……俺が寝込んでるのをいいことに。
そう思いながらも、不思議と手を振りほどこうとは思わなかった。
「……でも、ありがとな」
「え?」
「ずっといてくれたんだろ?」
握られた手から伝わる温もりが、今はなんだか心地よかった。
莉夢はしばらく俺の顔を見つめていたが、やがて小さく笑った。
「……まあね」
さっきまでとは少し違う、柔らかな笑顔だった。
それでも、俺の手を離そうとはしなかった。
「……莉夢」
「なに?」
「いつまで握ってるんだ?」
そう尋ねると、莉夢は繋いだ手を一度見つめる。
そして――俺の指の間へ、自分の指をするりと滑り込ませてきた。
「お、おい……」
ただ握っていただけだった手が、しっかりと絡み合う。
莉夢はそんな俺の反応を見て、楽しそうに口元を緩めた。
「病人は心細くなるっていうでしょ? だから特別に、こうしててあげる♪」
「いや、別に心細くは……」
「いいから、いいから♪」
莉夢はそう言って、繋いだ手を小さく揺らす。
絡み合った指を意識した途端、妙に落ち着かなくなってきた。
「……熱、上がったらお前のせいだからな」
「あら? それって風邪のせいかしら?」
くすくすと笑う莉夢に、何も言い返せなかった。
やっぱりこいつの看病は、普通になっても油断できない。




