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第四十九話 狩森神社の歴史

(……。取り敢えず、狩森神社についての記述を読んでみよう)


 〈神御目(かごめ)市の歴史 5〉によると、狩森神社を支配し運営していたのは狩森一族という人々らしい。


 彼らは古来より受け継がれてきた〈鬼〉を操る術を持つ巫覡の一族だという。


 鬼を従え、鬼を祓う……その人智を越えた超常の力によって、時には密かに時の権力と結びついていたこともあるらしい。


 超常の力をもってすれば、人の力では不可能なことも可能になる。たとえば、政敵を病死させたり、あるいは自らの手を汚すことなく敵対する家の嫡子を胎児の段階で殺してしまったりといったことなどだ。狩森一族は〈鬼〉を操ることでそういったことも可能にするのだという。


 彼らにとって〈鬼〉はそれそのものが呪術なのだ。


 つまり狩森家は〈鬼〉を操ることで権力争いに影響を及ぼしてきたのだろう。そうすることで自らの存在感を高めてきたのだ。


(でも、狩森神社にとっての〈鬼〉って何なんだろう?)


 それは神御目(かごめ)市に残されている数々の民話を読んだ時にも感じたことだった。


 この神御目(かごめ)の地に生きてきた人々は〈鬼〉という概念に対して独特な解釈をしてきたのではないか、と。


 その疑問に対する答えは次の項で説明されていた。




【狩森神社にとっての〈(オニ)〉とは何か】


○〈()〉と〈()


 この世の森羅万象には(カミ)が宿っている。人々に恵みをもたらす大自然そのものが(カミ)であり、自然の一構成員たる人間もまた(カミ)である。


 〈()〉とは万物に宿る(カミ)のエネルギーが正常に循環に循環している状態のことを指す。


 「〈()〉が晴れる」とはすなわち生命エネルギーまたは空気や大気の状態を含む自然現象、あるいは人においては体調や精神、もしくは魂の状態が良い方向に向かっていることを指す。


 しかしそれが悪い方に転じると〈()〉となる。


 つまり、万物のエネルギーが停滞したり、もしくは自然災害や天災が起こったり、人においては心身が正常な状態ではなくなったり病んだりすると〈()〉が〈()〉となるのである。


 ただし、〈気〉が〈()〉となるのはごく自然な現象である。


 〈()〉はいつか〈()〉となり、〈()〉はいずれ〈()〉に還る。これらは巡りゆく季節のように幾度も繰り返すものなのだ。


 狩森家の巫覡は独自に継承されてきた秘術、いわゆる(まじない)を用いることで人為的に万物に宿る(カミ)の力を〈()〉から〈()〉の状態に転じさせたり、逆に〈()〉から〈気〉の状態に変化させることができるという。


 彼らは長い年月をかけて修練を重ねることでその(まじない)を狩森呪術へと昇華させていった。


 中でも人の魂が何らかの理由で穢れ、〈()〉の状態になったものを特別に〈(オニ)〉と呼ぶようになった。


 また一方で、〈()〉は〈()〉と分けるため、いつしか〈()〉と呼ばれるようになっていった。



○狩森神道と〈(オニ)


 狩森神道において、〈(オニ)〉はいくつかの種類に分けられると考えられている。


 彼らが最も手強くそして神聖な存在として畏れてきたのが、この地上に存在するあらゆる〈()〉がひと塊となり、人に害を為す祟り神と化したものである。


 これらの中には〈()〉に転じたまま〈()〉に戻ることなく、幾星霜もの間、祟り神として存在し続けたことで、人間を凌駕するほどの高度な知能や感情、人格まで有するものもいたという。


 そのことから、徐々に狩森神道の巫覡はこれらを一般的な〈()〉と分け、〈(オニ)〉として扱うようになった。


 狩森神道の歴史は、この自然神ともいえるほどの強力な力を持った〈(オニ)〉とどのように折り合いをつけ、いかに共存するか、その方法を模索する歩みであったと言っていい。


 二番目に彼らが探求したのが、魂が穢れて〈()〉となり、その結果、〈(オニ)〉となってしまった人間への対処法だった。


 その中で最も多い事例は、強い恨みや憎悪といった怨念を抱えた人間の魂が死後もなお現世(うつしよ)にとどまり、生きた人間に危害を加える〈(オニ)〉となるというものである。


 いわゆる、怨霊に近い存在だと言えるだろう。


 狩森神社の巫覡らによると、この怨霊にも似た〈(オニ)〉は先述の祟り神に比べると、それほど強力な力を持っているわけではなく、周囲に与える影響もそれほど大きくないという。


 しかし、中には自らの怨念に囚われるあまり、常世(とこよ)への還り方すら忘れてしまっている〈(オニ)〉もおり、その(みたま)を鎮めるのは決して簡単なことではない。


 その一方で、ごく稀にではあるが、長年にわたって己が身を焦がすほどの強い恨みや未練、執着を抱いてきた人間が、そのあまりにも強すぎる怨念ゆえに、生きながらにして〈(オニ)〉になることもあるという。


 いわゆる、生霊(いきりょう)と呼ばれるモノたちである。


 狩森家の巫覡によれば、このような〈(オニ)〉の対処が最も難航しがちであるということだ。


 何故なら、祟り神や怨霊が実体を持たないのに対し、生きながらにして〈(オニ)〉になった者は生身の肉体を持つ。すなわち、周りの人々に対して霊的な暴力と同時に物理的な暴力を振るい、惨劇に発展する事例が非常に多いからである。


 また、生きながらにして〈(オニ)〉になった者は、人間であった頃の記憶やあるいは理性や感情、人格そのものを喪失してしまうという。


 つまり、人の言葉の全く通じぬ〈モノ〉になってしまうのだ。


 狩森神社の巫覡は言葉による(みたま)鎮めを得意とするため、そういった言葉の通じぬ相手には手間取りやすいという。


 さらに、他にも生霊に近い〈(オニ)〉が厄介である理由がある。それは、時間の制約だ。


 生きながらに〈(オニ)〉になった者は、当初、その魂は〈()〉の状態にあるが、肉体は〈()〉、つまり人間のままだ。しかし魂が長く〈()〉の状態にあれば、肉体もその影響を受け、徐々に〈()〉に転じていく。


 文字通り、身も心も〈(オニ)〉となってしまうのである。  


 そうなれば、もう人間には戻れない。自我を失い、記憶を失い、己が何者かも分からぬまま、ただ暴力と怨念、そして呪いを振りまくだけの哀れな存在になり果ててしまう。そのため、狩森の巫覡たちは生霊が完全に〈(オニ)〉と化す前に(みたま)鎮めの儀を行わなければならないという。


 肉体が〈()〉の状態にならなければ、まだ望みがある。


 (みたま)の状態を〈()〉から〈()〉へ戻してやりさえすれば、人に戻ることができる可能性が残されているからである。



∗∗∗∗∗


(……〈()〉と〈()〉、そして〈(オニ)〉……か。やっぱり狩森神社にとっての〈(オニ)〉って独特というか……昔話とかによくある角の生えた妖怪とは少し意味が違うんだな)


 けれど、〈(オニ)〉に関して説明された文章の中には、茜音さんに関係のありそうな部分はない。僕はそのことが一番気になった。


(茜音さんは人の姿をしているから祟り神ではないし、ちゃんとこの世に生きているから怨霊でもない。近いのは生きながらにして〈(オニ)〉になったというパターンだけど、記憶や人格を失っているわけでもない。

 狩森図書館の地下で聞いたヒソヒソ声は茜音さんのことを『自ら鬼に堕ちた娘』だと言っていたけど、少なくともこの本の中で語られている〈(オニ)〉の中には、茜音さんにぴったり当てはまる例はないみたいだ。

 ここに書いてある〈(オニ)〉はあくまでほんの一例で、他にも〈(オニ)〉になるパターンもあったりしないのかな。それとも、茜音さんが『鬼の娘』だというのは文字通りの意味じゃなくて、何らかの比喩表現だった、とか……?)


 しばらく考えてみたが、僕に答えが出せるはずもない。


 もっとも、すぐにその思考は吹っ飛んでしまった。狩森神社について書かれた文章の続きの中に、『言霊』という文字を見つけたからだ。



【〈(オニ)〉を祓うことに特化した狩森呪術の謎】


 狩森神道では、巫覡が〈(オニ)〉と対峙するのに必要な能力が三つあると言われている。


 すなわち、言霊(ことだま)見鬼(けんき)調伏(ちょうぶく)である。


 言霊とは、言葉に宿った霊的な力、いわゆる咒力でもって〈(オニ)〉に干渉し、支配する能力のことを指す。


 見鬼は〈()〉や〈()〉の流れ、あるいは〈(オニ)〉の姿を感知する才のことである。


 最後の調伏(ちょうぶく)は、あらゆる秘術や(まじない)を用い、〈(オニ)〉と化した魂から穢れを清め祓い、その御霊(みたま)を鎮める儀のことである。


 これらの言霊の才、見鬼の才、調伏の法は、正統的神道はもちろん陰陽道や密教、道教、修験道などの影響も受けていると見られる。


 そこからは、狩森家の巫覡たちが〈(オニ)〉と対峙するためあらゆる方策を研究していたこと、そして〈(オニ)〉となった魂を鎮めるためには手段を選ばず、他の流派や宗教からも貪欲に学んでいたことが窺える。



∗∗∗∗∗



(言霊の才……言葉に宿った霊的な力で〈(オニ)〉を支配する力、か。それは僕の持つ〈言霊の力〉とどう違うんだろう? 言葉を発しただけで何かに干渉するという部分は似ていると思うけど……よく分からないな)


 そもそも、狩森神社における言霊の才と、僕の持つ〈言霊の力〉が同じものを指しているのかどうかも分からない。


 試しに僕の〈言霊の力〉を〈(オニ)〉に使ってみれば結果が分かったかもしれないが、あいにくと僕は〈(オニ)〉というものに遭遇したことがない。


 ただ、一つだけ思いついたことがある。


 僕がもし、狩森神社が存在していた時代に生まれていたら、〈言霊の力〉を持つことでこんなにも悩まなくて済んだのではないかということだ。


 狩森森神社の巫覡たちは言霊の才だけではなく、見鬼の才や調伏の法などといった不可思議な力を身につけていたという。だから、僕の〈言霊の力〉が多少、暴走したところで、現代ほど悪目立ちをすることはなかっただろう。


〈……やめよう。そんなことは、考えても仕方のないことだ〉


 僕は小さく溜息をつくと、次の項目を読み始める。



【最強最悪の禁術、鬼神(きしん)の法】


 〈(オニ)〉は古来より人知を超えた超常なる力を振るってきた。そして、その多くは時には(たた)りとして、またある時は呪いとして人間社会に多大な厄災をもたらしてきたのである。


 その厄災による被害は深刻で、人々は長きにわたってその脅威に晒され続けてきた。


 狩森神社の巫覡はその〈(オニ)〉の魂を清め祓い、御霊(みたま)を鎮めることで、社会に貢献してきたのである。


 狩森神社がしばしば時の権力と結びついてきたことからも、当時の社会にとってその能力がいかに重要視されてきたかが分かる。


 しかし、巫覡としての能力の高さは完全に天賦(てんぶ)の才によるものであり、常にどの時代にも〈(オニ)〉に対応できる優れた巫覡が存在したわけではなかった。そのため、狩森神社ではしばしば〈鬼神(きしん)の法〉という禁術が用いられてきたという。


 〈鬼神(きしん)の法〉とは、呪術的な儀式を行うことによって、適性のある巫覡を人為的に〈(オニ)〉にする咒術である。


 これは従来の帰神(きしん)の法、いわゆる神懸りを狩森神道が独自に発展させたものであると考えられる。


 神の声を聞き、最も清浄なる魂を持つ巫覡を〈()〉の状態にすることで、どんな〈(オニ)〉にも負けぬ〈(カミ)〉となると信じられていたのだ。


 つまり、〈(オニ)〉と化した巫覡は狩森神道にとって〈(オニ)〉であり〈(カミ)〉でもあった。そのため、一般の〈(オニ)〉と分けて鬼神(オニガミ)と呼ばれることもあったという。


 ただし、生きながらに〈(オニ)〉となった者は、例外なく人であった頃の記憶や人格を失うという危険性を孕んでいる。これは咒法(じゅほう)によって人為的に魂の形に手を加え、存在を歪めることによって生じる副作用のようなものである。


 だが、狩森の巫覡にとってそれは些末な問題であった。何故なら、彼らにとって何よりも重要なのはこの世の森羅万象を解明し、〈(オニ)〉を制御することであったからである。


 鬼神(オニガミ)が単独で〈(オニ)〉と対峙することはない。というのも、狩森の巫覡たちは〈()〉と〈()〉、そしてそこから派生する〈(オニ)〉を、言葉に宿る霊的な力――いわゆる言霊で自在にコントロールする術を身につけているからだ。


 彼らはその力を利用し、〈鬼神の法〉によって生み出された鬼神(オニガミ)を操作し使役することで、強大な力を持つ〈(オニ)〉を調伏したのである。


 裏を返すと狩森家が安定的に〈(オニ)〉を祓うことができたのは、〈鬼神の法〉とそれによって生み出される鬼神(オニガミ)の存在があったからである。


 とはいえ、それがどのような咒法(じゅほう)であったか、狩森神社が失われた今となってはもはや知る手段は残されていない。何故なら、〈鬼神の法〉の詳細は狩森神社の中でも特に門外不出の秘術とされていたため、ほとんど資料が残されていないからである。


 ただ一つ分かっているのは、〈鬼神の法〉において、狩森神社のご神体であるいざや桜が重要な役割を果たしていたということだ。


 いざや桜は樹齢二千年を超えるという伝説を持つ、大きなしだれ桜である。春に花を咲かせる様は優美で壮観であるため、〈神御目(かごめ)〉の地に生きる人々にも大変、愛されたという。 


 いざや桜はその脅威的な樹齢や厳かな姿から、特別に霊威(れいい)の強い御霊(みたま)が宿っていると考えられてきた。


 特に狩森神社ではいざや桜は全ての御霊(みたま)が生まれ、そしてあるべきところへ還るための依代(よりしろ)であると信じられていたようだ。


 生きながらにして〈(オニ)〉になるということは、生前の記憶や理性、感情、人格などをすべて失うということでもある。つまり、〈(オニ)〉になった時点でその魂は一度、死んだも同然なのだ。


 〈鬼神の法〉という儀式を経て人としての魂を終え、〈(オニ)〉という新たな魂が生まれ変わるのである。


 おそらく、狩森神社は魂を循環させる装置の一つとして、いざや桜を活用していたのだろう。



∗∗∗∗∗


(〈鬼神の法〉だって……? 生きた人間を人為的な力で鬼神(オニガミ)にし、〈(オニ)〉と戦わせるなんて……そんなことが本当に可能だったんだろうか。何だか現実味がないし、まるでオカルトの世界の話みたいだ。

 でも、もし本当にそんな儀式が行われていたとして、人間を生きながらに〈(オニ)〉にして、人としての記憶や人格を根こそぎ奪うなんてよく考えたら恐ろしいことだし、いくら狩森神社の神事だったとはいえあまりにも残酷すぎる。現代の価値観ではとても許されないと思うけど、当の狩森家の人々はどう考えていたんだろう? 

 そもそも、この〈神御目(かごめ)市の歴史 5〉に記述されている狩森家は茜音さんと関係があるのだろうか。『狩森(かりもり)』という苗字自体はとても珍しいし、全くの無関係というというわけでもなさそうだけど……)


 ともかく、狩森神社はかつてこの神御目(かごめ)の地でかなり独特な信仰体系を築いていたようだ。


 だが、その狩森神社と現在の狩森図書館にどのような関係があるのか、今のところ何も見えてこない。


 狩森図書館の地下にある隧道(ずいどう)には確かに鳥居が建っていた。失われた狩森神社の跡地に狩森図書館が建てられた可能性は高いように思うのだが。


 他にも印象に残った部分はある。


(いざや桜は決して伝説上の存在じゃなくて、本当に実在していたんだな。しかも狩森神社の御神体だったなんて……)


 しかし、いざや桜が伝説となり、今でも神御目(かごめ)市の人々によって語られ続けているのに対し、狩森神社の記録はほとんど残っていない。また、いざや桜伝説の中でも巫覡は登場するが、狩森神社についてはその名さえ語られない。


 これはどうにもおかしいと感じざるを得なかった。


 何故なら、いざや桜は狩森神社の御神体であり、両者は本来、切っても切れない関係にあるはずだからだ。


 それなのに、狩森神社の存在だけがまるで最初から無かったかのようにきれいに抹消されている。


 〈神御目(かごめ)市の歴史 5〉に記されている狩森神社の影響力の大きさを考えると、自然にそうなったとは考えにくい。誰かが何らかの意図で狩森神社の痕跡を徹底的に消し去ったのではないだろうか。


 でも一体、何のために……?


(そもそも、どうして狩森神社や狩森神道は失われてしまったんだろう? 時の権力者に近づけるくらい大きな影響力を持っていたみたいだけど、そんな神社が呆気なく消滅してしまうものなのだろうか?)


 もっとも、僕のその疑問に対する答えは本の中でも触れてあった。



【狩森神社の終焉】


 神御目(かごめ)の地を霊的に守護することで権勢を誇った狩森神社だが、やがてその勢いに陰りが見えてくるようになる。


 きっかけは明治政府が施行した神仏分離令に端を発する廃仏毀釈であった。


 狩森神社は表面上は神道施設であるが、その教義は独特で正統的神道とは大きくかけ離れていた。また、道教や密教など、仏教由来の思想を大きく取り入れていたため、時の権力から神道の皮を被った仏教ではないかと疑念を抱かれたのである。


 さらに狩森神道に大きな打撃を与えたのが、明治政府が発した巫女禁断の法令であった。これは国家の近代化や国家神道の確立を目指すため、当時、民間に根強く残っていた迷信や呪術、そしてそれを行う巫女を排除しようと発せられたものである。


 咒術を用いて鬼を祓うことを生業としていた狩森家にとって、これは致命的とも言える法制定であった。


 狩森神社は大きく揺れ、これ以降の狩森神社や狩森神道の在り方を巡って内部で激しい派閥抗争も起き、その混乱の中、ついには御神体であるいざや桜が燃えてしまう。


 一族の結束を失ったこと、御神体を消失したことなど、さまざまな要因が積み重なり、狩森神社は衰退の道をたどることになるのである。



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