第四十八話 あるはずのない本
【鬼となった男のはなし】
あるところに一人の男がいた。
男は田畑を耕し、質素な生活を送っていた。
ある晩、男の家に何者かが侵入した。
強盗だ。そう考えた男は暗闇の中、稲を刈る鎌で強盗を斬り伏せた。
ところが、強盗は息も絶え絶えになりつつも、まだ生きている。明かりを灯して確認すると、なんと強盗の正体は人に成りすました鬼だった。大柄で醜い姿をした、異形の鬼だ。
「よくも俺の家を襲ったな」
それを知った男はたいそう怒り、その場で弱った鬼の目玉をくり抜くと壺に封印した。
目玉を奪われた鬼は平身低頭し、男に懇願する。何でもするから許してくれ、と。それに対し、男は「俺を大金持ちにしてくれたら目玉を返してやってもいい」と答える。
すると鬼はこう答えた。
「私の……鬼の血を飲めばあなたの望みは叶うだろう」
男は言われた通り、鬼の血を啜る。すると、土間の水瓶から大判小判がざくざく湧き出し、一夜にして大金持ちになった。
鬼は言う。
「さあ、願いは叶えた。目玉を返してくれ」
しかし男はそれを拒んだ。
「まだ足りない。俺は美しくて気立ての良い女房が欲しい」
再度、鬼は言う。
「私の血を飲めば、その願いも叶うだろう」
再び鬼の言う通りにすると、瞬く間に絶世の美女たちが男の元に殺到した。男はその中から最も気立ての良い女を嫁に選んだ。
しかし、男はそれだけでは満足できない。
同じようにして男は鬼にあらゆる願いを叶えさせた。
「権力が欲しい」
「うまい飯を腹いっぱい食いたい」
「優秀な跡取りが欲しい」
「病を治して欲しい」
そして、そのたびに鬼の血を飲んだ。
男の願いは全て現実のものとなり、男は瞬く間に村いちばんの金持ちとなる。
急に裕福な暮らしをするようになった男を訝しみ、人々はその理由についてあれこれと噂し合った。どうやら男は鬼の血を飲み、願いを叶えているらしいと。
その噂を聞きつけた巫覡がやって来て、男に忠告した。
「鬼の力に手を出してはいけない。鬼の血は呪いでもある。いつかあなたの身を滅ぼすだろう」
しかし、男はそれを一笑に付し、全く耳を傾けなかった。その頃には、男はすっかり鬼の力の虜になっていたからである。
最後に男が望んだのは、「不老不死になりたい」という願いだった。
ところが、鬼は首を振って言う。
「その願いは叶えられない」
男は何故だと憤慨する。これまで、望んだことは全て叶ってきたのに。
すると鬼は、冷ややかに答える。
「馬鹿者め、まだ気づいていないのか。お前は自らの欲望を実現させるために、あまりにも鬼の血を啜り過ぎた。その結果、すでに自らも鬼になり果てているのだ」
男はその時、初めて自らの体を見下ろした。それはもはや人間ではなく、異形の姿となっていた。
「まさか……俺は……俺は……!」
うろたえる男に、鬼はさらに告げる。
「鬼の力は、代償を伴う恐ろしい力だ。もはや呪いと言っていい。その力に長く触れすぎると、人は自らが鬼となる。私もかつて同じようにして鬼となったのだ。だが、お前が私の呪いを肩代わりしてくれた。おかげで私は人間に戻れそうだ。礼を言いうぞ」
そう言い終わった瞬間、恐ろしい姿をしていた鬼は男の姿になっていた。外見も声も全く同じ、生き写しだ。
そして鬼が人間に戻ったのとは逆に、男は鬼と化してしまった。
つまり二人の外見はすっかり入れ替わったのだ。
それに気づいた男は叫ぶ。
「貴様、俺を騙したな! 返せ、その姿は本来、俺のものだ!」
しかし、鬼は冷淡に男を突き放す。
「もう遅い。安易に鬼の力に手を出した、お前が愚かだったのだ」
男は怒り狂って鬼につかみかかろうとする。けれど、その手が鬼に届く前に、異変が始まった。
男の中から人間だった時のものがどんどん消えていく。
記憶や感情、人格すらも。
やがて完全な鬼と化した男は、自分が何者であったかもすっかり忘れ、終生この世を彷徨うことになった。
一方、完全に男になりきった鬼は、男に奪われた両目を取り戻すと、男の望んだ大金と地位、そして気立ての良い妻と賢い息子を得て、末永く幸せに暮らしたのだった。
∗∗∗∗∗
(何ていうか……鬼の出てくる話は救われない話が多い気がするな。後味が悪い話が多いというか……)
そう感じる原因は、どれもいわゆる「めでたし、めでたし」で終わるパターンではないからだろう。
おそらく、これらの民話は防災の伝承や人生の教訓などを込めた寓話ではなく、どちらかというと実際にあった出来事をもとにして作られた話なのではないか。
そう考えると、それぞれの話の読後感が良くないことにも合点がいく。創作された物語と違って、現実に起こった出来事にはオチがないのが普通だからだ。
(神御目市の歴史はざっくり調べてみたけど、これまで特に大きな災害があった痕跡はないし、戦争の被害を受けた様子もない。とても穏やかな町という印象だけど、残された民話には陰惨なものもけっこうある。それは何故なんだろう? 神御目市の人たちの好みというか……気質なのかな? それとも、表の歴史にはとても残せないような、何かひどく痛ましいことがあったのだろうか……?)
鬼にまつわる民話の中でさらに気になったのは、正義と悪の役割が曖昧なところだ。
どの話にも鬼と巫覡が出てくるが、巫覡は正義の味方と言えるほど活躍していないし、鬼も鬼で一様に悪とは決めつけられない。
一般的に知られている昔話や民話では、たいてい鬼は非のつけどころがない完璧な悪者だし、その鬼を退治する武士や高僧、あるいは修験者なども完全無欠の正義のヒーローとして描かれがちだ。
それらと比べると神御目市の民話はかなり異端だ。
しかも、鬼と関わった人間はみな不幸になっている。例外は最初のいざや桜伝説だけ。仮に一時は富んだとしても、鬼に関わった時点で最後には必ず災難に見舞われることが運命づけられているのだ。
それどころか、物語の登場人物の中には、何ら非がないのに鬼に関わっただけで命を落とすケースすらある。
鬼と関わりを持つ者は決して幸せにはなれない。いや、なってはならないのだ。
神御目市に残された数多くの民話を読むと、そういった執念とも言うべき強い意志を感じる。
(でも、この点にも違和感があるな。確かに鬼は強くて狂暴、人間に災いを為す妖怪として描かれがちだけど、人にとって悪いだけの存在ではないはずだ。時には鬼のその強さが信仰の対象になることもある。現に鬼や鬼子母神を祀っている神社やお寺もある。神御目市の民話でも鬼は決して単純な悪者として描写されていない。それでも、『関わると不幸になる』という考えなんだな……)
ただ、鬼をおぞましい存在としていないことから、神御目市に残された民話は感情論で鬼と関わりを持つなと言っているわけではない気がした。
(むしろ、これは警告……? この民話を残した人たちは、後世の人々に鬼とは決して関わりを持つなと伝えたいのかもしれないな)
最後に僕が気になったのは、神御目市の民話に出てくる鬼は二種類いるということだ。
すなわち、自我がある鬼とない鬼である。
特に物語上で最初から鬼として出てくる者には明確に性格や自我があるのに対して、人間が鬼となった場合は記憶や感情、或いは理性といった人間性を喪失してしまう傾向が強いように感じられた。
怒りや憎しみ、あるいは怨念が募り、怨霊や鬼となってしまうというならまだ分かる。昔話や民話にはよくあるパターンだ。
しかし神御目市の民話に出てくる鬼にはそういった怨念すら残っていない。
負の感情を含め、人間だった頃の全てを失ってしまっているのだ。
(狩森図書館の地下で聞いたヒソヒソ声は、茜音さんのことを『自ら鬼に堕ちた娘』だと言っていた。それは裏を返すと、茜音さんは最初から鬼だったというわけではない……つまり元は人間だったということじゃないかな。
でも茜音さんにはちゃんと感情があるし、人格もある。民話の中に出てきた、鬼になった人たちとは明らかに違う。これはどういうことなんだろう? 民話はあくまで民話であって、現実の世界や茜音さんには何も関係が無いということなんだろうか。
そもそも、これらの民話や狩森図書館の地下で聞いたヒソヒソ声が言うところの『鬼』って一体何なんだろう……? 昔話とかに出てくる妖怪の鬼とは少し違う感じがするけど……)
神御目市の民話はかなり特徴的で、読めば読むほど新しい発見があるし、興味もそそられる。
けれど、そこにもやはり狩森図書館や狩森神社のことは書かれていない。
女性の司書が教えてくれた通り、神御目市の民話には必ず巫覡が出てくるが、それが狩森神社の関係者であるかどうかも分からない。
(もう少し他の資料にも当たってみよう)
調べる対象を狩森神社に絞れば、何か分かるかもしれない。
僕は再び郷土史コーナーの資料棚に向かった。
本棚には数々の書籍が並んでいる。けれどやはり、その中に狩森神社に繋がりそうな手がかりはない。神御目市の歴史、文化、産業、たくさんの資料があるのに、その中で狩森神社の存在はまるで最初からなかったかのように消されている。
いや、もしかしたら、本当にそんな神社は存在しなかったのかもしれないのではないかとさえ思えてくるほどに。
(僕が狩森神社のことを知ったのは、狩森図書館の資料室で偶然、目にした一冊の本がきっかけだ。〈神御目市の歴史 5〉……あの続きを読むことさえできれば、何か掴めるかもしれないのに)
しかし、〈神御目市の歴史 5〉は途中からページ全体が真っ黒に塗り潰されており、何も読めなくなってしまっていた。
誰かが塗り潰したというよりは、人ならざる何者かの意思によって真っ黒に染められてしまった――そういう、不自然で徹底した黒塗りだった。
まるで、狩森神社の存在そのものをこの世から消し去ってしまいたいとでも言うような。
(あの黒く塗り潰された部分を読むことができたら……!)
どうにも、狩森神社の存在は隠されている気がする。
いや、茜音さんを含めた狩森図書館にまつわる全てが、現実から不自然に切り離されている。
それは何故なのだろう。狩森図書館や狩森神社には、よほど知られたくない秘密でも眠っているのだろうか。それが余計に僕の好奇心をかき立てた。
狩森図書館には何が隠されているのだろう。
茜音さんは一体、どういう人なのだろう。
知りたくて、知りたくてたまらない。
そんなことを考えながら本棚に目を通していると、ふと一冊の本が目に留まった。そして、その本の題名をまじまじと見て、僕は絶句し、硬直してしまった。
いや、そんなことがあるわけがない。でも、まさか……。
その本の題名は、〈神御目市の歴史 5〉。
4や6を始め、他の巻は全く見当たらない。ただ、〈神御目市の歴史〉の五巻だけが唐突に、他の本と本の間に挟まっている。
「これは……! どうしてこんなところに?」
疑問が口を突いて出た時には、僕はもう行動を起こしていた。
〈神御目市の歴史 5〉の背の天に手をかけ、本を本棚から引き抜こうとする。
ところがその途中、僕の手に反発するように、本が本棚の方にぐい、と引っ張られた。
見ると、本と本の間の奥、本棚の暗闇から、にゅう、と手が伸びてきて〈神御目市の歴史 5〉の小口側を掴んでいる。
その手は子どものものかと思うほど小さく、腕もひょろりとしていてとても細長い。生気を全く感じさせない、白蝋で塗り固めたみたいに無機質な白。
……何だこれ。
この手はどこから出てきたのだろうか。
まさか、本棚の中に誰か潜んでいるとでもいうのか。そんな馬鹿な。あり得ない。
混乱していると、細長い手が伸びる本棚の奥から、不気味な声が聞こえてきた。人のものとは思えないほどしゃがれた声。
――コノ本ヲ 読メバ モウ 引キ返セナクナルゾ。 ソレデモ イイノカ?
その言葉に、心臓がひっくり返るほどドキリとした。そしてその弾みで、僕は本から手を放してしまった。〈神御目市の歴史 5〉はバサッと音を立てて図書館の床に落ちる。静まり返った一般開架室の中で、その音はいやに大きく感じられた。
慌てて本を拾い上げると、特に折り目もついておらず無傷だった。床がカーペットなのでうまく衝撃を吸収してくれたのだろう。
本を手にし、立ち上がって再び本棚に目をやると、先ほどの気味の悪い腕はもうどこにも無かった。
(いまのは何だったんだろう……)
この本を読めば、もう引き返せなくなる……か。
確かにそうかもしれない。僕はこれまで茜音さんに嫌われたくなくて、敢えていろいろなことから目を背けてきた。狩森図書館のこと、茜音さん自身のこと。
それに正面から向き合うということは、茜音さんとの関係も変わってしまうことになるかもしれない。
けれど、それでも僕は知りたい。
好きだからこそ、茜音さんのことをちゃんと知りたい。
〈神御目市の歴史 5〉を携え、先ほどまで座っていた閲覧テーブルの席に戻る。そこにはいざや桜の伝説を調べるために集めた民話集が置きっぱなしになっていた。僕はそれを脇によけると、〈神御目市の歴史 5〉を開きページをめくっていく。すると、ある一文が目に入った。
『狩森神社は一般の神社と違ってどの流派にも属しておらず、独自の文化や信仰を形成してきた。その源流は古神道と鬼道の融合にあると見られており……』
間違いない。この本は狩森図書館の資料室にあった本と全く同じ内容のものだ。
ただ、狩森図書館の本に比べると、やや状態が悪い。本のあちこちが擦り切れたりして痛んでいる。つまりこの本は狩森図書館の資料室にあった〈神御目市の歴史 5〉とは別の本だということだ。
そうであるなら、この先のページを読むことができるかもしれない。狩森図書館では真っ黒になっていて見えなかった部分。まるで誰にもその存在を知られたくないかのように隠されていた部分が明らかになるかもしれない。
確か、次のページには狩森神社の写真が載っているはずだ。
僕は逸る気持ちを抑えつつ、ページをめくった。そこには四ページにわたって七枚の写真が掲載されていた。
(良かった、黒塗りじゃない……!)
掲載されている写真は一ページ当たり横二枚ずつ、最後のページだけは縦一枚になっていた。白黒だし、かなり昔に刷られた本であるせいか画像も粗い。それでも、大まかな雰囲気を掴むのには十分だった。
(狩森神社……本当に存在したんだ……!)
それが嬉しくてたまらなかった。あまりにも資料が残っていないので、自分でも狩森図書館で夢でも見て、ありもしない神社が実際に存在すると思い込んでいたのではないかと思い始めていたから。
写真を見るに、狩森神社は少なくとも表面上は普通の神社だったようだ。よくある形の鳥居、拝殿や手水舎。境内の中は豊かな緑で溢れている。
その中で特に僕が注目したのは最後のページに載っていた縦長の写真だった。
添えられていた説明文によると、狩森神社の境内には大きな銀杏の木が植わっていたらしい。写真はその銀杏の木の前で何人かの巫女と思しき女性が映っているものだった。
気になったのはその右端に映っている僕と同じくらいの年頃をした巫女だった。
「あれ……これ、茜音さん……?」
改めてよく確認してみるが、やはり右端の女性は茜音さんによく似ている。というか、もはや本人であるとしか思えない。
けれど、そんなことがあるはずがなかった。奥付を確認すると、この本が出版されたのは1958年だ。しかも本文に書かれている説明によると、この写真はその遥か前、明治時代に撮影されたとても貴重な写真だという。
その時代に生きた人が今も生きているとしたら、百歳はゆうに超えていることになる。
(それにしても、本当によく似ているな。ひょっとして茜音さんのおばあさんとか……かな)
一度はそう納得し、写真から目を離しかけた。
しかし、僕はすぐに再びその写真を凝視する。その写真に妙なものが映っているのに気づいたからだ。
茜音さんの右肩の後ろにぼんやりと人影のようなものが写り込んでいる。
一見すると、銀杏の木の窪みのようにも見えなくもない。けれど、その人影の中に刻まれたさらに濃い三つの影が、どうしても人の顔に見えて仕方ないのだ。濃い影のうちの二つが目、残った一つが口という風に。
(こういうのって、シミュラクラ現象って言うんだっけ……)
ただ、単なる脳の錯覚とも違う気がする。
何故なら、顔に該当する部分に一対の目が光を放っていたからだ。暗闇で光る獣の目のように爛々と。
逆に口の辺りは周囲と比べてひときわ黒く、まさに口が半開きになっているように見える。
まるで、こちらに何かを訴えかけているような……。
(なんだか心霊写真みたいだな……)
もっとも、そう決めつけるのは尚早だ。本に載っている写真はどれも印刷が荒いし、もともとの写真もとても古いものであるらしい。写真そのものがくすんでいたり、汚れが付着していたりして、それが偶然、人影のように見えたとしても何ら不思議なことではないだろう。
ただ、その人影の悲しみ、もしくは苦しみに満ちた苦悶の表情は僕に強烈な印象を残したのだった。




