第3章 異世界に転生しても編集者のままでした・その1
数十秒ほど思案して、俺は口を開いた。
「まあ、そういうことでしたら、出来上がった魔法書を私がしっかり校正して、修正箇所が見つかったらトニオさんの《文字修正》の魔法で正しく修正して、という感じでやっていきますか。ただ、お二人ともこれからはもうちょっと腰を落ち着けて書くことをおすすめします。そうすればお二人の書くよい文章は、さらに効果の高い魔法書となるはずです」
という感じでまとめてみた。
「あら、言ってくれるわね。アタシに落ち着きが足りないってこと?」
局長の言葉は明るいが、多少は驚いたのだろう、ちょっと上ずっているようにも聞こえる。
「いえ、そうは言っていません。局長の文章の魅力は元気で真っ直ぐな勢いにあると思います。それを殺しちゃいけない。ただ、勢いよくペンを振るう前に、少しだけ未来をイメージしてほしいんです。これから書こうとする文章を思い浮かべて、それがどういった結果になるか、あるいはどういった結果にしたいかを考えてみる。それだけでさらにおもしろくなるはずです、局長の文章は」
偉そうに言ってるなあと思うものの、嘘は伝えていないつもり。
なぐり書きの原稿も俺は嫌いじゃない。そしてそれをそのまま本にしようというのなら、ほんの少し読者がどう読むかを想像したら、なぐり書きの勢いを演出に変える視点が育つはず、という意見である。
「ふふふ、その言葉の選び方、嫌いじゃないわ」
「どうも」
子供みたいな字だし子供っぽい文章だが、局長自身はそれらを確信して実践しているフシがある。そう思った俺のアドバイスは、とりあえず受け入れられそうだった。
「私は?」
トニオが尋ねてくる。俺はコホンと咳払いをして、
「トニオさんの文章はキレイです。言葉選びも文体の練り方も素敵です。だからこそ、自分の心に、読む側の視点を用意してみてください。心に読者を住まわせる……難しいんですが、それができればトニオさんの文章はさらによくなります。完成度が段違いにあがるはずです」
と言ってみた。まあ、言うは易しではあるんだけど。
「ふむ……確かに書いている瞬間は、精霊の気持ちを忘れてしまいがちではある。参考にしよう」
そう言いながらトニオはうなずいてくれた。素直で助かる。
その後はひたすら魔法書を開いては俺が校正の余地がありそうなところを見つけ、講釈を交えながら修正ポイントを提案し、二人がうなずくという時間が続いた。
二人はかなり満足してくれた様子。
俺もなんだか楽しかった。編集者の初心を取り戻した気がしていた。
実際、仕事をしていると編集の理念なんてもんは吹き飛んで、目先の作業に追い立てられるばかりの毎日だった。校了して一息入れたい瞬間も、かんばしくない売上や多すぎる返本などの地味で嫌な現実と直面させられげんなりしていた。
だが、この異世界は、俺にとって嬉しいことに、今のところ純粋に編集のことだけ考える余裕がある。魔法の意味や価値について、俺はまだ理解が浅いが、とりあえず本と真正面から向き合えることだけは喜びたい。
数十冊におよぶ校正作業が一段落したタイミングで、局長が、
「じゃ、そろそろ晩ごはんにしましょうか」
と提案してくれた。
局長とトニオの後について、魔法書研究局を出る。
ヨーロッパの古城の内部ってこんな感じなのかなあと思いながら、太い木の柱やつるつるした石の床や煉瓦を積んだ壁などを眺めて歩く。歩きながら感じたのは、若干の統一感のなさだろうか。ツギハギっていうか、増築とか改装を長い年月でやってきました、という雰囲気の建物だ。
「どうぞ、入って」
局長の言葉とともに年季を感じさせる木の重たそうな扉が音もなく開く。
部屋の中に入ると、まあ、豪華だ。ずいぶん昔に編集した『死ぬまでに泊まってみたいヨーロッパの宮殿ホテル』って本に掲載したイタリアの宮殿やドイツの古城を改築したホテルの内装を思い出す(まあ写真で見ただけだけど。現実を知らなくても編集できちゃうのが、編集者の悲しいところである)。
豪奢なテーブルに着席し、当たり前のように登場するメイドさんたちに給仕され、食事を摂る。スープとかパンとか肉とか。インテリアの豪華さと比べると食事は質素な感じがした。まずくはない。
「ダイゴローはどこから来たの?」
局長にそう聞かれ、口に入れようとしていた肉を皿に戻して……少し思案して返事をした。
「日本という国からです」
嘘をつく理由も意味もないような気がしてそう言ってみたが、ふたりの反応は薄かった。
「ふうん……ここじゃない世界ってことかしら」
局長が飲み物を口に運びつつそううなずくと、
「おそらくはそうでしょう。先の大戦時に異世界召喚の魔法を試みた記録がいくつか残っています。それらのどれかが発動したのかもしれません」
トニオがそうコメントする。
「日常的にあることなんですか、私のように異世界からこの世界へ人間がやってくる、というケースは?」
そこまで珍しくない事例であるならば、同じ境遇の人間に会えるかもしれないと考えての発言だったが……。
「さあ? 百年に一度あるかないかってところじゃないかしら。御霊の言葉にはよくあるけどね、異世界転生がどうのこうのって」
「たいがいは役に立たず、すぐに処分されていたようですね、記録を参照する限りは」
局長とトニオは、やはりそこまで興味を抱く雰囲気ではなく、俺の求める情報はくれなかった。ところで御霊ってなんだろう? ていうか処分って。好きで来たわけでもないのに役に立たないという理由で処分されてはたまらない。
「……おふたりのお役に立てるよう、がんばります」
殺されたくはないので一応そう言ってみる。
「安心して。アンタの《校正》はアタシにとっても魔法書研究局にとっても価値があるわ。だから当面は研究局で雇ってあげる。部屋も食事も手配してあげるから、露頭に迷うことはないわよ」
「今日一日見ただけでもダイゴローの《校正》には驚かされた。私たちの研究に協力してもらえたら嬉しい。わからないことや困ったことがあったら何でも言ってくれ」
ふたりの美少女からそう言われ、嬉しさがこみ上げてくる……ことはなかった。
俺は編集者としての能力の一端を見せ、ふたりはそこに価値を見出してくれた。当面の衣食住が保証され、その対価として俺は編集者として働く。それだけのことだ。
わけのわからない境遇に放り込まれた立場としては、別に理性を保つ義理なんてないが、もう俺もオッサンだ。今さら物語の主人公になりきって、裸一貫で異世界で何かをしてやろうなんて気力もない。今までの経験でメシが食えるっていうのなら、じゅうぶんありがたい。
メイドさんが注いでくれた柑橘系の香りのする水を一口飲み、食べかけの肉を頬張りながら、処分されない程度には、しっかり働こうと考えた。
流されて生きるのが、俺だ。
現代日本で編集者をやっていた頃と、あまり変わらないスタンスだ。まあ、オッサンの編集者なんてだいたいみんなそうか。




