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第2章 編集者は異世界でも本をつくりたい・その3


 トニオがどこからかよいしょよいしょと重たそうな木製の机と椅子を運んできてくれ、魔法書研究局の内部に俺の居場所が用意された。

 そしてトニオから局長と呼ばれる少女がうんしょうんしょと何十冊もの本を持って机に平積みしてくれた。

 その間俺はほぼ棒立ちしていたわけだが、細腕の美少女たちはおそらく魔法の力を頼っているのだろうから、別にいいやと傍観を決め込んだ。きっと「魔法で強化された美少女たちの腕力」は「おっさん編集者の膂力」に優るんだろうから、下手に手出しをしないに限る。

「さ、座って」

 局長が俺に着席を促す。ペコリと一礼して座る。机があって本がある。うーん、編集者の職場って感じ。やる気が自然と湧いてきた。

「じゃ、早速だけど、アンタの魔法である《編集》や《校正》を見せて」

「私の魔法書も《校正》してもらいたい。頼めるだろうか」

 両脇を美少女に囲まれて仕事をするのは初めての経験だが、そんなことで動揺するようでは編集者はつとまらない。

 俺は冷静に本を手にして開いた。

「校正の基本は……まず何よりも丁寧に読むことです。雑念や余計な一次情報を排除してただ純粋にテキストにあたる。これを素読みと言います」

 なーんて偉そうに講釈しながらページをめくってみたり。

「ん。例えばこことかは校正すべきかもしれません」

 いきなり見つけた。俺がページの該当箇所を指差すと、二人が両サイドから身を乗り出して覗き込んでくる。美少女たちの美貌が近い。やっぱり、やりにくいな。



 清潔な布で拭った農夫は鏡を天に向けた。

 天から小さな虹が鏡に降り注ぐ。

 農夫は鏡を抱きしめて感謝した。



「私の《火》の魔法書だ。春先に地中の暖を増やすための魔法書だが……これにミスが?」

 トニオの声が多少緊張しているのが伝わってくる……というか近すぎるので息吹も感じる。なんかくすぐったい。が、動揺している場合ではない。ちゃんと校正の価値を伝えなければ。

「まずは可読性という観点、つまり読者が読みやすいかどうかという点から考えると……一行目は主語の位置がよくない。〈農夫は清潔な布で拭った鏡を〉とするか、あるいは〈清潔な布で拭った鏡を農夫は〉としたほうが読みやすくなります。拭うという動詞が鏡に対するものであることは明確ですから、文意をつかめないというほどのことはありませんが、仮にこの部分が、きれいな光を放つ、だったらどうです? きれいな光を放つ農夫は鏡を、としたらまるで農夫が光っているように読めてしまう」

「なるほど……」

「言っている意味はよくわかるわ」

 トニオも局長も素直にうなずいてくれた。

「三行目も校正の余地はあるかもしれません。文法上は間違っていませんし、読みにくい文章でもありませんが……つながりを考えるとどうかなと。二行目で鏡に天から虹が降り注いでいる情景が描写されています。天と鏡とが虹という線で繋がっているわけですよね。でも三行目でいきなり鏡を抱きしめてしまうと、虹の線が切れてしまうというか、虹の線がどうなるのかがちょっとすぐにはわかりにくい。例えばですが、農夫は感謝し、鏡を抱きしめた。とするだけでもだいぶ印象は変わります。虹の線を視覚的に確認しつつ農夫はしっかりと天への感謝を示し、そうしてその後、鏡をそっと抱きしめる、という流れが読めれば読者はより場面をイメージしやすくなるはずです」

「……確かにそうかも!」

 局長が華やいだ声を上げてくれる。

「うーむ……そこまで読み解けるのか、《校正》は」

 トニオも感心したような声をもらしてくれる。

「書き直して詠唱するまでもないわね、ダイゴローが言ってくれたとおりにすれば魔法書の力がアップするってイメージできるわ」

 局長がうんうんとうなずく。ふわふわした桃色の髪が俺の間近で揺れて、くすぐったい。

「同感です、局長。この調子ならすべての魔法書に《校正》する余地があるでしょう」

 トニオの口調は静かだが、興奮しているのがやはり呼吸でわかる。くすぐったい。

 俺は二人を振りほどくように、首をグルンと回して背を伸ばした。

「お二人はどうやって魔法書を書いていますか?」

 そう質問すると、

「どうって、〈白い魔法書〉を用意して、そこにペンとインクで直接書き込んでいるんだけど?」

 局長はさも当然という口調で答え、

「手順を知りたいのか? 順序としてはまず魔法に関するオーダーがあり、それを実現するための魔法をイメージし、局長の許可を得て〈白い魔法書〉を手に入れ、書く、という流れだが?」

 トニオはより詳細にプロセスを教えてくれた。


 やっぱりか。

 この世界が、編集という概念が存在しない異世界であることを、その態度から俺は改めて理解した。

 要するに、〈原稿〉と〈本〉の区分がないのである。

 俺のいた世界では、〈作家が書く〉という行為は〈原稿〉の作成を意味した。

 そうして出来上がった〈原稿〉を元に〈本〉をつくるのが編集者という職業だ。

 ところがこの世界では編集者がいないから……というより印刷技術が進歩していないからだろうが、〈原稿〉と〈本〉がイコールであり、ゆえに編集者が不要となり、したがっていきなり〈本〉ができあがってしまう流れになっている。

 トニオの文章は相当に理性的な構成をしているし、高い知性も感じ取れる文体になっている。

 だが、どんなに優れた文章執筆能力の持ち主であっても、書き間違いをしないで文章をスラスラ書ける人間は存在しない。どんなに秀でた文章技術の持ち主であっても、書き直しをしないで見事な文章を完成させられる人間は絶対にいない。

 明治の大文豪、森鴎外は本当に完璧なカッチリとしたすきのない文章を組み立てる名人だと俺は思うが、鴎外だって人間であるから、ミスはする。有名な話だが、ゲーテの『ファウスト』を鴎外が翻訳したとき、鴎外はゲラができるまで文章のどこにも原作者であるゲーテの名前がないことを見落としていた(結局、そのまま、ゲーテの名前が記されないまま日本語訳『ファウスト』は刊行された)。鴎外ですらそんなうっかりミスをするのである。

 中島敦の文章などは美しく硬質で俺は大好きなのだが、生原稿を見ると、最初に書いた文章をこれでもかこれでもかと書き直している軌跡を確認できる。いきなり美しい文章が書けるのではなく、相当な書き直しを経て美しい文章は完成するわけである。

 鴎外や中島敦クラスの大文豪ですらそうなのだ。文章を書くという行為においては、ウッカリもあるし、書き直したくなる気持ちも湧くものなのだから、いきなり一発で文章を書いて完璧なものにしようとするほうが無茶なのだ。つまり、この世界の本のつくり方は、俺からすると根っこから間違っているというか、そもそも不可能なチャレンジをしている、という見方になる。


 が、それをどう指摘したものか。

 いきなりよその世界から現れた人間が「アンタたち、間違っていますよ」とやるのは、ちょっと乱暴な気もするし、この二人を全否定するようでチト心苦しい。

 どうかなと思う原稿と出会っても、いきなりその作者を全否定するような編集者は、あんまり褒められたもんじゃないと俺個人は思っている。ゆっくり静かに間違いを指摘するとか、言葉を重ねながら徐々に相手に意識改革を促すとか、そういうタイプの編集者で俺はありたい。



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