第2章 編集者は異世界でも本をつくりたい・その2
王立ナッセキメーソウ学院は、俺の想像よりもずっと広かった。
小高い山が連なっている土地に、石造りの構造物がポコポコ立ち並んでいるだけかと思ったら、地中にも廊下や部屋がたくさんあり、迷路のような構造をしている。
前を歩くトニオに付き従いながら、石でできた壁から醸し出される独特の冷たい空気を吸い込む。
「なんていうか……この王立ナッセキメーソウ学院って要塞みたいだな」
「それは間違いではない。そもそもはガーシ公爵家の別荘だった建物だが、五十年前の大戦時に地下壕を掘ったり出城をつくったりして、要塞としての機能を持たせたと聞く」
「大戦……戦争があるのか、この世界にも」
「人間が暮らしているのだ。当然だろう。ダイゴローの世界にはなかったのか?」
「いや……まあ、あったとは思うけど」
二十一世紀の日本で暮らしていた身としては戦争なんてどこまでも他人事だったからな。
「ついた。局長の前では失礼のないように」
偉い人への挨拶なら心得がある。平身低頭は編集者の基本スキルです。
地下道の一角にある重たそうな扉をトニオがゆっくりと押した。
「誰?」
暗い部屋の奥から声がする。女性の声だが、子供のように甲高い響きを持つ音だ。
「トニオ・キータです。局長、少々よろしいですか?」
「入りなさい」
トニオが部屋に進み、俺もそろそろと続く。
瞬間、俺の鼻孔を懐かしい香りがくすぐる。
紙の匂いだ。しかも古い、何年も経過した紙の束が醸し出す香りだ。
貧乏だが歴史だけはある俺の勤務先には、過去の本を後生大事にとっておく倉庫があって、どうしてか俺はその空間が好きだった。企画のアイデアが何も沸かないときや、徹夜が続いて疲労困憊になったときなど、俺はいつもそこで休憩していた。
図書館や書店ではつくれない独特の紙の匂いに、俺の血潮がまた沸き立つ。
「局長に紹介したい人間がいます」
トニオはそう言いながら、部屋の中央に進んだ。その背後に立って、俺は周囲を見渡した。
暗い部屋だが、徐々に目が慣れてくる。
四方の壁はすべて本棚だ。
天井高は相当ある。五メートルくらいあるんじゃないだろうか。
だがその天井まで本棚は伸び、何段にも渡る棚板がびっしりと詰まった本たちを支えていた。
あんな高いところにある本、どうやって取るんだろう?
そう思いながら顔を上げていたら、本棚の一角に椅子が浮かんでいた。
大きな椅子がこちらに背もたれを向けて、ふわふわと浮かんでいる。
本が浮くぐらいだし、他にもいくつか魔法を目の当たりにしているから、その程度ではもう驚かない。
が、椅子がくるっと回転して椅子に座る人物を目にしたとき、俺は「おお」と声を漏らしてしまった。
「誰、それ?」
不信感いっぱいの声の主が、あまりにも可愛らしい少女だったからだ。
大きな瞳は暗がりでもキラキラと輝き、チョコンとした鼻筋は愛らしく整い、小さな口もキュートで肌は象牙のように白い。髪は桃色でふわふわしたセミロング。小柄な体躯と相まって、俺の目には一瞬、瀟洒な西洋人形のように映ったのだ。
「そのアホな顔したブサイクな中年男が、トニオの紹介したい人間?」
「そうです」
「トニオあなたまさか……紹介って……そういうこと? そいつと結婚するの? そんな醜い優雅さのかけらもないような雄と? ありえないでしょ!」
「ありえないので落ち着いてください、局長」
やめようルッキズム。別に自分の容姿に自信も誇りもないからどう言われようと構わんと思ってきた人生だが、こうもボコボコだと傷つくな。俺、そんなにブサイク?
「お見苦しいものを失礼いたしました。はじめまして、私は富士見大五郎と申す者。ここではない別の世界からやってきた無頼漢ではありますが、本づくりについてはいささか心得があります」
傷ついている場合じゃない。オッサンに傷つく権利はない。
俺は俺のためにやれることをやろう。
跪いて頭を深々と下げると、トニオがフォローしてくれた。
「局長、この男……ダイゴローは《編集》という変わった魔法の使い手であり、魔法書作成においてかなり役に立つかと思い、こうして連れてまいりました」
「《編集》? 聞いたことのない魔法ね」
こいつも編集を知らないのか。やれやれだ。
「でもトニオが言うからには、嘘ではないんでしょ」
どうやらトニオは局長と呼ばれた少女から、信頼されているようだ。
少女の座る……というより少女をちょこんと乗せた巨大な椅子がスーッと床に降りてきた。
「ダイゴローといったかしら? あなたの魔法を見せてもらえる?」
よしきた。俺は下げた頭を持ち上げると、局長に向けて自信満々の笑みを浮かべた。
「お任せください。局長、なんでも構いません。この部屋にある魔法書を何冊か見せていただけますか?」
そう言うと、局長は無言で椅子の背もたれから数冊の本を放り投げた。こら、本を投げるな。
石畳の床に落ちた本は三冊。判型はさまざまだがどれも薄い。絵本のような束幅だ。
「拝読します」
うやうやしく三冊の本を手にすると、俺は大急ぎでページをめくった。
うわ、字、汚なっ。トニオの持っていた魔法書はいずれも活字と思えるほどのカッチリした明朝体の日本語がならんでいたが、局長から渡された三冊はすべて荒々しい手書き文字で言葉が記されている。
まあ、どんな悪筆であっても読めてしまうのが編集者。
新米編集者の頃は大御所先生の手書きの玉稿を受け取って一文字たりとも読めなくて先輩編集者に泣きついたりしたもんだが、今の俺なら読める。
「まずは一冊目、《湧水》と題された魔法書ですが、四ページ目と五ページ目、八ページ目と十二ページ目に文字の書き間違いが、合計七箇所あります。それから二冊目、《浮遊》と題された魔法書は三ページ目から七ページ目にかけて、浮遊と書くべき箇所においてすべての「浮」の字が「ふ」と平仮名のままです。これらは表題にそろえて漢字で統一すべきかと。十六ページ目には助詞の書き間違いが二箇所ありますね。そして三冊目、《回復》と題された魔法書ですが、六ページ目三行目以降の文章がまるまる欠落しているように読めます。これでは七ページ目へ文意がつながらない。他に十ページ目、十八ページ目、二十二ページ目にそれぞれ文字の書き間違いが合計五箇所ありました」
あえて誤植とは言わない。手で書いたようにしか読めない文字で埋め尽くされていたからだ。
俺の指摘を黙って聞いていた局長は、唇をへの字にしながら、可愛らしいサイズの手を前に差し出し、細くて小さな指をクイッと曲げた。
俺の手元から三冊の本が吸い込まれるように局長の膝下へゆっくり飛ぶ。
そして局長は大急ぎで三冊の本を乱暴に読み返す。
「……信じられない。本当に指摘された部分が間違っているわ」
「私も当初は驚きました。ダイゴローは魔法書の記述ミスを瞬時に見抜く《文字校正》という魔法が使えるようなのです」
「ほんとに……ここも、あ、ここも! ここも間違えてる! このアタシがこんなミスを!」
お前が作者だったのか局長。よくそんな文章執筆能力で魔法書研究局の局長を名乗っていられるな。
「てゆーかトニオ、これってすごいことじゃない? ただでさえ優れたアタシの魔法書から、ミスがなくなっちゃったらどんなことになっちゃうのかしら!」
この鬼ポジティブシンキングは悪くない。ちょっと惚れそうだ。
編集者には三パターンある。
入稿前にミスを見つけて落ち込むやつは三流。
校了前にミスに気づいてホッとするやつは二流。
出版後にミスを教えられて奮起できるやつは一流。
編集者だって人間だ、ミスは必ずする。それに引っ張られて落ち込んで行動力を殺すぐらいなら、むしろ学びの経験を得たと思って次を考えられるやつが、一流の編集者になれる……と俺は信じていた。
だから局長の反応を、俺は嬉しく思ったのである。
「局長のつくった魔法書の威力が増大することは疑いありません。現に私の魔法書もダイゴローの能力によって修正したところ、格段に精霊の力が増加しました」
トニオがそう言うと、局長はうなずいた。顔には満面の笑みが浮かんでいる。可愛い。
「惚れたわ、ダイゴローとやら!」
おっと、惚れられちゃったか。
「アタシの名前はイザーダ・オーサム。この王立ナッセキメーソウ魔法学院魔法書研究局の局長で、一応籍はあるから学生でもあるんだけど、魔法書に関してはアタシが学院で一番の権力者だと思ってくれて間違いないわ。だから魔法書に関係するなら、だいたいのことはアタシの思う通りになるの。無頼と言ったわね、だったらアンタを研究局で雇ってあげる。アンタの能力をアタシは評価するわ。この魔法書研究局でアタシのために働きなさい!」
「喜んで」
うやうやしく頭を下げる。
異世界に転生しちゃったっぽい俺だが、異世界でも俺は編集者になれた。
まあ、俺も経験あるけど、編集者って転職しても編集者を続けるのが一般的だしな。
この先どうなるかなんて知ったこっちゃないが……俺はきっと死ぬまで編集者なんだろう。




