第2章 編集者は異世界でも本をつくりたい・その1
俺は力強くうなずき、立ち上がった。
そうして、トニオの机に歩み寄り、両手を机の上について、前のめりにトニオへ迫った。
「よくわかった。トニオさん。俺はあんたの力になれる」
「……な、なんだいきなり」
ごめんね、脂ぎったオッサンに近寄られたらビビるよね、普通の美少女は。
興奮冷めやらぬ心臓に落ち着けと言い聞かせて、俺は深呼吸した。
「要するに精霊ってのは読者ってことだろ? そして魔法書は文字通り本だ。俺は読者を喜ばせるための本づくりを生業にしてきた人間だ。トニオさん、俺を雇え。俺ならよりよい本をつくる手伝いができる」
「先程見せてくれた……確か《文字校正》だったか、あの魔法は役に立つと感じたが……」
「魔法じゃないんだが……まあいい。俺の能力は《文字校正》だけじゃない。例えば俺なら、そうだな、どの精霊がどんな物語を求めているか、事前に察知できる」
自信満々に言い切った俺へ、トニオが大きな瞳をまっすぐ向けてくる。俺は畳み掛けた。
「ある土地の精霊に対して、仮に三種類の《融雪》の魔法書を、同じ魔法使いが読んだとするな? その効果の違いを測定して……俺ならその精霊が次に何を読みたいかがわかるんだ」
「何を言っている。精霊は魔法使いの読む物語をただ聞くだけだぞ? 精霊が読みたいものなんてどうしてわかる?」
「俺が編集者だからさ」
本はつくれても編集の意味を知らない美少女に、俺は声のトーンを低くして、言い放つ。
「はっきり言ってしまうと……さっきの《炎》の魔法書が薪ひとつしか燃やせなかったのはな、物語がしょぼかったからだ。ちらっとしか読んでないが……文章こそ美しいが内容が弱い。新人賞に応募したって一次選考にギリギリ引っかかるかどうかが関の山ってシロモノだ」
俺の言い方に、トニオは明らかに怒りを浮かべた。
「私は魔法書作成の技術においては学園でもかなり上位の評価を得ている。そんな私の魔法書の書き方が間違っていると?」
「いいや。表現の方法に間違いなんてない」
俺の答え方に、トニオは怪訝そうな表情をつくる。
「どういう意味だ?」
「本ってのはな……おもしろいか、つまらないか、それだけだ」
「おもしろいか、つまらないか……私は正しく書いているが……私の魔法書はつまらないということか?」
俺は確信した。
この世界には本がある。そして目の前には本の書き手がいる。
しかし、この世界の本は形式でしかない。
書き手は形式に縛られるあまり、読者のことを忘れてしまっている。
それじゃあ、おもしろい本が生まれるわけが、ない。
「〈言葉の間違い〉なんて些末な問題なんだよ。本はな、おもしろければそれでいいんだ。そして、編集者ってのは、おもしろい本をつくるために日夜身を粉にして働いているんだ」
「ダイゴローならおもしろい本がつくれる、と?」
「そうだ。論より証拠だ。トニオさんが書いた別の魔法書を読ませてくれないか? できればこの部屋で魔法の効果が確かめられそうなものがいいな」
トニオは机の抽斗から一冊の本を取り出した。先程外で見たものよりやや小さい。A5判型くらいだろうか。
「これはどうだ? シンプルな《光》系統の魔法書で、《照明》の魔法が使える。夜に読書をするときや洞窟探索時など、一定の光源が必要なときに使うものだが……」
「拝読します」
差し出された一冊を丁寧に手に取り、読む。薄い。文字も大きい。かなり厚手の紙をそうっとめくりつつ、あっという間に読み切ってしまった。魔法書をトニオに返す。
「読んだ。じゃあトニオさん、この魔法書を読んで、魔法を使ってみてくれ」
トニオは椅子から立ち上がると、魔法書を顔の前に浮かべて、小さな口を静かに開きはじめた。
小さくささやくような、美しい調べが石造りの部屋に静かに響き渡る。
ウィスパーボイスとでも呼べばいいのか、うっとりするようなサウンドだ。メロディーラインがあれば、歌として通用するだろう。トニオの美少女っぷりなら、地球だったら即アイドルかもしれない。
やがて詠唱が済み、机の上にあったランタンが灯った。小さな光だった。部屋の一角にある窓から光が差し込んでいるからなんとも思わないが、夜だとしたら手元ぐらいしか照らせない、心もとない光と感じたろう。
俺の表情から威力が乏しいと思われていると察したのか、トニオは、
「私の魔法力ならこの程度だ。夜、勉強をしているときに、何度も使った魔法書だからな。精霊への効果もかなり薄まっている」
と説明してくれた。
俺はうなずいて、腕組みをして、椅子に深々と腰掛け、トニオを見つめた。
「……八ページ目の三行目と五行目、十六ページ目の一行アキ以下全部、十七ページ目の一行目から五行目まで、ラストの二十二ページ全部、それを今からトニオさんの《文字修正》の魔法で書き直してくれ。あと何箇所か誤植もあるからそこも修正してくれ。内容は俺が読み上げる。俺の言葉通りに書き直すんだ」
トニオがすばやくペンを外套から取り出す。
「いくぞ、一言半句たりとも書き間違えるなよ……」
脳内原稿用紙に書き込んだ赤字を俺は慎重に読み上げる。
といってもそれほどの文字数じゃない。全部で五百字もないだろう。
魔法書の上で踊るトニオのペンは、スルスルと文字を吸い込み、サラサラと文章を吐き出した。
「……できたが。なんだか変な気持ちだ。人の読み上げた言葉をそのまま書き写すなど、はじめてやった」
「口述筆記ってやつさ。俺のいた世界じゃ、そこまで珍しくない記述方法だ。ドストエフスキーや太宰治なんかも時折使っていたらしいぞ。さ、もう一度その魔法書を読んで、魔法を使ってみてくれ」
「……ふむ」
今ひとつ釈然としない思いを顔に出しつつも、トニオは修正された魔法書を読み始めた。
そして、すぐに結果が出る。
トニオが読み終えた途端、ランタンが凄まじい発光をはじめたのだ。
「うわ、眩しいなこれ」
「……光量が桁違いだ。精霊の力が圧倒的に増えている」
「言ったとおりだろ?」
得意げに言い放つ俺を、トニオが驚いた顔で見つめてくる。
「……これもダイゴローの魔法なのか? なんという魔法だ?」
「だから魔法じゃないって。編集だよ。まあ今回は多少書くこともしちゃってはいるが、基本的にはもとの物語と大幅には変えてない。校正してミスを減らして、他にはちょっとした言い回しや表現の仕方を変えただけだ。でも、読みやすくなったし……おもしろくなっただろ? だから精霊さんも力を発揮してくれたんだよ」
「どう変わったのだ? いや、変わったことそのものは理解できるが……これがダイゴローの言う、おもしろい本ということなのか?」
例えば、俺は次のような箇所を変えた。
原文:広大な暗い洞窟の中を、狩人は光を求めて駆け出した。
改稿:先の見えない暗い洞窟の中を、狩人は光を求めて歩み出した。
暗い洞窟なのに「広大な」とするのは、典型的な人称視点の使い方における誤謬だ。筆者は洞窟が広く深淵なことを知っているかもしれないが、作中の人物はそうではない。であるならば、暗い洞窟である以上、そのスケールが察せられてしまう表記は読者目線に立つとおかしいと感じられる。「駆け出」すのも暗いならば危ないと感じて「歩き出」すように変えたが、登場人物の強い意図を表現したいのなら、別にやりようはある。「力強く一歩を踏み出」すとかね。
トニオの問いかけに俺はゆっくりとうなずいた。
「そうさ。ちょっと表現を改めるように編集するだけで、読み手の印象はガラッと変わる。内容もそうだ。さっきの《炎》の魔法書も書き換える前の《光》の魔法書も、物語としては少々単調だ。精霊さま、あんたは賢くてすばらしいですね、困っている私たちを助けてください、助けてくれたら感謝します……どっちもプロットは同じだ。パターン化したものだとしてもレベルが低すぎる。同じ設定でも順序を入れ替えたりディテールを掘ったりエンディングを変えたりするだけでガラッとおもしろさは変わるんだ。どうだい、俺を使ってみたくなったろ?」
「なった」
きっぱりとトニオが言い切る。
俺は密かにホッと胸をなでおろした。トニオがプラグマティストで助かった。
「ダイゴローの、《編集》という能力を評価しよう。すぐに王立ナッセキメーソウ学院魔法書研究局の局長に紹介する。私の権限で局員として働けるよう、推薦しよう」
「食い物と寝床が確保できるんなら、文句はない」
「局員には寮の一室が与えられる。少ないが給金も出る」
給金がどれほどのものかはしらないが、そもそも薄給&激務で働いていた編集者が俺だ。
少々の過酷な現場は耐えてみせるし……何よりこのわけのわからん世界における本という存在に俺の好奇心は刺激されまくりだ。
「上出来だ。期待以上の働きをしてみせる」
俺はそう言うと手を伸ばした。
握手の習慣がこの世界にあるのかどうかわからなかったが、トニオは応じてくれた。
細い手を静かに握りしめる。
「よろしく頼む」
「任せておけ」
胸の奥が熱くなる。
編集者をやっていて、こんなに血が滾ったのは久しぶりだ。




