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第1章 編集者は異世界でも誤植を見つけたい・その1

 死んだと思った。

 目が覚めると、目の前に青い髪の少女がいた。

 やっぱり死んだと悟った。天使がいると思ったのだ。

「そこをどいてくれないか。今、実験をしているところなのだ」

 青い髪の天使に淡々と言われ、俺は立ち上がった。

 周囲を注意深く見渡す。

 石が積まれた塀や建物が見える。芝草が無造作に広がっている。

 アスファルトで舗装された道は見えない。

 青い外套のようなものを羽織り、白いシャツと白いプリーツスカートを纏った少女の足元はレンガだ。

「ここはどこだ?」

 俺の問いかけに、少女は応えてくれなかった。

「今、忙しい。後にしてくれ」

 ぶっきらぼうにも感じられるその態度に俺が少しも不快感を抱かなかったのは、そんなことにかまけている場合じゃないくらい驚くべき現象が目の前で起きていたからだった。


 本が浮いている!

 少女の前で、B5判型ぐらいの、おそらくは革製の表紙の、分厚い本が浮いていた。

 時代がかった雰囲気の本にも驚いたが、それよりも本が浮いている事実が信じられない。

 唖然とする俺の前で、少女はボソボソと何かをつぶやいていた。

 浮いた本がほんのりと青く発光している。

 ときおりページが勝手にパラリとめくれる。

 何が起きるんだとドキドキしながら俺はその光景を固唾を飲んで見守っていたが……。

「……ダメだ」

 何も起きなかった。少女が落胆したような声を出す。

 同時に、本が落下した。

 大きな本はやはり重さも相当だったのだろう、鈍い音を立ててレンガ敷の地面に落ちた。

「……本を投げるなよ」

 戒めるというよりも、単純にどんな本なのか興味があったので、俺は落ちた本に手を伸ばした。

 パラパラとめくる。雰囲気的に昔の洋書なのかなと思っていたら、書かれていたのは日本語の文章だった。

 だが、言葉はわかるものの意味がわからない。物語のような散文詩のような、よくわからないことが書いてある。



  猛き太陽の使徒よ。

  敬虔なる大地の下撲の、慎ましい願いにどうか耳を傾けてやってほしい。

   たくましい日の恵みを、その輝ける力を、若芽の成長に与することを、

   どうか約束して欲しい。

  この願いを叶えてくれるのであれば、次の物語を奉じよう。

  大地に身を捧げたつつしみ深い夫婦の物語だ。



「……統一がとれてないな。〈慎ましい〉と書くのなら〈慎み〉としたほうが……いや、そこは著者判断ってことでママイキでもいいか。でも〈ほしい〉と〈欲しい〉は統一すべきだ。開いたほうが無難だろうな、この文章なら。あと下〈撲〉じゃなくて下〈僕〉な」

 編集者の業か、ついつい読んだ文章のミスを指摘してしまう。天国に来ても仕事しているな俺はと呆れようとしたら、天使が俺を見つめてきた。

「すごい……一瞬で〈言葉の間違い〉を見抜いたというのか」

「そうだけど?」

 別にすごくはない。パラパラっと読んだだけなのに、一瞬で見つけられちゃう量のミスがあるほうが問題だ。そう言おうとしたら、天使は外套の内側から太いペンを取り出した。

 軸はガラス製だろうか? 日光を受けてキラキラと光っている。

 そのペンを少女が持った途端、再び本が浮上した。

 本に何かを書き込むつもりだろうか? 歴史を感じさせる古い本にそんな真似、あまり褒められたもんじゃないが……。


 と、思っていたら。

 今度こそ心底驚いたことに、少女がペンをくるりと回すように動かすと、ページの上の黒い文字たちがまるで意志を持った生物のようにニュルンと動き、ペン先に吸い込まれていったのである。

 そして、間髪置かずに今度は少女がペンをササッと走らせると、ペン先から再び黒い文字たちがニュルニュルと吐き出された。手書きの文字ではない。活字だ。しっかりとした、俺が嫌というほど目にしてきた明朝体の文字だった。

「す、すげえ! なにそれ! 超小型ペン型プリンター的な? ああ! さっき俺が指摘した誤植がなおってる! どういう原理? 修正かつ印刷が一気にできちゃうとか……えっ、魔法?」

「何を驚いている。魔法に決まっているだろう。私の家に代々伝わる《文字修正》という魔法だ」

 少女は冷静に言うと、ペンを外套の内側にしまい、再び本に向かい合った。

 差し出した少女の両手の上に、本がふわふわ浮いている。

 そして、少女が小さな声で本を読み上げる。さっき俺がミスを指摘した箇所を含め、本全体をゆっくりと読み続ける。

 だいたい五分ぐらいかかっただろうか。

 浮いていた本のページが自然と閉じられる。

 そして閉じられた本が静かに落下し、少女が受け止める。


 その直後だった。

 手入れがあまり行き届いていない芝生の奥にポツンと転がっていた薪に、いきなり火がついた。

 薪の尖端がまるで松明のように煌々と燃えている。

「……? 予想よりも燃え方が激しいな。何か構成におかしなところがあったか……まあいい」

 燃える薪を見据えながらつぶやいた少女は、背後を振り返り手招きする。

 すぐに少女と同じ外套に身を包んだ、亜麻色の短い頭髪をした人間――おそらくは少年だろう――がタタタと走ってきた。

「できた。この本をキティーソに届けてくれるか?」

「は、はい! 確かにキティーソさまにお届けいたします。えっと、その……魔法書の完成、おめでとうございます、トニオさま! ずっと見てましたけど、精霊たちの動きが本当にスムーズで、さすがは〈神速の筆〉の名を持つお方だと……あ、改めて尊敬いたします!」

「ありがとう。ついでにその薪も持っていってもらえるか? 火種程度のつもりだったが、それなら一晩ぐらいは火が持つだろう。暖をとるのに使えるはずだ」

「はい、し、失礼いたします!」

 少年は右手に本をかかえ、左手に火のついた薪を持って、スタコラと去っていった。


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