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第7章 戦争が得意な編集者なんているわけない・その5


 キティーソの号令によって、新たな動きが生まれつつあるのがわかった。

 逃げようとする人間と、それを追おうとする人間。

 両者の存在が、広い平原において明解になっていく。

「逃がすな、追え!」

 どこかからそんな怒声が響いたかと思うと、

「キティーソ様、早くお逃げください!」

 といった悲鳴にも似た叫びも耳に入る。

 なるほど、これが作戦会議のときに言っていた撤退というやつか。どうなんだろう、会長が言っていたように、罠があるとばれない撤退になっているのかな?

 なんて悠長に観察している暇もない。

 飛んでくる弓矢をオートモードで払い落としてくれるインチキ童子切安綱サマのおかげで、俺の右肩はもう関節がハズレている。俺の意思とは関係なく右腕が振るわれるたびに激痛が全身を貫くが、まあ、我慢。

 次第にキティーソを中心とする人の輪が大きくなってくる。

「トニオ!」

 キティーソの叫び声に、俺も顔を上げた。馬にまたがったトニオが数人の兵士とともに、キティーソに近づいてくる。

「トニオ、無事だったのか!」

 俺も叫ぶが、トニオはチラとこちらを見ただけで、すぐに顔をキティーソに向けた。

「すまない、手勢の大半を失った。私の力不足だ」

 トニオの白い鎧は幾筋もの血の流れで汚れていた。トニオの周囲の兵士たちはそろいもそろって全員肩や腕や背中に矢が刺さっている。

「今はここから撤退することだけを考えましょう、全員、東の方角に向けて突貫!」

 キティーソがそう命じると、兵士たちが一斉に駆け出した。東がどっちかもよくわからんが、とりあえず俺も右腕を引きずりながら駆け出す。この人の群れから置いてかれたが最後、生き残れないであろうことは、無知な俺でも想像できた。

 

 キティーソもトニオも馬上で魔法書を開き、詠みはじめている。

 兵士の動きにあわせて魔法を展開させようとしているんだろう。

 このスピード感なら、もっともっと薄い本にしてもよかったかもしれないと俺は後悔した。

 詠まれた言葉を精霊が聞くことで魔法が発動するという条件を、もっと吟味するべきだった。

 例えば、物語でなくとも可能性はあるんじゃないか? 俳句や短歌だって、ミニマムだが物語性を有している言葉の塊と言えなくもない。だったら、精霊が働いてくれそうな五七五や五七五七七を研究しておくべきだったのでは?

 俺がそんなことを思案しながらヒイヒイ走っていると、前方からドデカイ声が聞こえてきた。

「遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 我が名はリュー・ワガタクアー!」

 おお、名乗りだ。『平家物語』で読んだことある。でもあれって、敵将を討ち取ったときとかにやるんじゃなかったっけ……などと記憶を探っていたら、ドデカイ声が続いた。



 嵐吹く!


 土埃舞う! 


 昼下がり!


 落ち葉になるを!


 待つ身であるし!



 いやあ、自分が思いつくアイデアって、他の誰かも思いつくんだよね、やっぱり思いついたらすぐ実践しないとスピード感重視の現代の出版業界においては、すぐに後出しになっちゃうんだなあ……と感慨に浸りたかったが、そんな暇、あるわけない。

「空気の刃が来る! 全員頭を低くしろ!」

 というトニオの凛とした叫びとともに、周囲の兵士たちが一斉に地面に身を投げるようにして這いつくばる。俺もそれに習おうとしたが、視界の一角がぐにゃりと歪むのに気づいてしまった。

 歪みは形を細長く変えて蛇みたいな動きで空中を伸びてくる。頭を下げ遅れた兵士の何人かが、その空気に触れて悲鳴を上げて、血飛沫を吹き、倒れる。

 ああ、これが空気の刃か。よく知らないが鎌鼬みたいなものか。炎みたいにクッキリ色でわからない分だけ、ボケッとしていたらあっけなく食らっちゃいそうである……とのんきな分析をする前に、俺の体が勝手に飛び出ていた。数人を屠った空気の塊が、次の獲物へと向け、その速度を上げている。


 俺にできる精一杯のジャンプ力で前方の虚空へ身を投げ、右腕を空中へと伸ばす。

 馬上のトニオの背中めがけて飛来していた空気の蛇へ、俺の右手に握られたインチキ童子切安綱が触れる。

 瞬間、俺の右手首に激痛が走った。さっきまでの痛みがこそばゆく感じるぐらいの激しすぎる痛みだった。

「んぐぅあああ!」

 オッサン、叫んじゃいました。へえ、痛すぎると、目って閉じるんじゃなくて見開くんだな。

 クリアになった俺の目線の先に、比喩じゃなくグンニャリと折れ曲がった俺の右手首がくっきりと映り込んだ。

 手首が曲がっちゃいけない方向に曲がり、そのまま右肘も空中に引っ張られ、なんか無重力状態なのに腕ひしぎ十字固めを極められちゃうみたいな格好になった俺は、数秒悶絶しながら宙に舞った後、ドスンと地面に投げ落とされた。

 痛かったが、すぐに首を持ち上げてトニオを探す。

「大丈夫か、ダイゴロー! なぜここにいる! 丘でアンを守るように頼んだはずだぞ!」

 よし、無事っぽいな。よかった。視線を動かせば、空気の蛇の姿は見えない。インチキ童子切安綱がやっつけてくれたんだろうか。

「すまん、トニオが心配で、来ちゃった」

「バカ!」

 俺も、こんな「来ちゃった」はやりたくなかった。というか痛みで顔がグンニャリしているところをトニオに見られたくないと思っちまった。目は開いているが痛みで涙が出てきてしまうし、なんでかしらんが鼻水も涎もいきなり唇を押し開いて、口からドバっと吹き出しちゃう。

「撤退するぞ、ダイゴロー。走れるか?」

 早口でトニオに問われ、つばとよだれと鼻水でドロドロの口を開いて、「な、なんとか……」と俺は返す。

 するとトニオはそのまま馬首を翻し、味方に号令を飛ばしながら駆けていってしまった。しまった、無理って言えば馬に乗せてくれたのかな。


 くそ、それにしても痛い。痛すぎる。もう俺の右腕、使い物にならないんじゃないか? それとも怪我を治す魔法みたいなものもあるんだろうか? いや、きっとあるだろう。それに期待するとして……痛すぎてなんだか腹が立ってきた。俺の右腕をボロ雑巾みたいに捻り潰しやがって、変な五七五七七め……。 

 ていうか、そんなに大した歌だったか? トニオが「空気の刃」と言っていたことから、《風》の魔法なのだろうとは推測できたが……精霊さん、あんなしょうもない五七五七七に手を貸しちゃうなんて、ちょいとハードル低すぎません? だいたい結びの「待つ身であるし」ってなんだよ。「であるし」が日本語として意味不明すぎ。「し」は何? 用言の終止形に連なって接続の役割を果たすタイプの割と古文っぽい使い方をする助詞の「し」? あ、ひょっとしてギャル語? いずれにせよもうちょい短歌のこと勉強してから人前で披露したらどうです、リュー・ワガタクアーさん? ぶん殴るぞこのやろう。



 嵐吹く!


 土埃舞う! 


 昼下がり!


 

 いや、もっかい詠むんかい! 繰り返すんかい! 戦争なんだろ? もう何首か用意しておけよ! 

 それにしてもいい根性すぎる。駄作を堂々と披露できる面の顔の厚さは見事だが、さすがの精霊も呆れてくれるだろう。



 落ち葉になるを!


 待つ身だからね!



 うわ、結びの句を変えてきた。なにそれずるい。それで二首詠んだことになるわけ? 急にくだけて現代っぽい言葉使いになったけど、「だからね」はないだろう。歌の中の主体はいったい何者なんだよ? ツンデレヒロインなのか? だったら落ち葉になるのを待ってるのはおかしいだろうが! 全体的に誰が何を誰に向けて詠んでいるのか意味不明な歌じゃねえか! 確かに歌全体の雰囲気がガラリと変わったけど……って、またしても突風が。

 


 疾く川の


 萌ゆる水面に


 散る花の


 舞い乱れるを


 ただ見送らん



 いいいですね、ステキ。場面がたちどころに目に浮かびます。春ですね、流れの速い川に舞い散った桜の花びらの風情が味わえます。結びの句で、別れの情景が示唆されている。なるほど卒業を詠んだ歌かもしれません。先輩と離れ離れになる後輩の淡い思いが見え隠れもしていそうです……とコメントしたくなる歌を詠んだのは、しわがれた声だった。

 巨大な火柱が、俺たちの頭上付近を走ったかと思うと、真っ赤な花びらを撒き散らしながらまっすぐ前方へ飛び込んでいく。すぐに悲鳴と怒号が入り乱れる。

「キティーモ様だ!」

 兵士の誰かがそう叫ぶ。すると頭を低くしていた兵士たちが一斉に立ち上がった。

 俺も立ち上がり、視線を動かす。あ、作戦会議の場にいた小柄なおじいちゃんが仁王立ちしている。

「義父上!」

 キティーソが馬で駆け寄ると、老人はうなずいた。

「ここはワシに任せろ」

 キティーソは短くうなずき、馬を走らせる。トニオの馬もそれに続く。無事だった兵士たちも今まで以上の駆け足で付き従う。

 俺もヨロヨロとその後を追おうとするが、老人から目が離せない。

 老人がモゾモゾと口を動かしたかと思うと、先程よりは小さな火柱が地中から立ち上がり、でかい蛇のように空を駆けていく。

「我が名はキティーモ・イサット! さあ、ワガタクアーの小倅ども! かかってこんかい!」

 老人がしわがれ声でそう吠えると、敵陣に緊張が走るのが俺にもわかった。空気が一気にピシっと締まった感じ。兵隊たちが改めて武器を構え直すのが見える。

「これはこれは! 《火竜》キティーモ殿、自らお出ましとはな! 老人はお茶でもすすっていたらどうだ! ガハハハ、イサット家もよほど人がいないと見える!」

 敵陣から馬に乗った男が出てきてそんな憎まれ口を叩いてきた。あ、この声は……さっきの下手くそすぎる短歌を詠んだのはこいつか。こいつがリュー・ワガタクアーか。お前、このおじいちゃんに歌の手ほどきをしてもらったほうがいいぞ。今後も短歌をやってく気があるなら。

「カーッ、下手くそな歌だと思ったら、お主か! 親父のケスノリューは気骨のある言葉を紡いだもんじゃったが、才能は遺伝せんかったか!」

 ええ、下手でした。俺が担当編集者ならどうあがいてもボツにするレベルでした。

 が、ズバリ言われてしまったほうは謙虚になってくれるはずもなく、怒りを爆発させてしまったご様子。馬上で肩を震わせて目を見開いてこっちを睨んでくる。

「ほざけ! ジジイが! 者共、老いたりとはいえ、《火竜》の二つ名を持つA級魔法使いだ! 討ち取って名をあげろ!」

 大将の号令一下、兵士たちがゆっくりとその包囲の輪を狭めてくる。

「お主が、ダイゴローか?」

「そうですが……」

「お主の編集した本たち、どれも悪くなかったぞ。それがなければ我が娘はここで終わっていたかもしれん。礼を言う」

 我が娘、と強調した老人の言葉遣いで、俺はいろいろと察してしまったが、

「ありがとうございます……」

 それしか言えない。

「娘たちを頼んだぞ。はよいけ」

 俺はペコっと頭を下げると、脱兎のごとく老人のそばから走り出した。

 兵士たちがその動きを見過ごすわけもなく、たちまち弓矢を射掛けてくる。左手にインチキ童子切安綱を持ち替えて、オートモードで降り注ぐ矢を撃墜してもらう。左腕も使い物にならなくなるだろうが、この場を生き伸びられればいい。


 ひたすらに足を動かす俺の背中を、爆発音や悲鳴たちが揺さぶってくる。

 老人に心のなかでもう一度礼を述べ、俺は走った。


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