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第7章 戦争が得意な編集者なんているわけない・その4

 さあ、急ごう。数分かもしれないが、無駄な時間を過ごしちまった。

 もう戦闘がはじまる頃かもしれない。

 そう思った矢先、風に乗って音が聞こえてきた。

 言語化しずらい音の響きだ。地響きのような唸りに、太く短い肉声が大量に混じる感じ。不吉な耳障りに、俺はその音が人間同士が殺意を向け合うときに生じる響きなのだと直感した。

 音の方へと足を向ける。走る。

 十分も走らないうちに、立ち上る火煙が何本も視界に見えた。

 おそらく煙の足元では、何人もの兵隊が戦ったり傷ついたり倒れたりしているのだろう。

 そんな場所、人生においてできれば近づきたくないと思っていたが、俺の足は止まらなかった。


 どんどん視界に入る情報が増えていく。

 人間が槍を振り回している。

 盾を持った人間たちがラグビーのスクラムみたいな姿勢で人を押しのけようとしている。

 地面に倒れた人間が刀みたいな長い刃物を何度も何度も突き上げている。

 やべえ、よく考えたらどっちが敵でどっちが味方かわからん。

 なんか旗印とかないの?

 キティーソの屋敷の前に集まった男たちはだいたい濃い茶色って具合の革鎧だったけど……俺の足の先、五十メートルぐらいの地面で転がっている男も、そいつに向けて槍を何度も突き刺している男も、どっちも似たような格好だし。

 加勢しようにも誰を殴りゃいいかわからない俺は足を止めた……のが幸いした。

 空気を切り裂く、ビリビリって音がしたかと思うと、俺が進もうとした地面にド、ド、ドと細い棒が突き立った。何これ? あ、弓矢か。弓矢ってこういう風に飛んでくるんだ。つうか、止まらなかったら俺、あっさり弓に射られていたんじゃなかろうか。

 弓が当たらなかった事実にホッとしたら、途端に腰が抜けた。

 うわあ、俺ってば想像以上にダサい。なんにもしてないのに、もう戦闘不能一歩手前というか、いや、心理的にはもう降参でございます。

 逃げたいあまり、尻もちをついたまま尻が後ずさりする。

 するとまた、空気が震える音がした。何、また弓? 勘弁だぜ、と思った刹那、どうしてよいかわからないので、とりあえず俺は腰に挿していた、会長から頂戴したインチキ童子切安綱を抜いてみた。

 鞘から解き放たれた太く短い刃は、柄を握る俺の右手を引っ張るようにして、空中に飛んでいく。

 パキンパキンと乾いた音が二度ほどして、遅れて右手から右腕にかけてしびれるような強い衝撃が二回広がった。

 痛い。普通に痛い。

 二本の矢が、力なく地面に散らばったのを見て、インチキ童子切安綱の刃が、飛来する弓矢を叩き落としてくれたんだと理解するも、あまりの激痛に思考が定まらない。

 俺が弓矢を防いだのではない。そんなテクニック、俺にあるはずがない。

 なんか、刃が勝手に俺の腕を引っ張って、そんな真似をやってのけたのである。

 そうか、そういう魔法がかかったアイテムだったのかな。

 それはいいんだけど、握っているオッサンの筋肉の衰えっぷりは考慮してほしかった。

 普通に肉離れとかしちゃっているかもしれんぞ、これ。痛すぎる。

 一般的なライトノベルの主人公なら、こんなアイテムをゲットしちゃったら、物語を盛り上げるべくしっかり使いこなしてしかるべきなんだろうが、俺は主人公じゃない。ただのオッサン編集者だ。もっと魔法に、異世界にチューニングした体つくりをしておくべきだったか……。


 あ、そうか。魔法のことを忘れていた。この戦場でも魔法が展開しているはずでは? 俺が編集した、俺が校正した魔法書はしっかり活躍していますか?

 そんな俺の心配に応えてくれるように、俺の目の前を右から左へ、ボウリングの玉くらいはありそうなサイズの火球がゴーっと通り過ぎていった。

 おお、魔法だよね、今の? 普通の火はあんなふうに球体になって飛ばないもんね?

 期待混じりの目線で火球の行く末を追う。目の前の地面に刺さった弓矢を一瞬で黒焦げにした火球は、俺の視界、左側にいた男たちの群れにぶち当たった。

 野太い悲鳴とともに、男たちの肉体がたちまち炎に包まれる。

 単にぶつかるというより、人の群れにあたった瞬間、パッと炎を燃え広がらせ、火の手を男たちの頭にかぶせるようにして、火球は四散した。

 うわあ、人間って生きたまま燃えるとあんな感じなのか。

 魔法で強化された火だからだろうか。火を浴びた瞬間から、男たちは地面に突っ伏し、転がったり両腕で頭部の火を払ったりしつつ、炎の脅威から逃れようとしてみせるのだが、火はまるで重みと厚みのある布団のようなボリューム感をともなって、男たちにまとわりついて離れようとしない。

 禍々しい濃いオレンジ色の光を放ちながら、その奥に黒くうごめく人間の影が見え隠れする。

 あー、燃えてるんだ。今まさに、リアルタイムで焼死しようとしている人間の姿が、あれなんだ。

 そもそも、人が死につつある光景なんて、現代日本において、俺は見たことがない。誰かが言ったように、死ぬのはいつも他人だったし、その他人はいつも俺の見ていないところで死んでくれたし、俺の目に入るのは死ぬ人ではなく死んだ人だけだった。

 そんな人間からしたら、目の前の光景は刺激が強いのを通り越して、ファンタジーの世界の産物にしか思えず、かえってリアリティが湧かない。

 飛んできて地面に突き刺さった弓矢には恐怖を覚えた俺だが、火球で火だるまにされちゃった兵士たちを見ていたら、なんだかかえって気持ちが立ち直ってきた。いや、神経が麻痺しただけなのかもしれんが、立ち上がれるのは嬉しい。

 よいせと俺が腰を上げると同時に、人の群れがいきなり俺に近づいてきた。

 逃げる間もなく、俺の肉体は革鎧じゃない、金属の鎧をまとった数人の兵士たちに囲まれた。

 あっけねー。立ち上がれたところで逃げる才覚がなけりゃ、意味ねえなと思ったものの、一向に中年腹に刃物が突き立てられる様子はない。

 チラッと兵士たちを見ると……その中央に、馬にまたがり真紅の鎧に身を固めた美少女がいた。

「キティーソ様!」

 見知った顔と出会えた嬉しさ……というよりも、俺が今まで知らなかったリアルな生と死を頼みもしないのにめちゃくちゃアリーナで鑑賞させてくれやがるこの戦場において、これほどまでに威風堂々としている人間がいるという現実に興奮したのかもしれない、俺は。なんかもう、拝んじゃう。

 キティーソは俺の呼びかけに応じない。それもそのはず、魔法書を左手に持ち、端正な美貌は周囲を見据え、その小さな口元は素早く小刻みに動いていた。

 ああ、魔法書を詠んでいる最中か。

 数十秒、その光景を眺めていると、やがてキティーソの頭上にさっきみたようなサイズの火球がいきなり出現し、そのままスーッとどこかへ飛んでいった。

「ダイゴロー、なぜここにいるの!」

 キティーソがようやく俺に顔を向けてくれた。美少女の顔は紅潮し、汗のせいだろうか、紅い髪の毛が幾筋も額に張り付いていた。

「申し訳ございません、トニオの身が心配で、追いかけてしまいました!」

 隠してもしょうがないと思い、正直に伝えると、キティーソが破顔した。

「ふふふ、トニオも愛されているわね! 安心して、トニオならお義父様がそばで守ってくれているわ! そうそう、ダイゴロー、あなたが《校正》してくれた魔法書、とてもよい調子よ! いつもより短い詠唱時間で、いつもより強い効果を示しているわ!」

 そりゃよかった。キティーソの言葉で、編集者としての俺が少しだけ自信を取り戻す。

 だが、状況は好転しているとは言えないような雰囲気だ。

 キティーソをぐるりと取り囲む兵士たちは、しっかりとした連携を見せつつも、徐々にゆっくりと後ろへ下がっている。

「撤退信号を!」

 キティーソがそう叫ぶと、兵士たちの群れにいた、キティーソ同様の真紅の鎧に身を包んだ女性が薄い魔法書を開き、詠み始める。一分もかからず詠み終わったのか、魔法書が綴じられた瞬間、空にパンパンと赤色の巨大な煙が吹き上がった。

 瞬間、四方八方から怒声が沸き起こり、地面が揺れる。

 俺は今度こそ尻もちをつかないように、足の裏に力を込めた。


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