第7章 戦争が得意な編集者なんているわけない・その2
四百人弱の兵隊たちがぞろぞろと歩みを進める。想像していた以上に早足なのに俺は驚いていた。人間の歩速が基本になるのかと思ったら、馬がペースメーカー。もちろん歩いている馬なのでそこまで速くはないものの、人間の足で追いかけようとすると、わりと駆け足っぽいペースにならんといかんのが、鍛えていないオッサンにはつらい。
「大丈夫か、ダイゴロー。輜重隊の馬車に乗せてもらえといっただろう」
馬上からトニオの声が降ってくる。
「はあはあ、いや、一応、このあとの流れを、はっ、はっ、確認、しておきたく……てっ」
「私はキティーソと行動を共にする。ダイゴローは丘でアンを守っていてくれ」
そうだと思った。思ったからこそ、小走りでオッサンボディを揺らしながら、ついてきたのである。
「はっ、はっ、と、トニオ……無茶は、するなよ」
「ありがとう。ダイゴローも気をつけて」
それだけ言うと、トニオは馬を走らせ、先頭に向かってしまった。
「はあ、はあ、ふう……」
本当は、死ぬなと言いたかった。でも口に出せなかった。口に出すと、俺の中に妙なリアリティが湧き上がってしまう気がして、怖くなった。
後方の輜重隊に合流しようと考えて、足を休める。戦争ってしんどいな。キューブリックの『フルメタル・ジャケット』を観たとき、なんであんなに訓練で走らせるんだろうと思っていたが、今ならわかる。戦争って足を使うんだな……。
輜重隊の荷車に乗せてもらうと、アンがいた。レッツ君もいた。アンは何やら別の魔法書を広げている。近づくと小声でそれを詠んでいるのがわかった。詠唱中に話しかけちゃまずいか。オッサン編集者は黙って座って体力の回復を図った。レッツ君はさっきアンに勧められた本を読んでいる。そうそう、読めるときに読んでおきな。年取ると読む時間も気力もなくなるから。
一時間ぐらい経っただろうか。
荷車の動きが止まった。
アンも本を閉じ、巨大リュックを背負って「ふんぬぅ、根性ですぅ!」と言いながら、荷車から降りた。
小高い丘が見える。丘の中腹には寂しげな雑木林がちらほら。少し離れたところに家のようなものも数軒見えるが、人の気配はしない。
すぐにドンと地響きみたいな大きな音がした。「橋、落ちました!」という怒鳴り声が聞こえた。ああ、ここが例の丘か。背水の陣になるっていう。
鉄と思しき金属製のしっかりとした鎧に身を包んだ男がやってきて、俺たちを丘の上へと案内してくれた。塹壕って言うんだろうか、地面をくり抜いただけの道を登りながら、丘の頂上付近に至る。
「ひぃ、ひぃ、重たかったですぅ……」
アンがドスンとリュックを下ろす。レッツ君と俺も持たされた飲み物やら食料やらを積んだ袋を置く。頂上には半径三メートルぐらい、深さ一メートルぐらいの穴が掘られていた。ここが俺たちの陣地か。
「ここで魔法書を詠むんですねぇ……よいしょっとぉ……」
「そうです。今、飲み物と食べ物を用意しますからアンさんは少し休んで……えっ?」
アンの仕度を整えようと思った矢先、アンがかついでいた巨大なリュックがもぞもぞと動いているのに気がついた。
唖然とする俺の前で、リュックは生き物のように起き上がり……やがて中から人が飛び出した。
「ぷはあっ、苦しかった! いやはや、いろいろな経験をしてきた自信があるものの、袋詰めにされて長時間運ばれたのは初めてだよ、ハッハッハ、勉強になる」
現れたのは生徒会長、イゼンゾ・カッサーだった。
豪奢な金髪が、丘の上を吹く風に舞う。
「ふーむ、空気はいいね。この空気にこれから血潮が交じると思うと……まったく、戦争なんて愚かなものに身を投じる人間の気が知れない」
芝居めいた口調で言う会長は、周囲を見渡してから、アンの頭を撫でた。
「ありがとう、アン。重たかっただろう?」
「そんなことはぁ……ありますけどぉ、でもでも会長がいてくれるとぉ、安心ですからぁ……」
すぐにレッツ君が水の入ったコップを用意し、会長に手渡した。受け取って一息で飲み干すと、会長は俺を見た。
「さて、と。なぜ私がここにいるのか、わからないといった顔をしているね、ダイゴロー。答えは簡単。我が愛するイザーダが私に頼み込んできたからだ。君やアンを守ってやってくれ、と」
登場した固有名詞に物足りなさを覚えた俺の顔に、会長はすぐ気づいたようだった。
「トニオくんは守らないよ? キティーソ・イサット嬢にも与しない。まあ、この陣地で君たちを守ることが結果として、キティーソ家に助力することになったとしても別に構わないが、直接的に彼女たちを手助けするとは言えないし、言いたくない立場でね」
トニオのセリフを思い出す。イゼンゾ・カッサーは五年前に反乱を起こしたガーシ公爵家の郎党だったという話をトニオはしていた。その遺恨はまだ消えていないということか。
「その表情からするとトニオくんから聞いているみたいだね? 私は王国に反旗を翻したヤーナオ・ガーシ公爵のご落胤というやつさ。我が父を直接斃したのは、学院のユーキオ・シマミィ先生だが……イサット家の兵にも随分と我が一族は痛い目に遭わされた。まあ、反乱なんぞする我が父が悪いといえばそれまでだが、恨みがないわけではないからね。助けてなんてやるもんかという気持ちが強い。が、そこを曲げてなんとかしてくれないかと、あのイザーダが頼んできたのだ! 一週間、私とともに生活することを条件にね! ハッハッハ、愛は家名に勝るというわけさ!」
出発前の一週間、局長が姿を研究局に姿を見せなかったのはそれが理由か。ありがとう、局長。
「わぁ、ロマン感じますぅ!」
盛り上がるアンに、ちょっと物申したくなる。こんな計画があるなら、そっと教えてくれてもよかったのに。
「不満そうな顔だね、ダイゴロー。でも君にこの計画を教えていたら、トニオくんにもばれていただろう。トニオくんにばれたら、キティーソ・イサット嬢にも伝わってしまったはずだ。すると当然、連中は私を戦力として考えようとするだろう。ワガタクアーの三兄弟くらいなら、私ひとりで相手ができるからね。が、そんなことはお断りだ。学院の安全を第一に考えるべき生徒会長の立場からすれば、イサット家には滅んでもらってはもちろん困る。が、個人としてはイサット家が痛い目に遭うのはどうでもよいからね」
会長は会長なりに、筋を通しているのだろう。
どれほどのものなのか実際のところは知らないが、周囲の評価が本当であるならば、アンの詠唱中、アンひとりを守るぐらい、わけなくやってのける実力があるのだろう、会長には。だったら……。
会長がパッと飛び上がり、掘り下げた陣地から飛び出る。丘の上に立って、遠くを見つめる仕草をした。
「おお、これが遠目の魔法か。アンくん、ありがとう」
「いえいえですぅ、私が詠んでいるので効果が低いと思いますけどぉ……」
「魔法が使えない立場からすればじゅうぶん立派さ。よく見える。ワガタクアーの陣容は……ふうむ、三兄弟それぞれが一軍を率いているみたいだね。魔法使いの数はそこまでいないようだが……武装はイサット家のものより数段上だな。帝国が武器供与をしているとみて間違いないだろう……なるほど、数でも装備でも劣るイサット家の軍勢を包囲殲滅して一網打尽にするわけか。キティーソ・イサット嬢の読み通りといえばそれまでだが……うーん、どうかな、読み以上にしっかりとした包囲陣形を整えそうだぞ、あちらさんは……あー、見えなくなった」
「ふわあん、ごめんなさいですぅ、効果時間の限界ですぅ」
景勝地にある百円玉で動く双眼鏡みたいな魔法だな……と思うよりも早く、俺の体は動いていた。陣地の外に這い出て、目を凝らす。
丘の麓からは、すでにイサット家の本隊が出発していた。小さい人影が細長い列を成して、稜線の奥へと伸びている。俺には魔法がないので、それより遠くは見えない。
「トニオたちは……無事に包囲網を脱出できるんでしょうか?」
俺がそう尋ねると、会長は「さてね」と肩をすくめてみせた。
「単に逃げるだけなら誰でもできるが……それだとこっちの計略……なんだっけ、この丘の前にワガタクアーの軍勢を引っ張り出す、というアイデアの実現は難しいだろうね。すぐに罠があると見破られてしまう。ワガタクアー三兄弟は、長兄のリューこそ武闘派と思われているが、末弟のケースはかなりの知恵者と聞く。うまくやらないと、撤退戦は不発に終わるだろう」
「うまくやる、とは?」
「適度に犠牲を出すことだ。無傷のまま逃げようとすれば、最初からそのつもりだったとバレる。包囲された、勝てない、もうダメだ、逃げるぞ……という流れを演出するためには、負けそうになることが大切で……」
負けそうになるためには、ある程度の死者が必要ということか。ふざけんじゃねえ。
ふと見れば、レッツ君が拝むようにして両手を握りしめて震えている。主人であるトニオの無事を祈っているんだろうか。
最後まで言い切らなかった会長を俺は軽く睨むと、陣地に飛び降り、飲水の入った革袋を一つ掴み取った。
「ここは……」
「任せてくれてかまわない。行き給え、君の大切な人を守るために」
全部、会長はわかってるんだな、ちくしょう。
編集者は読者よりも先に、結末を知っていなければいけない存在なのに。
この異世界では、俺はなかなか編集者になりきれない。それが妙に悔しかった。




