第6章 誰よりも読者を尊敬するのが編集者・その2
局長の言葉に、俺の心が完膚なきまでにノックアウトされてから、あっという間に一週間が過ぎた(局長は俺に魔法書を渡した日以降、研究局に顔を出さなかった)。
その間、俺はイサット家から預かっていた魔法書の校正を終わらせ、トニオの《文字修正》の魔法ですべて修正してもらった。
アンの新作執筆は編集者としては非常にイージーモードで、何もせずとも原稿ができあがっていた。ちょうど昨日の夜、「えっとぉ、できましたぁ……」とアンが持ってきてくれたのである。
内容は特濃のBL小説。受けの生家が燃え上がるシーン以降が、既視感というか、なんかこれどっかで見たぞというか、完全に『風と共に去りぬ』とプロットそっくり同じじゃねえかと思ったが、まあいい。筋立てが似ているというだけでは盗作にはならない。
アンの新作に対しても校正作業を進め、内容には口出しせず、数カ所の(文字数を考えるとすさまじく少い量だ)誤字脱字をトニオに修正してもらい、完成とした。
「校了!」
研究局の俺の机に積み上がった、イサット家の魔法書とアンの新作魔法書を眺めて、思わず俺はそうつぶやいてしまったが、傍らにいたトニオは暗い顔だった。
不安なのだろう。俺だって不安だ。
普通、編集者の仕事はここで終わり。まあ、本ができて読者に届くまでが、読者が読んでくれるまでが、読まれた本が社会に浸透し、しっかりと時代にその足跡を刻み、未来に向けて残る本へと育ってくれるまでが、編集者の理念上の仕事といえばそうなのかもしれないが、現実的にやれることってそんなにないしね。SNSに新刊のことをつぶやく……わけにも異世界ではいくまい。
というより、この世界においては、ここからが本番である。
魔法書が魔法書としての価値を発揮することで、本の意義が確かめられる世界だ。
「まあ、やれることはやれたと思うようにしようぜ」
俺がそう声をかけると、トニオはゆっくりとうなずいた。
「昨日、キティーソから連絡があった。ワガタクアー家の軍勢の準備が整ったらしい。一両日中には動き出すと見て間違いないそうだ。私も明日にはここを立つ……が、もう少し時間が欲しかったというのが正直なところだ」
同感である。一番の心残りは、アンの新作魔法書のこと。戦争に使うのであれば、実証実験が必要な気がする。威力もわからんのに戦場に持っていって、まるで使えない結果だったらどうすればいいんだろう。が、どうやらテストに費やす時間はなさそうだった。
それに会長の助力も取り付けられなかった。局長には何度頼んでも断られたので、もう直接交渉だと一度、俺が直談判に言ったのだが、ハハハと豪快に笑われて無視された。編集者なんでわかるんです、どの程度のノーなのか、軽いコンタクトだけでも……あれはどうあがいても拒絶だろう。
というわけで新しい魔法書の能力は不明で、会長の手助けもないという準備状況。トニオの不安も痛いほどわかる。が、いつでもそうだが、時間は無慈悲だ。
「会長の代わりはつとまらんだろうが、微力ながら俺も参加する」
いよいよ戦場に向かうとなると、これまでの人生で使ったことのない神経が揺さぶられる感じがして、正直に言えば怖かったが、トニオの前でそれは口にできない。
「ありがとう……。ただ、ダイゴローは戦場には立たないようにしてくれ。輜重隊の一員に加えてもらえるよう、キティーソには頼んである」
「アンの魔法書については? アンは自分が詠むと言っていたが……」
トニオは思案するように形のよい顎を細い指で撫でながら、ゆっくりと口を開いた。
「それについても、キティーソにすでに依頼済みだ。新しい魔法書が完成したが、詠唱に時間がかかるため、長時間魔法使いを防御できる陣地を構築してほしい、と。ただ、少し中味を確認させてもらったが、今回の戦いでは、実現可能性が低いかもしれない。誰が詠んだとしても、五時間以上は詠唱にかかるだろう。イサット家の総兵力は騎兵が五十、歩兵が三百というところで、ワガタクアー家も似たような陣容だ。実際の戦場で白刃を交えるのは五百人に満たない。そこに両家合わせて十名に満たない魔法使いが加わったとしても……膠着状態になるとは思えないからだ」
つまり、トニオは「五時間も詠唱をし続けていられるほど、戦闘が長引かない」と考えているわけか。
そのあたりの肌感覚は俺に全くないため、わからない。乏しい知識で無理やり語るとすれば、「大坂城夏の陣」っていうより「長篠の戦い」とか「関ケ原の戦い」って感じなのかな? 城攻めではなく、広いところで軍勢同士がぶつかり合う、と。でも「関ヶ原の戦い」ほど参加人数は多くないから、あっさり終わってしまう可能性がある、と。
うわあ、なんかイメージが湧いてきたな。弓やら槍やらで武装した人間がもみくちゃになって怒声上げつつ入り乱れ……んー、俺の体力や反射神経を自己評価すると……多分、すごくあっさり刺されたり射たれたりしそう。
輜重隊に加えてもらえるという話は嬉しいが、かといってトニオやアンを戦場に立たせておいて、自分ひとり隅っこで震えているというのも……筋が通らない気がする。
「アンは俺に任せてくれ。なんとか守ってみせる」
いざとなれば局長からもらった魔法書もあるし……まあ俺に使えるかどうかわからんのだが。
「戦場だぞ? ダイゴローには荷が重いのではないか」
トニオはそう言うと、睨むような厳しい視線を送ってきた。
が、それに怯んではいられない。
「確かにね、戦闘経験はないが、昨日、今までにもらった給金で鎧みたいなもんを買っておいたんだよ、学院の購買みたいなところで。多少は防御力も上がったはずだ」
「あれは模擬戦用の運動着だぞ。実際の弓や刃を防げるわけではない」
「じゃあ、編集者稼業で培った根性でどうにかするさ」
根性論は好きではないが、根性しか武器がない場面は、編集者をやっているとよく出くわしたからな。
「それに……今回は編集者として、戦争に参加するって決めたんだよ、俺は。読者である精霊に、俺が編集した本が通用するかどうか。この目で確かめんことには、編集が終わらない」
「……ダイゴロー」
俺の言葉に意志を感じてくれたのか、トニオはそれ以上何も言わなかった。
無言のまま、荷造りを二人で進める。
しばらくすると、トニオの従者の少年が研究局にやってきて、荷物をまとめて運んでくれた。
あの少年も、戦場に行くんだろうか。
そんなことを俺は一瞬考えてしまった。




