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第6章 誰よりも読者を尊敬するのが編集者・その1


 アンとの打ち合わせを済ませた俺は、駆け足で魔法書研究局に戻った。

 いろいろと考えるべきことが山積みだが、こういうときは落ち着いて、できる仕事から片付けるのが編集者の鉄則。慌てふためいてオロオロすると心も不安定になる。そうなるととんでもない見落としやらかしたり、取り返しのつかないミスをしたりする。

 というわけで、まずはイサット家から預かった魔法書の校正作業だ。

 二十冊以上ある魔法書を一冊ずつ、丁寧に読み解いていく。

 読んですぐにわかるが、どれもトニオの書く魔法書の体に近い構成をしている。文体も丁寧で綺麗だ。読んでおもしろいということもそんなにないが、短い異世界編集者生活の中で培った、〈この世界で正当とされる魔法書観〉にどれもしっかり適合しているものばかり。

 一冊、二冊、三冊とスイスイ読んでいく。あからさまな誤字脱字といった、目を覆いたくなるようなどうしようもない誤植はない。接続詞の不足を感じるところや修飾節の物足りなさなどは多少あったが、大仰に書けばよいというものでもないのかもしれない。

 内容は《火》系統の魔法書が圧倒的に多い。おそらくはそれらの魔法書で〈火〉を使う魔法を発動させ、火矢を打ち込むような要領で敵陣に火を投げ込んだり、爆発を生じさせたりするんだろう。

 そこまで考えて、段々と戦争のイメージが湧いてきた。

 どの魔法書もそこまでボリュームが多いわけではない。声に出して詠んだところで、せいぜい三十分もあれば詠み終えるに違いない。

 一方で、その程度の時間は、詠むために必要ということになる。魔法使いが魔法書を詠んでいる間はどうするんだ? 鎧や盾で武装した兵士が魔法使いを守るんだろうか? あるいは局長がふわふわ浮かぶ椅子に座っているような具合で、敵の攻撃を受けないような空間を魔法で確保しながら、魔法書を詠むんだろうか? 

 どちらにせよ、魔法使いの役割は、俺の知る戦争で言うところの、砲台のような役割なのだろうと推測する。遠距離からの火力で前方の敵を制圧するような感じ? うーん、もっとミリタリー関連の知識が俺にあれば……と頭を抱えたくなるが、知識がないことを呪っても意味がない。

 というか、《火》系統以外の戦争に使える魔法ってないのかな。アンの《濁流》の魔法書は高潮のような巨大な水流を発動させたとのことだが、そういう利用法もできないのかな? 盆地に敵を誘い込んで、水が流れてきて……ほら、豊臣秀吉の、なんだっけ、高松城の水攻めみたいな感じで。

 いや、違うか。やめておこう。戦争における作戦立案までは俺のミッションじゃないし、何も思いつかない。トニオの話から察するに、この世界の人々は戦争に対して、少なくとも俺よりは経験値がありそうだし、素人があれやこれや考えても失敗するだけだろう。そしてこの場合の失敗は他人事ではなく、俺自身の命の危険にも繋がりかねない。キティーソ・イサット嬢やトニオの采配にそのあたりは期待しよう。

 

 淡々と魔法書の校正作業を進めていたらあっという間に十冊以上の校正が終わった。修正すべきページや内容についてメモを取りつつ手を動かしていたが、そこまで修正箇所が多くないのであっさり終わりそう。もっと内容そのものへの言及をしたほうがよいだろうか?

 そこは思案のしどころだった。

 あからさまに物語の構成が破綻しているようならば、手の入れようもある。が、イサット家から預かった魔法書は、どれもきちんとまとまっていて、俺が不用意に手を入れると、そのまとまりが崩れそうな気もする。アンのBL小説のようなおもしろさや、局長の不思議系物語のような破天荒さを織り交ぜるには、ちょっと完成度が高すぎるのである、どれもこれも。

 精霊、すなわち魔法書の読者のリアクションを俺は編集者として推測する。

 おそらくは……いつもどおりの魔法書だと理解し、いつもどおりの働きを示してくれるのではないか。だとすると、戦争の結果を左右するのは火力、この場合で言えば魔法書の数とそれを詠める魔法使いの頭数ということになる。キティーソは使えるA級魔法使いは自分を含めて二名だと言っていた。敵がそれ以上の数をそろえていたらどうなるんだろう? 敵もこの程度の物語を持つ魔法書を用意していたと仮定するならば……魔法使いの数で負けたら、戦争の結果も推して知るべしなのでは?

「うーん……でも魔法使いの数を増やすのは、俺の仕事じゃないしなあ……」

 うっかりそう独り言をつぶやいてしまう。編集者って、深夜まで仕事をするのが日常茶飯事なのだが、誰もいない夜中って結構、独り言がこぼれちゃうんだよね……俺だけ?


「戦争をするのもアンタの仕事じゃないわ」


 うわ、聞かれていた……と驚くよりも前に、自分の脳みそに冷水ぶっかけられたような衝撃で身が縮こまる。


 視線を動かすと、局長がいた。机に向かってペンをせわしなく動かしている。

 背伸びをして局長の机をのぞきこむと、ずいぶんとこぶりな判型の魔法書に何やら書き込んで言える様子。

「すみません、仕事に没頭していて局長がいらしゃったことに気が付かず……」

 そんな俺の日常会話はピシャリと遮られた。

「今からでも遅くはないわ。イサット家に手を貸すのをやめなさい」

 局長は机から顔を上げないが、さすがの俺にも局長の可憐な美貌に怒りの色が浮かんでいるであろうことは想像できた。

「いや、しかし……トニオの頼みですし、放っておいたら魔法学院も魔法書研究局も危ないというのであれば……」

「危ないというのであれば、何?」

 局長の言葉は厳しい。


「アンタは異世界で本をつくってたんでしょ? アンタのいた世界では、本で戦争を止められたの?」

 局長の言葉は鋭い。


「アンタが本を大切に考えている人間だってことは短い付き合いだけどわかったわ。だから聞くけど、アンタにとって本より大事なものなの? 戦争って?」

 局長の言葉は激しい。


「アンタは編集者なんでしょ? 本をつくるのが仕事なんでしょ? 本には読者がいるんでしょ? アンタの物語の読者は、どこにいるの?」

 局長の言葉は……優しい。


 俺は返す言葉を探した……が、見つからない。

 局長の言葉は真実だからだ。

 戦争という暴力に対して、本は無力だ。地球の歴史をいちいち振り返らずともわかる。本という教養が暴力に打ち克った事例を俺は知らない。

 一方で、俺は割と単純にペンは剣より強いと信じている。

 が、それはペンが剣に勝てるという意味ではない。

 剣に肉体が切られたとしても、ペンに宿った言葉、そして言葉に託された人の思考や感情は、決して死なないという意味だ。だから書籍という残すメディアの存在に、意味と価値がある。

 

 黙ってしまった俺の耳に、局長の大きな溜め息が流れ込む。

「ふう。まあいいわ。もう動き出しちゃった以上、アンタも動くつもりなんでしょ?」

 それはそうだ。局長の言葉がどれだけ真実だとしても、俺は俺の決めたことを覆せない。

 雑誌やMOOKのように、配本日が決定している媒体の編集って、もう動き出したら止まることはできないんだ。止まれる編集と止まれない編集があるが……今は圧倒的に後者だ。

「はい、できた。これあげる」

 局長が立ち上がり、静かに俺へと歩み寄る。

 局長の白く細い腕が伸び、俺に一冊の本を突きつける。

 文庫ぐらいの小さな判型の、おまけにめちゃくちゃ薄い本だ。

 が、手にすると重い。表紙の素材が紙じゃないことにすぐ気がつく。

 木……いや金属か? 冷たい感触と手首を引っ張る重量感とに新鮮な興奮を覚えつつ、俺は本を受け取った。

「……これは?」

「《移動》の魔法書。戦場でもうどうしてもダメだと思ったら紐解きなさい。普段アンタがしゃべるようなリズムと抑揚なら、三分で詠み終わるわ」

「局長、お言葉ですが、俺は魔法が使えません」

「アンタ、アタシがなんであんなふうな魔法書を書いているか、わからないの?」

「……え?」

「子どもっぽい文章とデッカイ字でアタシが書いている理由はね、ふたつ。ひとつは誰でも詠めるようにするため。もうひとつはどんな精霊でも聞けるようにするため」

 特に誇るでもなく淡々と言い放った局長のセリフに、俺自身は頭をぶん殴られたようなショックを受けていた。

「アンタが言ったように、アタシも精霊こそが魔法書の読者だと思っている。でもね、精霊っていろいろいるの。A級魔法使いだのなんだの魔法学院では呼びかけられる精霊の質量で魔法を語りがちだけど、精霊にだっていろんなレベルがあるわけ。御大層な物語とか小綺麗な文章じゃないと腰を上げない精霊もいるけど、数行の散文で喜ぶ感性を持つ精霊だっているのよ。前者の精霊は確かに訓練された才能のある魔法使いじゃないと使役できない。でも後者のような精霊はそんなに強い魔法力がなくても語りかけることはできるはず……というのがアタシの研究のメインテーマよ」

 局長は、子どもじみた文章しか書けなかったわけではない。あえてそうしていたのだ。

「つまり……局長は魔法書を通して、魔法をより一般化、大衆化させようとしている?」

「飲み込みが速くて助かるわ。アタシの最終的な目標は、誰でも魔法を使える、つまり誰でも精霊に言葉を聞かせられるような魔法書をつくること。簡単な言葉で小さな精霊の力を借りられるようにする……ことで、社会がよりよくなるって信じてるの、アタシは」

 そんなの……。


 本という存在の基本じゃねえか。

 

 いや、編集という概念の、最も根底にあるべきものじゃねえか。


 俺はその基本を、その根底にある理念を……どうやら忘れていた。

 異世界に来て忘れてしまったわけではない。

 異世界に来る前から、地球にいた頃から、すっかり忘れていたような気もする。

 本は、特別な知識階級のためにあるのではない。

 かつての本はそうだったかもしれないが、現代の本はそうであってはいけないと俺は信じている。

 知識を、教養を、より広く社会の隅々にまで浸透させるために本はある。

 だからあれだけの部数を刷るわけだし、だからああした流通形態が生じたのだし、だから出版という文化が咲き誇ったんだ、近代の人類において。

 そんな当たり前すぎることを、俺は目の前の少女に改めて教えられた。

「……ありがとうございます」

 それしか言えない。情けなくて。

「語りかける精霊をよくイメージするのよ? 自分の肉体を遠くまで運んでくれる精霊ってどんな動きをするのかとか、どんな表情で運ぶのかとか、そういういろんなことを具体的にイメージすればするほど成功率が上がると思うから」

 ご丁寧に魔法書の詠み方まで教えてくれる。言葉が書かれていればそれでよいと思っていたダメ編集者としては、いよいよ返す言葉がない。そうだよな、相手がいるんだよ、読者がいるんだよ、読者が書かれた言葉に触れて、はじめて本は完成するんだよな……ちくしょう、なんか涙が……。

「イサット家とワガタクアー家の争いにアタシは興味がない。その結果この場所が失われる可能性があるとしてもね? アタシがアタシである限り本はつくり続けられるし……でもまあ、アンタがいるとアタシの研究ももう少し捗りそうだから、アンタにはできれば生きて帰ってきてほしいわけ。もちろんトニオにもね」

 局長はそう言いながら、背を向け、研究室の扉に向かってゆっくりと歩く。

 中年男のブサイクな泣き顔なんぞを見ないようにしてくれだのだろうと、感謝する。

 研究室の外へ出ていく局長へ、俺は静かに深々と頭を下げた。


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