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第5章 何よりも著者を大切にするのが編集者・その4


 研究室まで案内しようかと思ったが、別にその必要もないことに気づく。というか局長がいたらいたで、打ち合わせがやりづらい気がする。

 現代日本であれば、打ち合わせによく使っていた馴染みの喫茶店がいくつか思い浮かぶんだが……ここは異世界。

 しばし躊躇してから、俺はアンとともに学食へ。まだ昼前だからそこまで人はいない。

 隅の一角にお互い座り、打ち合わせをすることにした。

「早速ですが、アンさんの書かれたものを見せていただいても?」

「あ、はい、恥ずかしいけどぉ、どうぞぉ……」

 袋からよいせよいせとアンは一冊の本を取り出した。

 デカいし、分厚い。B5判はありそうなサイズで、束幅は五センチメートル以上ある。革を巻いた上製本だし紙一枚の厚さも相当あるから、そこまでのページ数ではないだろうが、巨大な本であることは疑いない。

 机の上を袖で拭いてから、本を受け取り、静かに置く。

 黒ずんだ革には、《水》の一文字が刻印されていた。

 表紙をめくると、黄ばんだ紙が。極太明朝体のような字で《濁流》と書かれている。

「えっとぉ、私の故郷にぃ、おっきな湖があるんですけどぉ……とっても静かな湖でぇ、波もまったくなくてぇ……弟たちが舟遊びをするときに波があったらいいなあって言ってたのでぇ、試しに書いてみた魔法書ですぅ……」

 アンがコンセプトを語ってくれる。へえ、そんな私的な理由で魔法書をつくってもいいんだ、というのがそれを聞いた俺の率直な感想。もっとこう、公共性を有するものじゃないとダメなんじゃないの? トニオに聞いていた話と違うな。

「へえ、それは……いいですね。拝読します」

 だが、おもしろい。俺の立場からすれば、身近な人間の遊びのために魔法を使っても、別に魔法が使えるならいいじゃんって思うし、遊びのための魔法書が存在するのはむしろ自然なことにすら思える。局長の椅子が浮かんでいるのだって、そこまで社会に利するところがあるとは思えんし。

 俺は相槌を打つと、本文を黙読しはじめる。



 Kはその理知的な光を宿した瞳を無遠慮なまでにFへと突き刺した。見つめられるFは、肌が次第に粟立つのを感じていた。逃げたいと思う気持ち以上に、Kの視線を突き刺される感覚に心地よさを覚える自分に驚いていてしまう。Kとの間にある長い沈黙が、いつしかFにとってはなくてはならないもののように思えてきた。その時間が長く続けばよいとすら思うようになってしまった。あれほど拒んでいたはずのKと相対する時間だったはずなのに、今はそれこそがFが長い旅路の果てに求めていたものだと思えるようにすらなってしまった。

「そんなに緊張しないでくれ」

 Kの手がFの膝に触れる。

 血管が幾筋も浮き出た、深い皺に覆われた分厚い手は、とても温かかった。戦ってきた男の手だとFは思った。この手がFの妻も子も守ってくれたのだ。感謝するべきだとFは感じたが、一方でFの肉体はKの手から発せられる熱をより強く感じたいと欲していた。

 Fの喉からまたたく間に水分が消え去ってしまう。

 喉が涸れる前に、何かを言わねばとFは唇を開いた。

「俺は別に……緊張なんて……」



 いや、BLだコレ!

 しかも中年同士で不倫モノでかなり濃いヤツだ。

 大学在学中にバイトしていた編プロで散々BL小説の編集を手伝ったから知ってるもん。

「……おもしろい」

 こぼれたセリフはおためごかしではない。編集者としての本音である。

 まずなんと言っても、短い期間ではあるが俺がここまで学んだ魔法書のルールを全部ぶっちぎっているのがおもしろい。精霊への感謝は? 魔法書としての基本路線じゃないの? 精霊どこに出てくるの? いきなり冒頭から中年男性同士の濡れ場がはじまりそうなんだけど?

 が、そこに興奮する。いや、BL展開に興奮しているわけじゃなくてね? 魔法書の可能性を見せてくれた事実に興奮しているのである。

「こういったスタートをするってことは、これはプロローグですよね、KとFの関係性が序盤以降明らかになって、そこからKとFを中心とした愛憎劇が展開していく、と。Kの過去がキーポイントですよね、この流れなら。同時並行的に、理性的であろうとし続けるFの社会通念が壊されていく予感がヒシヒシ伝わるのがいいですね」

 だいたいそんな流れかなーとページを繰りながら俺が語ると、アンは机をバンと叩いた。

「そうなんですぅ! わかってくれましたかぁ! 嬉しいですぅ! 単純な愛じゃないんですぅ、でもむやみにドロドロしたものって私は読みたくなくてぇ、守るべき常識あってこその愛だと思うんですよぉ、ただただ肉欲に溺れるだけの愛ってチープだと思うんですぅ、私が書きたいものはぁ、もっともっと硬質でぇ、ぶっとくてぇ、たくましいタイプの愛なんですぅ、厳然たる日常ありきのドラマなんですよぉ! でもでも魔法書学科の先生もクラスメートも誰もわかってくれなくてぇ、みんな長いとか品がないとかぁ、怒るんですぅ……」

 まあこの内容じゃあ、普通の魔法書を至上と考える人は怒るかもなあ。トニオとか局長が読んだらどんな反応をするのか、興味はある。

「実際、アンさんとしてはどう考えているんです? この内容で精霊は奮起してくれると思いますか?」

 俺は魔法を使えない。したがってこの魔法書に書かれている物語については感想を述べられるが、この魔法書が魔法を使うためのメディアとして有効なのかどうかはわからない。

「……まだ実験段階ですけどぉ……」

 アンの声が小さくなる。ここだ。俺は確信した。本から目を外し、アンを見る。

 うつむき気味だったアンは、いつしか俺を真っ向から見据えていた。長い前髪の奥にある瞳が、強く光っている。

「……精霊はぁ、私の魔法書にぃ……かなり反応してくれると思いますぅ。この《濁流》の魔法書はぁ、港のはずれの浜辺で二度ほど詠んだことがあるんですけどぉ、どちらのときも高さ五メートルの波が生まれましたぁ」

「すごい威力じゃないですか」

「二度目は浜辺に係留してあった漁師さんの小舟が全部流されてぇ、漁師さんたちにも学園の先生にもしこたま怒られましたぁ……」

「その威力が褒められることはなかったんですか?」

「全然魔法の力がない私ですからぁ、たまたま高波が来たときにタイミングよく《水》の魔法がぶつかっただけだってことになりましたぁ。全部私のせいってことになるとぉ、小舟を弁償しないといけなくなりそうだったからぁ、私もそういうことにしてもらいましたぁ……」

 なるほど。才能ある人間が無制限に評価されるわけではないという点では、この異世界も俺がもといた世界も同じ傾向にあるのかもしれない。

「それにしても……結構な分厚さの魔法書ですよね。詠むのも相当な時間がかかるのでは?」

 俺はいい機会だと思い、前から疑問に思っていた、魔法書を使う際のプロセスについて訊いてみることにした。

「そうですねぇ……私は詠むのがとても遅いのでぇ……浜辺で実験したときはぁ、テントを貼ってぇ、夜更けから明け方にかけて五時間くらいかけて詠みましたぁ」

 やっぱりそうなのか。局長の書くような、五分もあれば黙読できちゃうタイプの薄い魔法書であれば、声に出して読んだとしてもせいぜい十分かからず詠むことができそうだが、こんなに分厚いとそうはいくまい。トニオほどではないが、几帳面な字で記された文字たちは、どのページにもざっと四百~六百字ほど敷き詰められている。本文用紙がかなり分厚いから、束幅の割にページ数は多くはないものの、それでも二百ページはありそうだ。おそらく十万字はくだらないだろう。それを精霊に聞かせるように詠むとなると……なるほど、五時間かかるというのもうなずける。

「大作ですもんね、詠むのに時間がかかるのも当然でしょう。ところでアンさんは、この物語のボリュームが、精霊に対しては必要十分な量だと考えていますか?」

「……えっとぉ、精霊によってはぁ、そのぉ、多すぎるかもしれないとは思いますけどぉ……」

「質問を変えましょう。アンさん自身はこのボリュームで満足していますか? それとも……」

「してないですぅ! もっともっともーっと書きたいことがたくさんあるんですぅ!」

 アンの反応は俺の予測通りだった。《濁流》の魔法書を俺はまだ最後まで読んでいないが、この筆の運びから察するに、膨らませたい物語の展開や深堀りしたいキャラクター像はきっとたくさんあるのだろう。そのへんは編集者なので少し読めばわかるつもり。

「でもでもぉ、実家から出るときに持たせてもらったお金で買えた新品の〈白い魔法書〉はぁ、この一冊だけでぇ、ページ数がもっとあるやつが欲しかったんですけどぉ……もうお金もないしぃ……成績優秀者には先生がどんどん〈白い魔法書〉をくれるんですけどぉ、それってみんな百ページもないしぃ、それにぃ、私はいい成績がとれないのでぇ……」

 やっぱりか。アンの全身から漂う鬱屈気味のオーラの正体は、おそらく不完全燃焼ゆえのもの。

 となれば編集者のやることは決まっている。著者の書きたいという情熱に応えるための、道具と環境を用意することだ。

「ご心配なく、アンさん。魔法書研究局の一員となった以上、アンさんには思う存分、書いてもらうつもりです。〈白い魔法書〉も私が手配します。で、今書いてみたいものは?」

「どぅふふふぅ……よくぞ聞いてくれましたぁ! 実はですねぇ、この《濁流》とはガラっと方向性を変えてぇ、もっと若い子同士の熱い友情をですねぇ、あ、友情って言ってもぉ、ちゃんと葛藤がたくさんあってぇ、二人とも貴族の御曹司なんですけどぉ、実家が仇敵同士でぇ、当人同士も仲が悪いところからスタートするんですけどぉ、でもライバルとしてお互いを認めあううちにぃ、段々と盛り上がってきてぇ……中盤のクライマックスはぁ、敵国の攻撃を受けて炎上する城から片方が片方を助け出すところでぇ……ぐっふっふぅ、傷ついたライバルをお姫様抱っこするシーンはもうめっちゃキュンキュンしますよぉ! あ、まだ私の頭の中にしかないんですけどぉ……」

「熱そうな物語ですね。それで行きましょう。タイトルのイメージはありますか?」

「えっとぉ、燃え上がる二人の道ならぬ恋路を描きたいのでぇ……《爆炎》とか《灼熱》とかぁ……《火》の魔法書の系列になるのかなぁ……」

「最高です。《濁流》の魔法書よりもページ数は?」

「増やしたいですぅ!」

「じゃあ、増やしましょう。二百ページ超の〈白い魔法書〉を一冊か、それが無理そうなら百ページ以上ある〈白い魔法書〉を二冊用意します。十五万字以上は書けるでしょう」

「最高ですぅ!」

「どれくらいで書けますか?」

「中盤までは諳んじられるぐらい頭の中に物語ができていますしぃ、残りもだいたい書きたいものがイメージできているのでぇ……まあ二週間もあればできるかなぁ」

 いいね。文句なし、だ。

 やる気のある著者と接するときの唯一のコツは、やる気を殺さないこと。この場合で言えば、余計なことを言わずに、好きなように暴走させることだ。アンには書きたいものを書きたいだけ書いてもらおう。

「では、今日の夜までには、〈白い魔法書〉をアンさんの元へ届けますので。一週間後に進捗を伺いに行きますから」

 そう言って俺は席を立った。アンがおそるおそるといった口調で尋ねてくる。

「はい……でもでもぉ、今更ですけどぉ、ほんとに私が書いてもいいんですかぁ? あんな私の好きを詰め込んだだけの物語を書いちゃってもぉ?」

 俺はアンをじっと見つめ、ゆっくりとうなずいた。

「いいんです。アンさん、精霊はあなたの物語を待っています。世界を変えましょう、あなたの物語で」

 それから俺は《濁流》の魔法書をしばらく貸してもらうよう頼み、昼が近づいたからか、段々と混雑してきた学食を後にした。


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