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プロローグ・その2

 プロローグ・2



 そう、俺は編集者だ。

 ぶっちゃけもう帰りたい。帰って五〇〇ミリリットルのストロングな感じのお酒を一気飲みしてそのまま布団に倒れ込んで目が覚めるまで寝続けたい。

 が、できない。


 なぜか。

 俺がいないと本ができあがらないからだ。


 だから深夜二時になっても机にかじりついてゲラとにらめっこしている。

 ゲラというのは、著者が書いた原稿を↓デザイナーに組版してもらって↓組版されたデータをもとに印刷所が「こんな感じに印刷されますよー」と出力してくれた紙のこと。校正紙とも呼び、また一番最初のそれは初校という名がある。

 こいつを念入りにチェックして、ミスがないかどうかを探すのが目下の俺の仕事である。

 ここでミスを見逃すと、ミスがミスのまま印刷され製本され書店に並んでしまうことになるため、非常によろしくない(最悪、つくった本が書店から回収される事態にもなり……そうなるともう、辞表を用意するレベルのミスとなる)。

 この作業をゲラチェックとも呼ぶし、初〈校〉(あるいは二校、三校、念校……いろんな校がある)が〈正〉しいかどうか確認することから〈校正〉作業とも呼ぶ。

 いずれにせよミスが許されない作業である。

 本来ならば校正を専門とする業者に任せるべき作業なのだが……残念なことに俺の勤務する出版社――人文学系の書籍編集を中心に、たまに小説や漫画なんかも刊行する中堅出版社――にはカネがない。校正業者に発注する予算がないのだ。だから編集者である俺自身がチェックしなければならない。

 でも、深夜二時。もう眠い。集中力も限界。

 ちょっと頭を冷やそう。こんなボケっとした頭で仕事をしてもミスの危険が増えるばかりだ。

「ごめん、ちょっと休憩するわ」

 俺と同様、まだ机にかじりついて仕事をしている同僚女性、橘菖蒲に声をかける。

「マジすか? コンビニ行きます?」

「行く」

「あたしのためにエナジーなドリンクお願いするっす。あとメンソールなタバコも」

 菖蒲は顔を向けることもなく、俺に用事を言いつける。

「はいはい……つーか毎回俺がカネ出してるけどそのあたりどうなの?」

「先輩は後輩にオゴるものっす」

「いやオゴる気ないから。校了したら清算するからな」

「じゃあオッパイで払うっす。十秒間揉み放題でチャラにしましょ」

「はいセクハラー。最近は男女逆でも成立するからな? その手の罪は」

「年下の爆乳美女編集者が勝つ方に五万ルーブルっす」

 入社が五年も早い先輩の俺に対して何という態度……とは思わない。

 まだ二十代で編集者経験は短いが企画のセンスがありよく働くこの同僚女性は、会社の財産だ。ミスはしないし知識も豊富だしヒット作も結構出していて、その編集能力には俺も一目置いている。育てていけば編集長ぐらいにはあっさりなるだろう。十年前に編プロから転職してこの出版社に中途採用された俺だが、(少なくとも編プロと比べると)居心地がいい会社なので辞めたくない。なので、数年後には俺の上司になるかもしれないこの女の機嫌はあまり損ねないに限る。

 深夜に高価なエナジードリンクをごちそうするぐらいならいくらでもやるさ。

 

 俺はキリのいいところまで校正作業を進めてから、席を立った。

 携帯電話はあえて机の上に置いていく。休憩中もスマフォ見ちゃうと、なんか休憩した気分にならないんだよね。

 コンビニでコーヒーでも買って、夜空を眺めて一息入れよう。

 そう思い、フラフラと雑居ビルのエレベーターを降り、外に出る。

 深夜の街は驚くほど静かだった。

 冷たい夜の空気で肺を満たす。

 だんだんと意識がはっきりとしていく気がした。


 その時だった。

 視界の隅に光が見えた。


 そいつが自動車だと気がついたときには、俺の肉体はもう地面から離れていた。

 車にハネられたと思った直後、激痛が腰あたりから背中、首へと走り抜ける。

 

 ぼーっと道を歩いていた俺が悪いな、と俺は反省した。

「大丈夫っすか!」

 どこかで聞いた声が大きく真夜中の真っ暗な空に吸い込まれていく。

 ぼんやり「やっぱり深夜に校正作業はやるもんじゃねえな。次回からはもっと余裕のあるスケジュールで働くようにしないと……」と考えながら、そのまま俺の意識は途絶えた。



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