第3章 異世界に転生しても編集者のままでした・その2
俺が王立ナッセキメーソウ魔法学院魔法書研究局で働くようになって一週間が過ぎた。
最初こそ俺の編集者としての能力に盛り上がってくれていた局長だが、すぐに飽きてしまったようで(まあ、どこまでいっても派手さとは無縁の職能だから、仕方ない)、トニオも必要なこと以外は口にしない性格らしく、おかげで俺は淡々と新しい職場に馴染むことができた。
まあ、そこに不満はない。編集者の仕事ってそういうもんだし。同僚が美少女だろうがなんだろうが、やるべきことは本をつくる、それだけだ。
もっとも、退屈かと言うとそんなことはなく、見るものすべてが目新しい環境のおかげか、俺はまったく疲れることなく仕事に専念できた。
最初にやったのは既存の本の校正作業。
研究局にある魔法書を片っ端から読んでミスを探し、メモをする。
メモを確認し、修正の必要ありと局長が判断したら、トニオが《文字修正》の魔法で一冊ずつミスを修正していく。
働いてすぐにわかったのだが、要するにこの魔法書研究局というのは、王立ナッセキメーソウ魔法学院における図書館のような役割を担っているらしい。
朝から晩まで割とひっきりなしに教師やら学生やらが顔を出しては必要な魔法書を持っていく。彼らは目的に応じた魔法書を詠み、魔法を行使する。
魔法で何をやっているかというと、モンスターを倒したり勇者一行を助けたりといったRPGっぽい行為ではなく、もっぱら日常生活における諸問題の解決に魔法を使っているようである。
これは俺には意外だった。率直に言えばなかなか理解が難しかった。
例えば昨日の朝、麻と思しき素材でできた地味な灰色のエプロンを着た、頭に藍色のほっかむりを被ったおばちゃんがやってきた。
たまたま研究局には俺しかいなかったため、応対すると、やたら威勢のよいおばちゃんは、「忙しいとこごめんね! 今月の分の食堂の火をもらいにきたよ」と言う。
俺がリアクションに困っていると「あーら、あんた新人さんね、老けてるけど! それよそれ、そこにある《かまどの火》の魔法書を貸してちょうだいな」と壁の本棚の下段にあったまあまあ分厚い一冊を指差した。
その前日に俺が校正して「誤:毛えろよ毛えろよパッぱパー ↓ 正:燃えろよ燃えろよパッパッパー」と修正した本だ。あと中盤のダラダラした記述をサクっとトルツメ(削除すること)して、ラストの展開も少し変えた。
魔法書を渡すとき、俺は興味本位で聞いてみた。
「はいどうぞ。ところであなたがこの魔法書を使うんですか?」
「んなわけないじゃないの、あんたおもしろいこと言うねえ、あっはっは。あたしが毎日火をつけたら、学院にある一年分の薪が一週間でなくなっちまう。あたしゃ魔法使いさまじゃなくてただの近くに住んでる村人さ。ご飯の仕度を手伝いに来ているだけだよ。この本を使うのはあのユーキオ先生さ」
「ユーキオ先生……すごい方なんです? 私、新入りでよく知らなくて」
「すごいもすごくないも! 炎系の魔法を使わせたら王国一って評判もある魔法使いさまなのよ? 五年前の反乱もほとんどユーキオ先生おひとりで鎮圧したっていうじゃない? このあたりが平和なのはユーキオ先生のおかげなのよ。おまけに人格者でね、ほんとに立派な人なのさ」
「……そんなにすごい人じゃないと、食堂のかまどに火をつけられないんですか?」
「学院の学生さんや学院で働く方々全員分のご飯をつくる食堂だからね、そこで使う火を一ヶ月絶やさないとなるとやっぱり相当の魔法使いさまじゃないと無理なんじゃないのかねえ。それにここの食堂もだいぶ古いから。年寄りの精霊を働かせるにはユーキオ先生ほどの人じゃないと難しいんじゃないかねえ。あたしにゃよくわからんけどさ」
「……いろいろ教えていただきありがとうございます。でも一応ユーキオ先生にお伝えください、いつもと同じように魔法を唱えると、威力が強すぎるかもしれません、と」
「ん? よくわからないけど、伝えておくよ。それじゃあね」
そうしておばちゃんは去っていった。
このやりとりは俺の中に小さくない疑問を呼び起こした。
おばちゃんは学食のかまどの火をつけるために魔法書を借りていった。
ユーキオ先生という魔法使いがその魔法書で魔法を使い、火をつけるという。
でも、おばちゃんのセリフにあったように、おばちゃん自身でも別に火はつけられるらしい。
学院の薪が一週間でなくなっちまう、と言っていたことからわかるように、例えばキャンプをする人間がやるように、薪を使えばちゃんと火は起こせるわけだ。
となると、わざわざ魔法に頼る理由はどこにある?
魔法を使えば薪の消費が少なくて済むから?
確かに一週間でなくなってしまう薪を魔法を使えば一年保たせられるというのならば、めちゃくちゃ省エネだ。魔法に価値があるようにも思える。
だが、それって人類の態度としてはどうなんだろう?
薪を使って火を起こし、煮炊きをすると効率が悪いから、魔法を使う……のだとするならば、科学技術が進歩発展する余地が生まれない気がする。
まだこの世界のことをつぶさに見て回ったわけではないから断言はしにくいが……どう見てもせいぜい十七世紀のヨーロッパぐらいの生活レベルしかなさそうだ。
電気もなければガスもない。蒸気機関もなさそう。さすがに火薬とかはあるんだろうか?
わからないが、何にせよ、魔法で日常のいろいろなことを解決できてしまう環境であるならば、そうした技術は生まれなさそうな気がする。
――と思う一方で、不思議に感じることもある。
建築物や造本技術、机や椅子や衣服といったものを見る限り、ある程度までの技術の進歩は観察できるのである。
おばちゃんの話がそれを証明する。魔法でかまどができたわけではない。もともとかまどはあったのだ。それをより効率よく使うために魔法が存在している。
この学院にしてもそうだ。トニオはそもそもは貴族の別荘だったと教えてくれた。おそらく、それを魔法で改造して地下道や地下室をつくったのではないだろうか。素人なので断定的なことは言えないが、地上の建物に用いられている建築技術と比べると、地下空間の構造はだいぶ趣が異なるように見える。
もしかすると、魔法は最初からこの世界にあったわけではないのではないか?
どこかのタイミングで魔法という概念が生まれ、そのせいで(あるいはそのおかげで)この世界はこんなふうになったのではないだろうか?
そんな考えに至った俺だが、だからといって別に何ができるわけでもない。
編集者はだいたいの場面において、観察者にしかなれない。観察した結果を後の世のためになるよう記録に残す、その手伝いをする役割だ。
俺は自分にそう言い聞かせて、校正作業に戻った。




