プロローグ・その1
プロローグ・その1
これが勝利?
これを勝利って呼んでいいなら、初版五千部で初速もイマイチだったけど、少しずつ売れ続けて、刊行から半年後に取次さんから消化率五割弱ですと教えてもらって、「重版しなかったけど、読者の評価はそこまで悪くないっぽいし、損益分岐点はギリギリ超えたし、赤字じゃないからオッケー」みたいな俺の編集者としての日常光景も、勝利と言い切って差し支えなくなる。
だが、これのどこが勝利なんだ?
失うものが関係各位の汗と時間と紙とインクぐらいしかない出版に対して、戦争は違う。
人がめちゃくちゃ死んでいる。俺の肉体だって物理的にボロボロだ。
いや、俺なんかマシなほうかもしれない。たぶん右腕は手首が折れているだろうし、左腕も肩と肘が痛すぎてまったく持ち上がらないが、生きている他の人間たちを見ると、だいたい俺よりひどい。
矢が背中や腕に刺さったままだったり、体のいたるところから流血していたり、おそらく火傷だろうが、顔が赤黒くただれていたりする人もいる。痛みを堪えるうめき声や文字通り息も絶え絶えって感じの呼吸音とかが、雲ひとつない青空の下、ひっきりなしに聞こえてくる。
兵士たちの肉体が教える戦争の爪痕を眺めつつ、俺は後悔していた。
編集者だなんだと偉そうに言っておいて、このわけのわからない世界のことを知ろうともしないまま、目先の仕事に夢中になっているフリをして、さも編集者として生きているような気分になっていたが……俺はバカだった。
俺がすべきだったのは、俺自身の編集だったんだ。
「どうかしたのか? どこか痛むのか?」
思いつめた顔をしていたからだろうか。傍らの少女が心配そうに俺を見つめてくる。
少女の整っていたはずの顔は、泥と煤で汚れ……眉間から左頬にかけて、血の筋が。
「問題ない。ていうか、そっちこそ大丈夫か? その傷……」
「撤退戦の途中に刀がかすっただけだ。どうということはない」
気丈な少女の言葉は、少女の意図とは関係なく、俺を責め立てた。
この真面目で美しい少女に、こんな傷を負わせる必要があったのか。
こんなふうになっちまうことを、全力で回避するように、動くべきではなかったのか。
どうして俺は、現代日本の怠惰な労働者気分のままだったのか。
どうして俺は、あらゆる可能性を試さなかったのか。
どうして俺は、目の前にある一番大切な物語から目を背けたのか。
だが、後悔しても、もう遅い。
売上が悪かったからって企画を立てた自分を責めても、誰も救われない。
俺の最高傑作は次回作。
そう言い聞かせて再び立ち上がってこそ、編集者だろ?
「俺は間違っていた」
きっぱり断言すると、少女は小首をかしげた。
「何がだ?」
「全部、さ。わけがわからないなら、流されちまえって思った時点から、間違っていた」
この世界にやってきてから今にいたるまでの時間のすべてを、否定することはできない。
過ぎ去った時間は、どうしたってなかったことにはできない。
が、間違いを正すことはできる。
「だから俺は校正する」
「《校正》? 今ここでか?」
訝しむような少女の指摘に、俺は力強くうなずいてみせた。
「俺は、俺の物語そのものを、まず《校正》すべきだったんだ」
校正って作業は、間違いを認めるところからスタートする。
書き間違え、リサーチ不足、推敲の欠落、惰性で手を動かした軌跡……そうした過去の間違いを、まずはきちんとその存在ごと認める。
そこを素直にやらないと、校正は進まない。俺はミスしてないもんとかバレやしないよとか読者も気にしないよどうせとか、そんなクソみたいな言い訳をしてしまいかねない自分を殺すためには、徹底して間違いを肯定しなければならないのだ。
何度でも言おう。
俺は間違っていた。この異世界での生き方を、根本から間違えていた。
だから、俺は校正する。俺自身を、編集する。
そう、俺が編集者だ。




