愛し君へのパンケーキ1
ともあれ、やってみるしかない。フライパンはコンロの上にある。あとは、ボウルと泡立て器があれば事足りる。それも、少し戸棚を開けて調べて回ればすぐに見つかった。
「えっと、小麦粉ってこの辺かな?」
「はい」
「卵を、二つ……と。卵、卵……この箱かな?」
「ほい」
「ミルクと、バター。牛のだよな?」
「バターおさがし? ムツアシ製ですが」
不慣れな俺が浸水を気にしながら手洗いをした後、材料を確認するのに夢中になっていると、相槌のようにアマナの声がした。小麦の袋、卵の箱、テンポよく、俺の視界の下の方に材料が動いて集まってくる。
「ああ、ありがとう……ん!?」
お礼を言ったあたりで、俺は妙なことに気が付いて食材の方を見た。そう、アマナはベッドにいるはずなのだ。キッチンまで蔦を伸ばしてくれているのだろうかと、俺は目を丸くする。
「あっ……」
そして、俺の足元に材料を持って集まってきたのが何かを、初めて視認した。
「こんにちは」
「どうもどうも」
「ごぞんじないアマナです」
それは、アマナだった。だけど、俺の知っているアマナではない。彼女が常々話していた、『アマナという存在のうちの一人』だ。それが三人ぐらい束になって、材料を掲げて足元に寄ってきていたのだ。
誰も彼も、だいたい同じ顔に同じ服だ。ちょっとだけ小さいか、大きいか。木の実で増殖する彼女たちは、その程度の差異しか持たない。ペパーミントのくるくるの瞳も、白い花の咲いたぼさぼさの茶髪も、甘ったるい声も、みんな同じだ。
「ほ、他の個体って、本当にアマナそっくりなんだ。初めて見る……あの、お邪魔してます」
俺が軽く会釈をすると、彼女たちは顔を見合わせて頷き合う。
「どうも」
「気にしないで~」
「何つくるの?」
好奇心旺盛に覗き込んでくる彼女たちに見守られながら、俺はノート通りに小麦粉を測って、ボウルに入れた。それから、卵を割って、泡立て器でかき混ぜる。カレルのメモによれば、牛乳は一度に入れるより、少しずつ入れた方がいいらしい。
幸いにして、俺の躯体は調理に必要な動作がちゃんとできるらしかった。
「まさか、ぱんけーき」
「それはもしやおとーさんのノート」
「どこ情報? どこ情報?」
「ちょっと離れて、火を使うから……」
俺はアマナたちを少しだけ台所から遠ざけた。彼女たちに火傷を負わせてはカレルに申し訳ない。とはいえ、初めてあのアマナ以外のアマナを見るのもあって、俺にも好奇心が湧いている。
慎重にフライパンに余熱を入れて、バターを溶かす間に、どうにか意思疎通ができないかと考える。
「みんなー、ぼくと蔦を繋げてー。そうしたらお話できるから」
「わかった」「りょーかい」「つまりこのひとうわさのあんどろいど」
それはどうやら、俺の知っているアマナが助けてくれるらしい。慣れた調子で手や背中から蔦をにゅっと出して、互いに握手のように絡めるのを見守っていれば、フライパンも良い具合に熱してくる。
「ごめん、迷惑掛けるけど、俺は通信しか出せないから」
「お構いなく」「ぼくらも声しか出せないし?」「おあいこおあいこ」
彼女たちが好意的なのが幸いだ。濡れた布巾を敷いて、俺は一つ一つパンケーキを焼き始める。
「アマナはみんなアマナなの?」
「そうだよ」「そうかも」「基本的には一緒かと?」
「アマナから、アマナじゃないものが生まれたりはしないの?」
「してるとは思う?」「結構、生まれて死んだもんね」「世代交代は起こってるよ」
俺はパンケーキの生地が、ぷつぷつと泡が立ってくるのを待つ。様子を見ていたアマナたちも、こればっかりは固唾を呑んで見守っている。フライ返しを差し込んで、くるっと生地を反転させるのに、俺は全てのセンサーを手に集中する。
「よっ、と!」
「おお~!」
ほどよい重量がフライ返しに伝わる。返した拍子に生地がはみ出てしまわないようにひっくり返せば、アマナたちから歓声があがる。あとはもう片方を焼けば一枚できあがる。料理はニューロマンサーだけでなく、俺にとっても楽しいらしい。自然と、俺にも熱が入る。
だけど、反対側にひっくり返した時、俺はどれだけ時間を掛ければいいのか分からなくなってしまった。おっかなびっくり、フライパンを覗き込んでしまった。
「こ、これぐらいかな?」
「串を刺すのです」
「その手があった」
焼き加減までは自動でとは行かないらしい。俺はアマナに言われた通り、串をパンケーキに刺して、生焼けでないかを確認した。生地はくっついてこない。俺は一拍置いて、意を決してフライパンからお皿にパンケーキを移した。
「多分、こう!」
「おお~!」「やれてるやれてる~」「まだある? まだ作る?」
アマナたちから歓声を受けながら、俺は今した動作を何度か繰り返す。パンケーキが一枚、また一枚と焼けて、丁度アマナたちとニエルルたちで分配して丁度いい量になった。
「あとは、蜂蜜……この世界に蜂っているのか?」
「似たものなら?」
「ありますが」
「ムツアシもそうだけど、代用はできるんだなあ」
そわそわとしたアマナたちからシロップ状のものが入った小瓶を受け取って、俺はそれをパンケーキの上からメモ通りに掛けた。ふんわりとした湯気が、ほのかに甘い香りを吸って俺のセンサーに届く。おそらく、人間が食べるのに支障がない出来だ。
(ニューロマンサーの記憶が流れ込んでくることもなかったな……)
思えば、こういう日常行動をした時、俺の側にはいつだってニューロマンサーの記憶があった。岸壁の港町では、それがトリガーになって俺に居心地の悪さを与えたりもした。だけど、今日はそれが思い浮かんでくることもない。
俺は、俺としてパンケーキを焼いた。そんな実感というには少し奇妙な感覚が、俺の回路にあった。
「よし、ロステルたちも呼んでいい?」
「どうぞどうぞ」
「ぱんけき!」
パンケーキのお皿を持って、俺はアマナが休んでいるベッドの方へと歩き出した。後ろから他のアマナたちがわいわいとついてくる中、途中で書物をめくるロステルとニエルルにも通信を掛ける。
「ロステル、ニエルル、二人にもちょっと食べてほしいものがあるんだ。いい?」
「構わないが、あなたが料理を?」
「丁度よかった、小腹が空いてたんです! うわっ、押さないで、わぁ」
アマナたちがロステルとニエルルを押して、椅子に案内する横で、俺はパンケーキを皿ごとひっくり返さないように運ぶ。二人と椅子に座ったアマナたち、そして、ベッドにいるアマナにも差し出して、俺は彼女たちの返事をそわそわしながら待つ。
「それじゃあ、いただきます!」
「いただきます」
「あなたにも感謝を。いただきます」
それぞれに挨拶をして、めいめいパンケーキを切ったり頬張ったりし始める。すぐに反応があったのはニエルルだ。目を輝かせて、フォーク片手に頬を赤くする。
「おいしい~! これは間違いなく上手なパンケーキです!」
「はぁ……。久しぶりに食べたな……おいしい……」
次に反応があったのはロステルだ。表情はあんまり変わらないが、どこか幸せそうな吐息が漏れる。こういう時、美味いじゃなくておいしいと言うのは、彼の育ちの良さを思い出させる。
アマナたちも、次々とわけっこして口にしている。たまに仲間同士で「あーん」なんてして、同種同士、和気あいあいとした雰囲気を見せている。
「ふふっ」
「んふふふっ」
彼女たちが顔を見せ合って笑い始めたのを、俺は見逃さなかった。思わず、ちょっと前のめりになって通信を送ってみた。
「どう? カレルさんのレシピ通りにしてみたんだけど……!」
「おいしい~」「しあわせだねぇ」「ふふふ」
アマナたちはそれぞれににこにことして、俺に答えてくれた。上機嫌に頭や蔦を揺らして、頬張る口元をほころばせてくれている。
そんな中、ベッドに横たわるアマナも笑って、俺に目を向けてくれた。
「でもね、これはどーつきの味」
「あれ? レシピ通りだけど、だめ!?」
「ううん。最高! でもね、どーつきのおあじ!」
「ふふっ、そう、だって」
アマナたちは一緒になって、まったく同じ言葉を発した。
「「おとーさんはパンケーキを焦がすもの!」」
「あっ……。ふふふっ、そっか」
俺もきょとんとしてから、つい笑ってしまった。それからちょっとだけ、自分の意気込みすぎていたところを恥じた。
何てことはない。カレルさんの焼き加減は、レシピより強めなのだ。その不正解の部分こそが、彼のパンケーキの秘密の味なのだ。俺が彼の真似をできないのは、当然だったかもしれない。
「まさかまさか、料理したことないのに百点満点狙っちゃった?」
「だめだよ~優等生すぎ~。まんまるパンケーキメンタル~」
「どーつきもこのおいしいパンケーキ食べられたらいいのに~」
アマナたちは口々に様々なことを言いながら、持ってきたシロップを掛けたり蜂蜜をかけたり、そのまま食べたりし始めた。
「ふむ……機会があれば、オレも焼いてみたいな。料理には興味があるんだ」
「こんなタイミングが、棄民城までにあるといいんですけどぉ……」
もちろん、ニエルルやロステルも、この束の間の休息を楽しんでいる。俺はみんなのそういうところを、頬杖をついて見守っていた。
もしかしたら、ニエルルの言う通り、休憩はこのあと、もうないかもしれない。でも、誰もそれを言い出さなかった。言い出さないほど、パンケーキはおいしかったのだ。
(そっかぁ、俺の味、かぁ。でも、みんなが楽しく過ごしてる。良かったぁ……)
正解ができずに悔しく思うかなと思ったけれど、俺はむしろ皆が平和に過ごしているこの瞬間が幸せで、ついそんな暗い気持ちを忘れてしまっていた。俺は空っぽになっていく皿を眺めてから、アマナの方に視線と通信を送る。
「次はちょっと火力強めにしてみようかな……どうなるの?」
「ふちがカリカリになり、健康によくないけれど最強のおいしさとなります」
「多分それ、人間は好きだよな。やってみよっと」
「そうしなよ。よくばりしていきなよ、これからも」
「うん……」
ベッドの上のアマナと言葉を交わして、俺は少しの気恥ずかしさに目を伏して笑った。
そうして、パンケーキの皿が空っぽになって、幸せな時間を目一杯にみんなで膨らませたあと、俺たちはいよいよお互いに向き合い始めた。俺やロステルが皿を片付けている間に、アマナの一人がさりげなく淹れてくれた水やお茶を手にしながら。
「そう、それでごほーこくがあります!」
テーブルを囲んでいた別のアマナが、しゅっと俺たちへと手を挙げた。
「俺たちも聞いていい話?」
「そのほーがよろしい?」「聞いとかないとやばいでは?」「命があぶない」
アマナたちはお互いに蔦を絡め合い、うんうんと頷いている。彼女たちはお互いの伝達を終えて、その上で俺たちに報告してくれているらしい。
「白い服のしゅーだんがさっきネ=リャハの方になだれ込んでたよ!」
「だいたいは緑の髪?」
「パニック寸前だったのでやばげ」
俺は彼女たちが口々に語るそれに顔を強ばらせた。アマナたちの発言を聞けば、それが何であるか俺にはすぐ分かった。
「銅の月の教団だ……追いついてきたのか。でも、あれ?」
「どうした?」
俺が気付いた違和感に、ロステルは首を捻る。
「俺たちが一ヶ月ぐらいひづめあとの底にいる間、彼らは何をしてたんだ?」




