『この世界(ディスワールド)』2
俺は彼女の名を呼んでから、初めてベッドに横たわる幼い少女に見える姿を捉えた。
「おひさしぶり。斧を持ってきてくれたのに、こんな姿で申し訳ない」
アマナは寝台に横たわっていた。くるくるとよく動くペパーミントの瞳や屈託のない笑顔はいつも通りだったけれど、俺の視界には嫌でも彼女の状態が映り込む。
彼女のシルエットは、シーツの下で一度泣き別れになってくっつけたような凹凸があった。蔦で形成される彼女は、血を流さないのかもしれない。端から落ちるあの瞬間、俺が見間違いだと信じたかったものは、残念ながら本当に起こったことのようだった。
「アマナ……」
「どーつき、そんな顔しないで~」
よっぽどショックを受けた顔をしていたのだろう。アマナは優しく俺に呼びかけてくれた。
「ロステルもおひさしぶり~。そっちのエルフのお姉さんは、会ったことあるけどこうして面と向かうのはおはつ」
「えっと、初めまして。ニエルルです……あの、大丈夫なんですか?」
ニエルルがアマナの肉体がどうなっているかに気付いたかは、俺から見た限りでは分からなかった。けれど、臥せっている相手に、ニエルルは何もしないタイプの人ではない。
「えーとね、通信装置を貸してくれる?」
彼女が心配すると、アマナはベッドから上半身を起こした。というよりも、胴体に含まれる蔦を使って、『人が身を起こす時のように、それっぽく起こした』にすぎない。そこから弾き出されるのは、もうアマナは上半分と下半分を一緒に動かせないという予感だった。
アマナはニエルルに借りた通信端末を耳に掛けて、小さくため息をついた。
「参ったね。ぼくも結構強い個体になったつもりだったけど、ここまでやられちゃうとは思ってなかったよ」
俺は彼女に相槌を打ちながら、斧を彼女のベッドのすぐ横に立てかける。
「アマナ、ネ=リャハの族長さんを知ってる? その人に案内された洞窟で、これを拾ったんだ。アマナが持っているべきだと思う」
俺はくすんだ赤帽子をアマナに差し出した。
「これは……こ、これは……!」
彼女はとても驚いた様子で丸い目を目を丸くして、両手で帽子を受け取って、いろんな角度から見た後で帽子の匂いをたっぷりと吸った。
「ああ……わあ、おとーさんの帽子……間違いないよ、おとーさんの赤帽子だ……なくしちゃった時、めちゃくちゃ泣いちゃったんだ……」
胸に帽子をぎゅっと抱きしめて、アマナは表情をほころばせた。そして潤んだ目を伏せたまま、息を吐き出した。
「ありがとう、どーつき。どーつきは手帳も見つけてくれたし、斧も帽子も返してくれた。なのに、ぼくはきみを守れなかった」
「いいんだよ。俺も、ロステルも、ニエルルも無事だったんだし」
「ちがうの、どーつき。ぼくはきみに、ちょっとだけ、悪いことを思いついてたんだ。聞いてくれる?」
意外な言葉に俺は瞬きを一つした。断る理由なんてない。俺はベッドの側の椅子に座って、アマナを覗き込みながら彼女の懺悔を聞く。
「おとーさんのこと、ひょっとして知った?」
「うん。ほんのちょっとだけ」
「じゃあ、ぼくがこの世界について、実はこっそり詳しいのも、もう分かってる?」
「うん、多分」
俺が頷くと、アマナはほんのちょっと眉を下げた。
「ぼくはね、おとーさん伝いに知っていた知識から、予測してたことがあったんだ。きみはもしかしたら、『かみさま』と接触できるかもしれないって。確証はなかったけど、ひょっとしてひょっとしたら、『かみさま』は気に入ってるきみのお願いを叶えてくれるかもしれないって」
かつて、アマナはこう言った。確たる証拠と裏打ち、そして認可がない限り、それは全て仮説なのだと。だから、口には出さなかったのだろう。俺が小さく頷くと、アマナはちょっとだけ埃のついた天井を見上げた。
「それでね、相乗りしてちょっとずるっこして、おとーさんに会えるようお願いできたらなって、ちょっとだけ思ってたんだ」
「それが悪いこと?」
「うん」
俺は口元に曲げた指を当てて唸った。が、彼女に素直な気持ちを告げるべきだと、顔を上げた。そう、彼女が何となく思わせぶりな態度を取ったりしたのは、単に父親に会えるチャンスを望んでいたからなのだ。
彼女が狙っていたのは、本当に本当に些細な招待状のただ乗りだ。もちろん、これが他の人間、それこそクーネル氏たちに知られれば大事になったろう。俺はそのあたりも加味して、やはり素直な意見を通信に乗せた。
「そんなに悪いこととは思わないし、もし『かみさま』がそんな都合のいいことをしてくれるなら、俺は相談してたかもしれない。だって、アマナは俺をたくさん助けてくれたし、そもそもカレルさんが大好きじゃないか」
「うん……」
小さな子どもそのものの返事をして、アマナは両手で布団をきゅっと掴んだ。
「機械種も確か狙っていたはずだが、『かみさま』は本当にそこまで影響を持てるものなのだろうか?」
そこでふと口を挟んだのは、ずっと俺とアマナの話を聞いて思案していたロステルだった。アマナも「ふーむ」なんて声を上げるけれど、答えは決めていたのか、すぐに返事をした。
「『かみさま』の把握は、人間も完全にはできていなかったからね。でも、おとーさんの資料は君たちにもきっと役立つと思う。書斎に全部まとめてあるから、好きなものを読んで」
「あ、それなら、アマナ。ついでに、この家のキッチン借りていい? それから、少しだけ食材も貰って大丈夫?」
「うん? うん、どうぞどうぞ。食材もあればどうぞ、ぼくらは正直どうとでもなるので」
許可は貰った。それならと、俺は立ち上がって書斎に急ぐ。
「ニエルル、ごめん。ロステルと一緒に、『かみさま』とこの世界の魔法に関係する資料をまとめておいてくれると嬉しい。いい?」
「もちろん! 何かしたいことがあるんですよね? 後でみんなで話しましょう!」
幸いにして、この家は今までの旅路が嘘だと思うほどに平和だ。俺は書斎の方へ歩いていって、扉を開く。真っ先に調べるのは、一番右にある本棚。その右下の棚の、端っこだ。
「あった……」
言われた通りのところを調べれば、とっておきのレシピが書かれたノートがそこにあった。決して、彼女は父のものに手を付けなかったのだ。アマナがいかにカレル・カレリイを大切にしていたかが分かる。
「えっと、あとは……アマナ、食材ある? ちょっと使わせてほしいものがあるんだ」
「お? どうぞ~。今、買い出しに行ってるけど必要な食材あるかなぁ?」
ベッドから聞こえる声に、俺はノートを手にしたまま首を傾げた。当のアマナがああなので、誰か別の人が買い出しに出ているらしい。
(ネ=リャハの人が助けてくれてるのかな?)
ハーブジャーの置かれたな素朴なキッチンに入り込んで、俺は小綺麗に整えられたシンクやコンロ周りを確認した。そして、小さく唸って目を閉じ、祈った。
(一度も使ったことないけど、調理周りのデータが壊れていませんように……)
俺のデータが壊れてしまっていたら、そもそもパンケーキを作るのは夢のまた夢なのだ。




