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多数決の石1

 洞窟を降りていく最中、しばらくは静かだった。遠く、どこかで水が鉱石や岩を伝って、ぽたぽたと音を立てる。それは、この間の銅の月の教団での一件を思い起こさせはしたけれど、俺にとって、さほど怖いものではなかった。


「これは……」


 それに、岩に掘られていたいろいろな壁画が、俺の興味を引いた。例えば、最初のうちに描かれていたのは、かつて岸壁の港町で見たデルヴォラアレ伝承録の風景だ。

 かみさまがこの世界を作り、わすれがたみが生まれ、ヨルヨリが生まれ、あちこちから移民が流れてきた結果、世界は戦火に包まれる。そして、わすれがたみもかみさまも、姿を消してしまった寂しい物語。だけれども、それ以外にもいくつか壁画はあった。


(これは、何だろう?)


 掠れた塗料をじっと見るに、桃色の髪の人間――わすれがたみがたくさん集まって、何かに祈っている様子だった。その力の波の描写を辿れば、俺にはとても見覚えのあるものがあった。

 わすれがたみたちが祈る先に、一つのブローチの絵があった。いつか旅立って間もない頃、ヴァン氏に聞いたわすれがたみの至宝を作っている絵なのかもしれなかった。それはきっと、ロステルに受け継がれている。例えそれが、心を蝕む機械を裡に溢れさせていたとしても。


(それに、これは……)


 俺の興味を引いたのは、そんなブローチを身につけた一人のわすれがたみが登場する壁画だった。それは剣を片手に、わすれがたみの同族やヨルヨリ、人間たちと一緒に行動している。海や、山や、森の中を進んだ果てに、巨大な爬虫類のようなものと戦うところまで。何枚かに分けて記されている。

 岸壁の港町や、カレル氏の手記では見られなかったものだ。


「その絵が気になるのかい?」


 不意に、俺は呼びかけられ、びっくりして背筋を正してしまった。振り返ると、そこには、これも見覚えのない青年が立っていた。


「ひ、人がいるんだ……えっと、こんにちは」


 俺はひとまず通信を掛けて、そのいでたちを観察した。赤っぽい茶髪のショートヘアに、簡素な上下、古びた臙脂のロングコートを羽織っている。だけど、一番目立つのはくすんだ赤い帽子と、その下にある緑の双眸だ。輪郭そのものは人懐こいように見えて、奥が鋭く光っている。俺には彼が、地球移民のように見えた。


「こんにちは。まず、先に一言。『引き返した方がいいよ』」


 青年は通信を受け取れるようだった。彼は帽子のつばの位置を直しながら、俺にそう声を掛けた。当然、俺はこれにYESと返すわけにはいかない。


「カイラさんと取引したんだ。この洞窟を抜けたら、いろいろ話して貰えるって」

「情報なら、壁画じゃ足りないかい? 外の人は知っているかもよ」


 手袋に覆われた指先が、俺の眺めていた絵画に向けられる。確かに、新しいものは見た。それが何なのかをカイラに聞きたいという気持ちは確かにある。今ある情報を今すぐ解決するに越したことはないのかもしれないと、ちらと俺は思った。


(カイラさんの話を聞くために戻っておく、か?)


 思いながら、一歩壁画の方へ踏み出すと。


「!?」


 俺は、入り口に棒立ちになっていることに気が付いた。あまりに突然のことで、何が起こったのか分からない。きょろきょろと状況を確かめようと視線を巡らせると、岩に座して、明らかに面白がって笑っているカイラが目に留まる。


「残り二回」


 彼はそれだけ言って、羽根を風にそよがせた。俺はおそらく、多数決の石の持つ、何かに引っかかったのだ。


「何が見えた?」

「壁画と、知らない人……」


 俺は素直にそう告げる。


「壁画は我らの手で彫られたものだ。寝しなに語られる物語だが、よそのお前には未知もあろう。だが、この洞窟の下でお前の知らぬものは出てこない。ゆめ忘れるな」


 俺は、人工皮膚がある方の手を見て、むっとした。おそらく、俺は「引き返せ」に従ってしまったのだ。なんだか悔しくなってくる。俺は助言してくれたカイラをちらと見て「ありがと」と言ってから、再び洞窟の階段を降り始めた。

 幸いにして、壁画の柄が変わっているといった風はなかった。俺は階段を改めて降りて、妙なところがないか時々壁画を横目で見ながら、壁に手をついて少しずつ下っていく。

 階段を全て降りて、あたりを見回す。あの不思議な青年は、今度の道中にはどこにもいなかった。安心したような、肩透かしを食らったような、不思議な気持ちが俺の回路の中を転がっていく。


 だけれども、知らぬものは出てこないと言われたのに、あの赤帽子の青年には見覚えがない。もしかして、トールやニューロマンサーの記憶だろうか。俺は首を捻りながら、また少しずつ、洞窟を進み始めた。

 行き先は暗く、トーチを掲げなければ先は見えない。ここが魔物避けの材料の石の下だからか、魔物の姿は見えないけれど、かえって何も聞こえてこない沈黙が不安になる。


「ドウツキ」

「っ!?」


 ふと、俺は後ろから、一番聞きたい声を聞いた。歌うとよく通るのに、そうでない時はとても静かなミッドの声だ。俺はつい、振り返ってしまった。そして、今進んできた方向の光に、彼の僅かな姿を見て、踏み込んでしまった。

 「しまった」と思ったのは、俺が入り口に戻ってきていると気付いてからだ。ひどい引っかけだ。カイラが面白そうに笑っているが、俺からすればたまったものではない。


「残り一回」

「くっ……!」


 言い知れない感情が俺の回路の中を駆け巡った。俺はさっきよりも怒った顔をしながら、ずんずんと下に降りていく。


 ――ドウツキちゃん、引き返しなよ。

 ――ドウツキ君。この先は危ないよ。


 絶対にいないクローディアやクラクの声までしてきて、俺はもう、むきになって進み続けた。壁画も、真っ暗な道も通り過ぎて、ため息をついたのは、次のエリアに出てからだ。

 俺の目の前には、深い霧に包まれた足元と、離れたところにある出口の光だけだ。


(足元が見えないな……)


 地下特有の湿気と冷気に、今更になって俺は孤独感を覚えた。今、聞こえた仲間の声は、誰も彼もここにいない人たちばかりだ。俺の記憶装置の中に刻まれた、思い出ばかりだ。思い出は俺を支えてくれるけど、時々、俺を思い切り後ろに引っ張ろうとしてくる。尻餅をついて、這って帰りたい気持ちにしてくる。

 俺は、深呼吸の真似事をした。結露がつきそうな場所ですることは憚られたけれど、湧いていた怒りや、これから沸き上がろうとする恐怖を抑えるために、俺にとっては必要な行動だった。

 外気が火照った回路を冷やしてくれるような気がする。それだけで、十分だった。


「ねえ」

「うわぁ!?」


 そうして一歩踏み出そうとした時に、俺の後ろから声が掛かった。さすがに驚いて、振り返り身構える。しまったと思ったが、今度は引き返す判定には引っかからなかったらしい。

 どうやら、声は俺が出てきた入り口の横、部屋の壁にあたるところから聞こえてきたようだ。

 先ほどいなかった、赤帽子の青年が後ろ手を組んで壁にもたれて、にこにこしている。その仕草は子どものようで、あまり見た目通りには感じられない。


「まだ行くの? ここは『枝の間』。道がいっぱいあるから、案内がないと迷っちゃうよ」


 これから案内すると言わんばかりの物言いに、俺は少しむっとする。


「あんたが誰かは知らないけど、俺は行くよ」

「あー、確かに。ぼくと君は、少なくとも知り合いじゃない。そうだね。君は、一方的にぼくを知ってるはずだけど、それはここにおいて重要ではない。それもそうだ」


 飄々とした態度で帽子を軽く直して、青年は前の方へ歩き出す。その時、俺は彼の脚に視線が向いた。彼が片足を少しだけ引きずっていたからだ。


「足、怪我してるのか?」

「古傷だから、気にしないでいいよ。少しだけ、付いてきておくれねえ。安心していいよ。引き返させるのはやめた」


 青年は俺に振り返って、帽子のつばの下で目を細めた。彼は確かに足に古傷を持っているようだったけれど、それで痛がっている風はない。俺は、何となく彼の後ろを付いていき始めた。足元は霧に満ちていて、足首から先まではまるで見えない。

 歩き方そのものを気にさせない悠々とした振る舞いで、青年は前に進んで行く。


「君は、ここを通ったことがある?」

「いや、今回が初めてだよ」

「ぼくも一回だけ通ったことがあるよ。ネ=リャハの人たちは、ここを通らない地球移民は信用しないんだ。機械種もね」

「彼らにとって、これが大事だから。だよな?」

「うん、そう。知ることは、尊重すること。偉いね」


 俺は、青年の言葉に少し気恥ずかしくなって、指で頬を掻いた。

 確かに、今までそうだった。俺は相手の全容を決して理解できているわけではないけれど、それでも、触れてきた人には向き合ってきた。それが良い結果を生むとは限らないけど、できることはあったし、できるだけ応えてきた。ネ=リャハの人たちに対しても、そうありたいと思っている。だから、通過儀礼を受けると決めたんだと。

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