死者より強く、何かに干渉する権利2
「ドウツキさーん、朝ですよ!」
次に呼びかけがあったのは、翌日だった。俺の回路は横たえていた躯体に何の異常もないと判断してから、俺の意識を起動させる。あまりにも平和な朝に、拍子抜けするぐらいだった。
「おはようございます。昨日は先に寝ちゃってごめんなさい」
起こしてくれたのはニエルルだった。彼女も元気そうだと判断できれば、俺もいくらかほっとした。
「おはよう、ニエルル……何も起きてない? ロステルは?」
「大丈夫です。ロステルさんなら、少し外の見回りに行きました」
「今戻った。おはよう、ドウツキ」
そう言っているうちに、ロステルが戻ってきた。俺が「おはよう」と返事をすると、布団の側に腰掛けて、彼は軽く息をつく。
「自分の意志であちこちに行くのは、まだ少し疲れるな」
「お疲れ様。何かあった?」
「遠目からだが、まだ岸壁の港町行きの船は停泊している。アマナの姿はまだ確認できていない。何も変化がないことは、今は良いことだと判断する」
「私もそう思います。目まぐるしいのは大変ですから……」
朝起きて状況が変化していないというのは、確かに今までの旅からすればいいことだ。俺はニエルルに同意して返事をしようとした。が、それより先に声を掛けた人がいた。
「おはよう、雛子たちよ。ずいぶんと深く寝たものだ」
「カイラさん……えっと、おはよう、ございます」
俺が返事をすると、声の主――カイラは俺たちを眺めて、問題なさそうに鼻を鳴らした。彼は器に野菜と肉の入ったスープのようなものを持って、家の奥の方から俺たちの前に現れた。ロステルがわずかに警戒して身を下げようとすると、カイラはからかうように目を細めた。
「昨日の不意打ちは詫びてやる。食え、お前たちの食事だ」
「……」
数秒のにらみ合いがあってから、しばし。しゅっと元気よく手を挙げたのは、ロステルではなくニエルルだった。
「いただきます!」
「殊勝な振る舞いは好ましいぞ、エルフ」
俺は食事を摂れないから、何かを言う権利はない。ロステルも渋々器を受け取って、一緒に器の中に差し込まれたスプーンを手に取った。口にすれば、その眉の寄りが和らぐのを見れば、俺も自然と彼と器から視線を逸らせた。
昨日の夜すぐに眠ってしまったからか、二人の食事も、あっという間に済んだ。
「カイラさん。それで、俺は何をすればいいんですか?」
「結局、客としての立場に甘んじることはないのだな」
「俺には、やりたいことがありますから」
カイラは試すように俺を見るが、決して、馬鹿にしている風はなかった。
「アンドロイド。固有名詞はあるか?」
「ドウツキ。銅の月で、ドウツキです」
俺に質問した後、羽衣を羽織り直して翼を軽くはためかせ、彼は「そうか」とだけ呟く。
「お前たちも、ドウツキに賛同している。相違ないな?」
「問題ない。オレはもう決めている。船に乗る気はない」
「私も。乗りかかった船ですから……って言うと、ロステルさんの反対みたいになっちゃいますけど。なんかこの人たち、放っておけないので!」
ロステルとニエルルも、それぞれに答えれば、カイラは厳かな雰囲気で首肯した。俺は一度だけロステルと目配せをして、彼を見据える。
「ただ、俺たちは譲るつもりは微塵もありません。俺があなたに向き合うのは、あなたが手がかりを持っているからです」
俺は拳を握った。ロステルだけじゃない。俺だって、こういう強気の交渉事は苦手だ。そもそも、アンドロイドは知的生命体には逆らうようできてはいないはずだ。だから、俺は人工の唇を噤んで、一拍置いてから、通信を送った。
「あなたが何らかの力を持って俺たちの道を阻むというなら、俺たちは押し通ります。例え、ロステルのブローチの力を行使するとしても」
ニエルルが息を小さく呑む。ぎょっとしたのを隠しきれない様子だった。が、じっとしていてくれた。
「良い」
わずかな沈黙のあと、口を開いたのはカイラだった。
「では、ドウツキ。お前は、一人でわたしに付いて来い。お前を『多数決の石』の審問にかける」
「多数決の石の、審問? 多数決の石っていうのは、あの大きな青い石のことですよね?」
俺もきちんと仕入れた知識が正しいかを確認したくて、カイラに問いかける。
「お前たちがどれほど世界に詳しいかなど、わたしは知らぬ。だが、この世界において『意志』とは、お前たちが思うよりも遥かに強い力を持つ。代表として、お前があれに向き合うがいい。我ら、ネ=リャハはそうして雛子を試す」
それが一体どういう審問かは分からなかった。でも、俺にいいえと言って、船から岸壁の港町まで逃げ帰る選択はない。
「審問で問題なければ、教えてもらえるんですよね? 世界のこと、かみさまのこと。それから、フィアルカさんのことも」
「いいぞ、雛子。逆らえ。知る限りのことを教えてやろう」
カイラは犬歯が見えるほどの笑みを見せた。それだけで、彼の内側にある嗜虐性と好戦性というものが、俺にもはっきりと見えた。
「だが、あれがよしと思わぬなら、抵抗など考えるより船に乗って逃げ帰った方が有為な時間が過ごせるだろうとは告げておこう」
俺はそれだけ確認できればよかった。頷いて、俺はカイラの先の言葉を待つ。カイラは、ロステルの方へ向いた。
「お前はわすれがたみだ。上に住む者はお前たち一族が傷つくのを望まぬだろう。ゆえに、一切の手出しを禁ずる」
「不服はあるが、問題はない。哨戒でもして時間を潰すとする」
「お前はエルフだ。南よりの使者として、我らはお前を監視する」
「ロステルさんと行動していいなら、そうしています。私も南からの情報は、一切持っていないので……それから、私はニエルルです。できればエルフだと、呼ばないでください」
ロステルの言い方は淡々としていて、ニエルルの物言いは丁寧だ。けれど、どっちにも決してブレない芯がある。俺は、二人を置いていくということについて、迷わずに済んだ。
「ありがとう。最善は尽くしてみるよ」
だからとお礼を言うと、二人は柔らかい表情で、俺を見てくれた。
「いつも通りだ。不安はない。……頑張って」
「ダメだったら全員ステルスで逃げちゃいましょうね!」
きっとそれでいいのだろう。二人に笑いかけて、俺はカバンとポーチを身につけて立ち上がった。カイラもゆっくりと重い腰を上げて、薄衣に赤い羽衣を羽織る。彼が持つのは、槍一本だけだ。
「では、沙汰を待て」
「二人とも……行ってきます」
俺はカイラに連れられて、家を出る。まだ天辺に辿り着かない太陽は、幸いなことに穏やかな日差しでもって、村を照らしていた。
朝になると、村はそれ相応の活気を見せ始めた。船乗りとネ=リャハのひとびとは石と物資をやりとりしている。少なくとも、険悪な雰囲気はない。俺とカイラは、その側を横切って、今まさに削り出され、小さくなりゆく多数決の石に向けて歩いていた。
「カイラさんも、審問を受けたことがありますか」
「ある。わたしの二つの親も、その親も。必ず多数決の石に問うてきた」
トロッコのレールを辿るようにすれば、おのずと近付いてくる多数決の岩の頂上を、カイラはゆるりと見上げた。
「ネ=リャハとは一つの族長に多くの民が付き、一族という形を為す。族長は一人死ぬと、必ず一人生まれる。族長は男であり、女であり、いかな同族ともつがいとなれるが、いかな同族とも家族とはなれぬ。わたしもまた、そうだ」
カイラは己の来歴を童話でも語るように俺に伝え聞かせて、羽根を朝の風に揺らしながら、俺の先を歩く。俺は、昨日ちょっとだけロステルと話したことを思い返して、通信を送ってみた。
「それは、寂しくないんですか?」
「くだらぬ。族長は、ネ=リャハの宝なのだ。『宝が自我を持っていて、誰が得をする』?」
それは、カイラが最初に話した言葉のひとつだ。だが、この文脈でそう言われてしまうと、途端に彼が窮屈な暮らしをしているのではないかと疑問を持ってしまう。俺がどうやって言葉を掛けていいか分からないでいると、彼は喉を鳴らして笑った。
「少なくとも、お前が思っているような扱いではないから安心するといい。お前は他人のことを随分と気に掛けるようだ」
「それは……そうかもしれません。俺が会ってきた人は、みんな何かしら、持ってたから」
ファニング家の面々を筆頭に、俺はいろんな人と、いろんな関わりを持った。その全てが、ミッドたちのように長いこと一緒にいられるわけではない。束の間、たった一度、軽く話を聞いただけの相手だっているし、ヒューバートのように話す機会さえ失ってしまった相手だっている。
それでも、そこにいた人は例外なく、何か触れたくなるようなものを持っていた。そして俺は、自分で積み上げてきた人格プログラム群のせいなのか、人の助けのために作られたアンドロイドだからなのか分からないけれど、そんな人々に関わりたいと思ってきた。
結局、そのほとんどが行方知れずになるような結果を出してしまっても、それは変わらないらしい。俺は少しだけ自分のスニーカーの爪先に目をやってから、カイラの翼が生えた背を見た。
「そう。助けたいかどうか以前に、俺は関わりたいんだと思う。せめて、俺に話しかけてくれた人に」
「ならば、それをこそ持つといい」
ちょっと考えているうちに、俺たちは多数決の石のふもとまでやってきた。俺が少し目を凝らすと、多数決の石の足元に、松明が置かれた穴が見えた。そこを下って行けと、カイラは一本の虹色に光る松明を手に、顎で俺を促した。
「雛子は、この洞窟を抜ければ一人前となる。お前は三度まで、ここに逆走してもよい」
ルールは単純だ。洞窟を抜けるのが俺のやるべきこと。ミスは三回まで。それだけ分かれば、俺はもう十分だった。カイラの不敵な、地球人類とは明らかに違う超然とした表情を見て、俺は頷き、穴に一歩踏み出した。
「じゃあ……頑張ります。二人をお願いします」
どうなるかは分からないけれど、それが俺一人でやらねばならないことなら、俺は喜んでそうしよう。ロステルやニエルルが、そしてミッドたちが、そうしてきてくれたように。
俺は穴の中に掘り抜かれた岩の階段を、受け取った一本のトーチだけを頼りに、ひとつ、ひとつと下り始めた。




