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大改訂、再び 3

 そして、ついに、俺は薄暗がりの向こうに果てしない黒を見た。大地の裂け目、ひづめあと。その広大な溝に掛かる、あまりに頼りない石橋も。申し訳程度に魔物避けに守られた石橋は、大型の機械種が乗っかっただけで砕けてしまいそうだった。

 見張りの影はあったが、緊急事態にびっくりしているうちに、機械種の銃撃に巻き込まれた。橋の近くにあった石の塔が、音を立てて崩れる。


「あとちょっとの辛抱だからね」


 クラクが息を切らしながら、必死に走っている音がする。だけれども、その速度はどんどん落ちていた。すっかり俺より後ろになって、苦しそうな呼吸が何度も聞こえてくる。


「クラクさん、これ無理だよ! あたしを置いて――」

「ダメだよ! 知人がこれ以上死ぬのはお断りだ!」


 彼は、ただ意地で俺たちについてきていた。地球移民の限界はとうに超えている。クローディアが言おうとしたことだって、分かる。分かってしまう。アンドロイドの躯体だって熱くなる距離を、地球移民は本当は走ってはいけない。それは、『無理』だ。


「どうして……」


 俺はか細く通信を出した。と、いっても、思考が何か回っていたわけではない。ただ、もう誰かが誰かを庇ったり、誰かが死んでしまおうとすることに耐えられなくて、衝動的に出した問いだった。

 だから、続きなんてなかった。あったとしても、追いすがってきた機械種の放つ爆風で掻き消されていたに違いない。


「旦那様、どうぞお先に。十分距離を稼いだら、またお迎えに上がります」

「悪いね。待っているよ」


 まずシーニャが先に石橋に到着する。息切れするクーネル氏を先に行かせて、彼女は大鎌を手に俺たちを牽制する。あれだけ走ったのに、彼女はうっすらと汗をかいて、小さく吐息をこぼすだけだ。


「旦那様が逃げるまでは、囮になってくださいましね」

「押し通ります」

「……できるものなら」


 ミッドがシーニャの誘いに乗るようにして、俺から手を離し、踏み込んだ。

 両の拳にシールドを纏わせ、ミッドはシーニャに隙を与えようとする。だが、彼はすぐに手を引っ込めて、後方へ下がった。彼のいたところを、大鎌の刃が撫でる。一瞬の判断だ。もし遅れていたら、彼も両断されていたに違いなかった。


「どうして!」


 今度こそ、俺は意思をもって、シーニャに問いかけた。彼女は大鎌の柄に寄り添って、小首を傾げて微笑んでいる。迫る銃弾や魔物の気配にすら、怯む様子がない。


「わたくしたちの描くファンタジーに、よその神は不要ですから」

「そうじゃない! どうしてそこまで、彼を……」


 俺は震える手で短剣を抜く。ミッドに握っていて貰った手は、光を放つ試験管を握ったまま固まってしまった手よりは、まだ動く気がした。

 だけど、甘かった。シーニャは見かけとは想像もつかない速度で詰め寄って、俺の手元にある試験管を鎌の柄で払ったのだ。


「あっ……!」


 試験管がくるくると宙を回って、自由落下に掴まれて谷底に落ちていく。煌めきがなくなるのは一瞬のことだ。

 シーニャは俺に息が掛かるほど詰め寄って、目を細める。優しい声色で語る。


「わたくしは、あなたたちと同じです。そのように作られた。ゆえに、そのように動く――そして、わたくしはそれが『楽しい』のです」

「人を、人の暮らしを、壊すことが?」

「はい」


 何も言わずミッドが割って入って、彼女にしなやかな蹴りを放つ。だが、彼女は優美に身をねじってかわすだけだ。ウェーブがかった髪をなびかせて、鎌の柄を地面から浮かせた。かと思えば、ミッドの首元目がけて、一瞬で振り抜いてくる。ミッドはそれをぎりぎりで判断する。身をかがめ、さらに踏み込むけれど、戦力差は歴然だった。

 俺たちは、弄ばれている。大鎌の柄を抱くように持ち、うっとりと微笑む彼女を前に、俺は初めて恐怖を抱いた。


「旦那様はたくさんのことを教えてくださいました。この世界のことはもちろん、地球のことも、あなたたちのことや、ひとの心の動き方、笑わせ方、泣かせ方――そして、街を管理するということの窮屈さや、孤独、それゆえに求める刺激も……」


 後方から、何かが俺のすぐ側を過った。慌てて振り返ると、そこにはクローディアの腕を置いて、俺と同じように怯えながらも、矢を放ったニエルルの顔があった。喉を鳴らしながらも、彼女は歯を食いしばって、抵抗していたのだ。


「あぁ、何て脆い。所詮、エルフとは耳が尖っているだけの人間です……」


 シーニャは彼女を歯牙にも掛けず、退屈そうに鎌の柄を回す。


「あなた、あなたは何なんですか? そ、そんな身体で、そんな大鎌、振り回せるわけがない……人間そのものの姿で強化した存在を作るって、禁止じゃ、ないんですか?」

「禁止ということになっています、ですわね?」


 震える声でニエルルが問うと、シーニャはまた、微笑んだ。

 『耳の丸いエルフ』は作ってはいけないことになっている――まさしく、彼女がそうだったのだ。彼女は幻想世界の力を得て、強化された倫理外の人間なのだ。だから、少女の姿で大鎌を取り回し、機械種の火の海にも恐れを感じず、俺を見られるのだろう。俺は、彼女の目に見える底なしの欲に、躯体が強ばるのを感じた。


「ああ、おかわいそう。貴方様は、どこかでこう思っていたはずです。『人はみな、よきこころを持っていて、必ず向き合ってくれる』――そうではないのですよ、ドウツキ様。よきこころのかたちも違えば、楽しいのかたちも違います」

「……っ」

「わたくしは従のふりをして、彼を弄ぶ。彼は主のふりをして、わたくしに傅いて孤独を癒やす。わたくしたちは、人を玩弄せねば満たされない。あなた様は、わたくしたちの檻を開けてしまったのです。そうなったからには……」


 シーニャが踏み込む。俺の後ろを通り、追いすがるミッドをいなして、彼女が向かう先は一点。


「全ての人生はわたくしたちの享楽となる」


 再び矢をつがえた、ニエルルだ。


「ニエルル!」


 俺は通信で大声を張り上げた。加速装置を付けて蹴り上げるけれど、それでも到底間に合わない。涙のあとで潤んだ目を見開いたニエルルが、そこにいる。シーニャの鎌は、彼女の頭から足に向けて振り下ろされようとしている。

 ニエルルという無辜の人が、真っ二つになる未来が見えた。

 この人は、本当に、本当に、俺に巻き込まれてしまっただけなのに。そんな理不尽で殺されるのはいやだ。いやだ。


「嫌だ!!」


 俺は渾身の言葉で拒絶した。


 刹那、シーニャの身体が不意打ちの突風に煽られて揺らぐ。俺は、はっとして空を見上げた。

 燃える戦場から火の粉が飛ぶように、夜空に一つの緋色があった。それは空中の機械種やグレムリンをことごとくかわして、フレアをまきながら、何かを俺たちのいる石橋の上に落とす。

 うねるその塊は、落ちていくにつれて人のかたちを為し、俺とニエルルの側に落下した。

 ぼさぼさの茶髪を、俺は知っている。寝間着のような青い上下の服も、底知れぬ大きなペパーミントの瞳も。


「どーも、ぼうりょくです」


 そこに立っているのは少女のかたちをした、優しい復讐者だ。


「アマナ!」

「よきこころ、汝の名はどーつき。ここまでされるの、さすがにいわれなさすぎ」


 アマナが俺の背中からひょいと斧を奪い取って、ぶんぶんと試すように振るう。そうして、かろうじて競り合っていたミッドと入れ替わるようにシーニャの前へと飛び出す。

 大斧と大鎌が打ち合う。強烈な膂力同士の衝突に、空気がびりびりと震える。


「はろー、めぎつね。淘汰はお好き?」

「まあ、はしたない言葉……」


 瞬き一つせず、アマナがそう言うと、鍔迫り合いをしたまま、シーニャがちろりと唇を舌で拭った。俺はニエルルを支えながら、空を飛ぶ影を視線で追う。


「ロステル!」


 そう、全てを振り払い、アマナをここに落とせるのは彼しかいない。燃えるような赤いコートが、空にはためいている。彼の機械の翼がまことの銀に輝いている。

 ロステルは、淡々と俺の回路へ告げてくれる。


「グリンツはイゲンに保護され、岸壁の港町に出立した。心配は無用だと判断する」

「そうか、ありがとう……!」

「迎撃する」


 空中で、ロステルの砲撃が始まる。彼に召喚される銃や砲、かつてわすれがたみたちを焼いたであろう全ての武器が、今、俺たちを守ってくれている。


(そうだ。どうしてはもう言ったんだ。俺には、することがある)


 何故と問う前に、俺には、俺にできることをしなければならない。

 そう演算で弾き出すと同時に、俺はクラクに視線を向けた。思考を止める。そうしなければ、もっと悲惨な状況を作ると、俺は自分に言い聞かせた。


「クラク、クローディアと一緒に、先に行って」

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