銅の月の教団4
俺たちは意思疎通ができないなりに、どうにか鞄の底にあったチョークの粉で絵を描いて作戦会議をした。
ニエルルは身を隠す『ステルス』の魔法を知っている。しかも、ステルスの状態のまま、歩くことができる。まず、俺はステルスに一緒に乗せてもらうことにした。が、本当に透明になれるわけではない。ここの人たちとぶつかったら、おしまいだ。俺たちは慎重に、通路を進む。俺が歩いてきた方向とも、彼女が走ってきた方向とも違う道を。
「鍵の扉です……どうしましょう」
(待って。やってみる)
ニエルルを手で制して、俺はヒューバートの形見の鍵開け道具で鍵を開ける。そう、俺は魔法が使えないけれど、鍵の掛かった扉は、俺が開けられる。
倉庫から俺が進んできた道で、今まで三叉路は二回しかない。水場と、今進んでいる道だけだ。
これで誰もいないということになったら、かなり長い逆走をしなければならない。そうならないように祈りながら、俺は一歩、また一歩、ニエルルと一緒に通路を歩く。
石作り特有のじめっとした質感が、俺の人工皮膚に汗のような雫を浮かばせる。
「あの怖いアンドロイドに見つかりたくはないですね……」
ビショップに申し訳ないとは思うが、俺も同意する。彼は俺を待ち焦がれていたようだけれど、その行動はとても受け入れられるものではない。一番は、もう刺激しないように顔を合わせないことだが、相手がそうは思っていないかもしれない。
(次に会ったら、今度こそ俺はどうかされてしまうかもしれない)
ただ、俺は身震いした。一方的に向けられる強い感情が、ここまで恐ろしいものだとは思ってもみなかった。きっと、俺は穏やかな人々に囲まれていたのだ。だけど、きっとビショップが悪いわけじゃない。全てはミッドが拒絶したある日の愛情から、あるいはずっとずっと前から、おかしかったのだ。
「聞いたか。ビショップ様のところから、あのアンドロイドが逃げたらしい」
「あの例の?」
「ビショップ様、結構荒れてたぞ……」
「ああ、それでさっき牢屋に……」
とはいえ、ビショップのことばかりにかまけているわけにもいかなかった。通路を歩いてくる教団の人々から隠れるため、俺たちは壁に何度もべったり張り付かなければならなかった。
彼らがいなくなってから、ニエルルが俺を覗き込む。
「あなたも追われているんですね」
俺は頷いて、通路にこれ以上人が来ないかを確認した。音も気配もない。ステルスの範囲から出ないように、俺は薄暗い道を進む。
しばらく壁に掛けられたトーチの明かりを頼りに、一本道を進んでいく。すると、俺は再び、子どもの声を耳にした。
「いいにおい!」
「お花のにおいするね!」
「お兄さん、どこから来たの?」
目を凝らしてみれば、この先に子どもたちが集まって話をしている部屋があるようだった。半開きの扉から、光が漏れている。
今までを振り返っても、道は一本だった。ならば、通り抜けるしかない。俺はニエルルにアイコンタクトを送って、急いで進もうとした。進もうとしたということは、できなかったということだ。
「……!」
光の漏れる部屋を通り抜けようとした時、俺はその隙間から見慣れた桃色の髪を見つけたのだ。思わず止まって、部屋を覗いてしまう。
「ねえねえ、お話して!」
「あそぶ? 他のみんなと一緒に水浴びする?」
「お、オレは……それどころでは……」
そこにあったのは、緑の髪の子どもたちに群がられて困惑する、ロステルの姿だった。敵対するにもできない相手に、どこかおろおろしている。
「どうしたんですか、早く抜けないと……」
ニエルルにそう囁かれて、俺はロステルを指差す。彼女も覗き込んで、あっと口を開く。
「あの時の方、ですよね」
彼女の確認に対してしきりに頷いて、俺はせめて合図が送れたらと、扉を開けようとする。しかし、それもできなかった。俺たちの前方から、足音がしたからだ。
半開きの扉の側に背中をぴったりくっつけて、俺たちは息を止め、やり過ごそうとする。俺はその姿を見て、恐怖を覚えた。
前から歩いて来たのがビショップだったからだ。彼は部屋の中に入っていって、子どもたちに優しく語りかける。
「こらこら、あまりあなたたちの友達を困らせてはいけませんよ」
「はぁい」
「わすれがたみはヨルヨリのおともだちだもんね」
子どもたちがつまらなそうな返事をして、わらわらと部屋の外に出てくる。俺たちが必死に気配を殺してやりすごす中、ロステルが声を上げた。
「他の者に傷はつけていないだろうな……」
「あなたがここで子どもたちの友達でいてくれる限り、殺しはしません」
「殺さないとしか言わない、か。オレを留めることに、何の意味がある」
淡々と、しかし怒りを隠しきれない様子で、ロステルが唸るような問いを口にする。
「ヨルヨリはわすれがたみには逆らいません。アンドロイドと人間のように。彼らはそのように作られているからです」
「だからオレをここへ連れてきたのか? 彼らを機械のように扱うな……」
「信じてほしいのは、私もヨルヨリたちを傷つける意思はないということです。元よりこの世界に住まう彼らは、自由であるべきですし、幸福であるべきです」
ビショップは努めて穏やかな声色でロステルに語りかけている。部屋の外にいる俺は、二人の顔を見ることができない。だが、ロステルがこうした部屋に閉じ込めるといった行為を認めるとは到底思えなかったし、ビショップはそうした彼の感情を汲んではいないだろうと感じていた。
「もちろん、あなたが『はい』と言ってくれれば、我々は喜んであなたを迎えます」
「尖兵としてか?」
「御旗としてです。あなたは、原生種の自由のために戦うべきです」
ビショップの言葉に、かすかな熱が入った。衣の擦れる音が、彼が跪くなり、近付くなりしたことを知らせてくれる。
「この大地は地球移民と機械種に支配されています。陰謀がはびこり、偏愛に満ちている。あなたたち『わすれがたみ』と『ヨルヨリ』こそ、本来この地に住まう君主なのです。その武力をもって、偽りの王を破壊すべきです」
「それを、地球移民に製作されたアンドロイドが語るのか」
「はい。私は神に願いを届け、地球移民と機械種、そしてあらゆる魔物を抹殺すると、亡き司祭様と盟約を交わしています」
あまりに恐ろしい単語を聞いて、また俺は身を強ばらせた。確かに人間と機械種は、好き勝手しているのかもしれない。だからといって、殺していいわけがない。隣のニエルルも怯えている。
――この大地は一度、かみさまによくご覧になってもらって、復興されるべきです。
その意味するところが虐殺の計画だなんて、俺には想像もつかなかった。額に手を押し当てるしかできなくなってしまう。ビショップが何か言う度に、もう気が狂ってしまいそうだ。
「ならば、退け。ビショップ。あなたとオレは相容れない」
恐れで身体が動かなくなりそうだった俺を正気に戻したのは、ロステルの凜とした声だった。彼は一つだけ呼吸を吸って吐いてして、驚くほど饒舌に語り始める。
「あなたがどのような生き方をしてきたのか。オレには分からない。だから、このように発言する」
「……」
「岸壁の港町は、自らのルールを振りかざしつつも、各地と提携をし、魔物避けを開発し、棲み分け、原生種とも折り合いを付けようとしてきた。当然、綺麗事ばかりではない。ヨルヨリは今も路地裏に住んでいる……オレたちの経済や文化を持ち込んだ結果だ。オレたちは償わなければならないだろう。だが、死をもってではない」
そこまで言うと、ロステルはほんの少しだけ、間を開けた。きっと、ビショップを睨んだのだろう。
「オレ個人としても、領主の息子としても、そのような提案は受け入れられない」
「ならばあなたは、何に対してその兵装を使うというのですか?」
「旅の道連れを襲う、全ての悪意に」
「不可能です」
「あなたもしようとしているのではないか?」
「私には可能です」
「ならば、オレにも真似事はできるだろう」
静かだが火花が飛んでいるようなやりとりに、俺の躯体は固まっていた。二人がどんな顔をしているか、まるで想像がつかない。
「同位体を、あなたが守る必要はありません」
ビショップのそんな言葉を聞いて、俺はロステルが押し黙ったように感じた。だが、それはすぐ、気のせいだったと悟る。彼は不意に、小さく喉を鳴らして笑ったのだ。
「必要など。オレは感じていない。オレが、望んでしていることだ」
「ならば、する必要がないと理解しているはずです」
「最初は確かに偶然だった。自我が曖昧なオレを彼が発見し、踏みとどまらせた。そして、彼が死にかけたから同化で繋ぎ止めた。それがきっかけで彼は父に、オレを託された。たったそれだけの関係だ」
「それならば……」
「彼の目を見れば分かる。懸命に何かを模索している。歓迎してくれる安住の地に首を振り続けて、何かを為そうとしている。兄のためか、旅の道連れのためか……」
「……」
「痛快だと思わないか。人に近く作られたアンドロイドが、理不尽な運命に翻弄され、それでも一度たりとも意思を手放さない。その気になれば、どこにだって居着いて、穏やかに時を生きていけるだろうに」
「何が言いたいのです?」
「まだ分からないのか?」
ロステルは、息を吸って、吐いて、最後にこう言い切った。
「オレは彼らとゆく。勝手に旅をおしまいにしようとするあなたたちとは手を取れない。そう言っているんだ」
「……」
「ゆけるところまで、オレは同行する。変更の意思はない」
押し黙ったのはビショップの方だった。俺の回路に熱が通る感覚があった。ロステルとの契約が、俺の裡で燃えている。少しずつ、日を経るごとに蘇る彼の意思が、誇りが、回路の中で冷え切ったものを温めてくれた。
そう、怖がって足を止めている場合ではないんだと、俺は我に返った。
「行こう、ニエルル」
ビショップの答えを聞く必要は、俺にはなかった。伝わらないなりに俺はニエルルの方へ視線を向けて、通路を歩き出す。
「いいんですか?」
俺は頷く。ロステルは人質のように扱われている。おそらく、わすれがたみには利用価値がある。ならば、すぐビショップに殺されることはない。むしろ心配なのは、ミッドたちの方だ。アマナも独自に動いているし、一度接触できる場所を探したかった。




