銅の月の教団3
「……」
倉庫の外は驚くほど静かだった。あべこべに走ってきた場所についての情報は思ったより曖昧だったし、出口までの経路を算出するにしろ、もう一度、一から確かめて歩く必要があるらしかった。
俺たちは想定外の悪意に弱すぎるのだ。きっと、地球にあった頃の人工知能が、そうであったように。
(とにかく他の皆と合流だ。アマナも上手く動いてくれるみたいだし……)
少なくとも、自分はひとりぼっちではない。それが、俺の回路の異常を抑えてくれる。俺はいよいよ、倉庫から慎重に外へと出た。
(こっちは……人の話し声がする。こっちは誰もいないな)
聴覚センサーを研ぎ澄ませ、人の気配がない方向へと歩いていく。できるだけ足音を立てないように。
「ビショップ様が件のアンドロイドを探してたけど……」
「どこに行ったんだろう」
背中の方から、そんな話し声が聞こえてくる。ビショップは俺を探しているらしい。もしも捕まってしまったら、今度こそ強引にデータを書き換えられてしまうかもしれない。ぴりぴりとした緊張が、人工皮膚を這った。
石造りの空間は、思ったよりも部屋があった。今はここの人も、あちこちに出かけているのか、空き部屋が多い。
俺は人とすれ違いそうになる度、空き部屋や物陰に転がり込んで息を潜めた。
(ここの松明……トーチだよな?)
俺は壁に掛けられた松明に見覚えがあった。これは、以前の遺跡で見たものだ。暗い中で魔物を避ける松明。これが、ここでの照明のようだった。七色にきらきらとして、通路を明るく照らしている。
(器具があれば取れるかもしれないけれど、今はどうしようもないな……)
どの道、トーチを持ち歩くわけにもいかない。前は頼りになった明かりを回路のどこかで疎ましく思いながら、俺はそろそろと居住区と思しきエリアを抜けた。
ほどなくして、通路は分かれ道になった。耳を澄ませば、流水と水しぶきの音、小さな子どもたちの笑い声がする。
(思うより平和なところなのかな……?)
風呂場かプールかは見当がつかなかったが、どの道、人のいる方向には進めない。俺はまた、トーチのところどころ灯った通路を睨む。身を乗り出して、誰もいないか目で確かめる。
(よし……行こう)
俺はじりっと一歩、次の通路に向けて踏み出した。通路は直線。横に隠れられる部屋もない。駆け抜けるしかない。
覚悟を決めて、俺は踏み出した。だけど、次の瞬間に、何かがぶつかったような衝撃が走った。目の前には何も見えないはずなのに。
(うわっ!?)
「ひゃっ……!」
女性の声だ。どこかで聞いた事があるような気がする。子どもたちの笑い声に気を取られて、その足音を聞き漏らしてしまったのかもしれない。
(えっ、どこだどこだ)
「あいたたた……」
しかし、俺がいくら視線を巡らせても、声の主は見つからない。だけれども、その声は、聞けば聞くほど聞き覚えがある。
(あの、大丈夫? どこにいる?)
「……あっ、あなたは、あの時のアンドロイド!」
透明な女性は、俺を見て声を上げた。
(も、もしかして、あの時のエルフの人!? 何で!?)
それで俺も記憶が繋がった。と、同時に、水場のありそうな方向から声がする。
「今、何か物音がしなかったか?」
俺の後方から足音が迫ってくる。どうしようと視線を巡らせる俺の腕が、弱い力で掴まれる。
「あの、こっち、こっちです! 急いで!」
女性は小声で俺に呼びかけながら、袖を引っ張る。俺も彼女の引っ張る方向に従って走っていく。おそらくは、彼女が来た方向へ、あたふたと二人で移動する。
そうして、一つの空き部屋に辿り着いた俺たちは、見張りと思しき教団員が歩いて行くのを見送ってから、二人揃ってため息をついた。
「魔法解除しますね、えっと……見えますか?」
女性の姿が露わになる。間違いない。金の髪に緑の瞳。あの時、森にいたエルフだ。今は革のポイントアーマーを付けた軽装で、見回り中だったのかもと予測ができた。だけれども、俺は彼女に声を届ける術がない。こくこくと頷いて、見えていることを主張する。
「あの、喋ることは、できませんか?」
俺は喉に手を当てて、眉を下げる。やはりそうだ。前に彼女を見つけた時も、彼女は俺の声に反応したのではない。きっと、指の動きに反応したのだ。
「どうしよう……そう、大変なんです!」
彼女は俺に話していいのかどうか分からない様子で、一度うなだれて、きゅっと拳を握った。俺は、ほとんど同じか、ほんのわずかに低い彼女と目を合わせて、片手を自分の胸に当てて、ぐっと握った。
大丈夫。話して、と。
「……え、エルフの里のあるところに、突然、機械種が飛んで行ったのを見たんです。そ、その時、私はヨルヨリを追ってて、ここの通気口、みたいなのを見つけたんですけれど……あなたに似た、すごい強いアンドロイドに捕まって、この部屋に押し込まれちゃって……運良く、扉の鍵が壊れていて出られたけれど……私、私……」
彼女は目尻に涙を浮かべ、声を震わせながら、現状を伝えてくれた。
機械種が押し寄せたのを見たこと、自分はヨルヨリを追っていたので難を逃れたこと、今、エルフの里がどうなっているか分からないこと――。
俺は回路が結露がつきそうなほど、冷えに冷えるのを感じた。戦火が広がっている。それが、お前の選択のせいなのではないかと突き付けられているような気持ちになった。けれども、現状の把握を務めようという思考が、俺の恐怖を和らげてくれた。
(……。俺に似たアンドロイドは間違いなくビショップだ。なんだろう、目撃者を捕まえているのか……?)
少なくとも、目の前にいる人はミッドたちのように旅慣れなんてしていない。本当に、ただの人だ。そんな人がひとりぼっちで怯えている。
俺の冷え切った回路のどこかが、熱を帯びるような感覚があった。
孤独に、人間も、エルフも、ヨルヨリやわすれがたみ、機械種やアンドロイドだって関係ない。それはきっと、俺の中にいつしか芽生えた意思のかたちだった。
「……」
俺は、彼女の目を見て、必死に口を動かした。
行こう。一緒に。俺の仲間も助けなきゃ。一人で動いてたら、きっと危ない。そう伝わらない声で言いながら、手を差し出した。伝わってくれと願った。
「……何を言っているのか伝わらなくて、ごめんなさい。でも、あなたが一生懸命、何かしようっていうのは、分かるんです」
彼女はまた俯いて、口を引き結んだ。だけど、すぐに顔を上げた。そうして、強ばった顔で微笑んで、怯えながらも俺の人工皮膚の残る手を、ぎゅっと握ってくれた。
「私、ニエルルって言います。私にできることはありますか?」
彼女は、一度会っただけの俺を信じて、ありったけの勇気を振り絞ってくれた。
ならば、次は俺の番だ。俺は、自分の名前を口の動きで伝えて、笑って、手を握り返した。




