二 名古屋駅前の異変 ママと 夏美
二 名古屋駅前の異変
朝九時半過ぎ、名鉄の新安城駅から名古屋ゆきの特急電車に乗る。買出しに、母親と駅前の百貨店に行くところだ。
南口改札―そこは出口専用―を降りると、すぐ目の前に、金文字のMEITETSUの看板が名鉄百貨店入り口にある。ショーウィンドウとエスカレーターが見える。
名鉄の地下入り口の柱。白人女性の花嫁姿のうつったポスター形式の広告。金髪を後ろに束ねたモデルの口元が微笑んでいる。七階は、ウェディングドレス・フェアだ。
地下一階のお菓子の集合店舗から、階段で、綺麗なお姐さんと上品な小母さんたちのいる一階の宝飾・アクセサリー、二階化粧品集合店舗をすり抜け、そのままエスカレーターで、五階婦人服店に行く。
Lサイズ専用の店で、一時間くらい春物を物色する。母は自分の服を別の店で買い、紳士服店で、父の服も買う。約束の待ち合わせ時間に、母と会い、カスタムメイドで寸法を合わせ、明るい色のツーピース三着を予約する。靴下のデザインは男女共用の感じで、あまり満足してはいないが、サイズがないので我慢する。使い古しばかりなので、よそ行きを含め七足買う。
「おかあさん、このショルダーバックほしい」と、猫撫で声でねだる。
「もう、十五歳でしょ。大きいし。恥ずかしいから、そんな声出さないで」
本館三階では、高校入学を記念して、新鮮な皮の香りのする、サザビーの狐色のショルダーバックを特別に買ってもらう。
午後一時半に、九階の中華料理店《銀座アスター》で、父に内緒で、少し贅沢なランチを食する。
主菜は、フカヒレスープ、上海蟹風味、白身魚の蒸し物、北京ダックである。
母と食後のライチジュースを飲みながら、小物を買うために、JR高島屋、東急ハンズに行く話しをする。
下りのエスカレーターで降り、7階に行こうとする。八階から見下ろすと、すぐ、ブライダルフェアーが見える。ウェディングドレスのマネキンは、優に十体あるだろう。色とりどりのドレスが三百着は、掛けられている。
「まあー、すごい。ウェディングドレスがたくさん!」
目を細めニヤケてしまう。
そこに、母が顔を近づけて、
「あんたは、いったい、誰と結婚するんでしょうね」と、夢見がちな眼差しを向けてくる。
淡いミルク色の照明に映え、イコウカケに吊り下げられ、透明カバーに覆われた、華麗な色とりどりのウェディングドレス。
「ふふふふ……」
「ああー、いいなあ。結婚したい」
保護カバーの内に手を割り込ませ、柔らかな生地を五本の指にとると、結婚願望が、ますます強くなっていく。
「夏美、まだこれから高校生でしょ」
「でも、高校生でも、結婚できないことないでしょ」
「ダメよ。大学を出て、少しぐらいキャリアを積まないと」
「それって、世間並みになれ、っていうこと?だって、大学を出たら、もう二十二でしょ。オバサンになっちゃう!」
母から発せられた不快な言葉に、半径五メートルくらいにはっきり聞こえるほど、声が高くなってしまう。
近くでは、母親と思われる初老の婦人と同伴している、白系のツーピースの三十前後のロングのビジネス・ウーマン風の女性が、キツイ視線を投げかけてくる。
「これ、あなたの話、聴かれているわよ。場というものを、考えて」
母が耳打ちし、警告する。
鼈甲メガネを掛けた小太りの中年の女性店員さんも、四、五メートル離れた横で、ニヤニヤ笑っている。
「わかっています」
母の反感を買わないよう、そう丁寧に返事してみた。
本音言ったら、怒られちゃうだろうな。
だっておとつい、近所の知り合いの、大学生の美里おねえちゃんに久しぶりにあったら、乾燥肌で悩んでいる、って言っていて、近くで顔を見たら、細かい笑い皺が目尻や鼻の辺りに沢山!おまけに白髪も出始めて。いやだわ、二十二なんて。なりたくない!美里おねえちゃんて、ミス・キャンパスで準優勝しているけど。優勝でも、イヤ!もう完全に老けちゃっている。オバサンじゃない!?
エレベーターで一階に下りようとする。途中、純白のブラウスに真珠のネックレスをつけた、鮮やかな青のスカートの、自分より十歳くらい年上の女性を見る。同性でありながら、まじまじと見惚れてしまう。
でも、すぐに思い直してしまった。どんなに綺麗でも、あの年になれば、お化粧の下に、シミと皺が隠れているんだろうな。
名古屋中心街の象徴のツインビルに向かう途中、名鉄百貨店から出て、数時間ぶりに外の空気を吸い始めると、目の前で、褐色の制服を着た得体の知れない政治結社と思われる一団が、隊列を成して行進している。左腕には、日の丸に赤い稲妻の腕章がある。白塗りの小型バスの宣伝カーが、JR名古屋駅前に止まっている。車の側面にもやはり、同じ紋章がある。
デモ隊が背後で、「家族、民族、国家!家族、民族、国家!」と、単純なスローガンを何度も何度も叫び、またある時には、「ブラック企業経営者をぶん殴れ!」「悪徳政治家をぶっ殺せ!」と、過激なスローガンを連呼している。
「わが日本非正規労働者党は、働いても働いても報われない、多くの勤労市民のために、皆さんの生活のために、断固として闘います」
宣伝カーの屋根で、銀縁眼鏡をかけた直立姿勢の中年男性が、街頭を練り歩く群集に向け、通りのよい声で呼びかけながら、手を振っている。
「こちら、日本非正規労働者党・名古屋地区支部長の織田です。皆さんに、心からの挨拶に参りました」
周囲には、手を振っている人が、ちらほらいる。
「がんばれ!」という、ぼろのコートを着た、いかにも失業者かワーキングプアの男の声が聞こえてくる。
「ああいう過激な言動が受けるなんて、私の若いころには想像もできなかったわ。何か嫌な予感がする」
と、母が印象的にポツリと言う。
東急ハンズでは、カランダーシュの高級ボールペンを買って貰う。携帯電話の保護カバー、シャープペン、レターセット、封筒のシール、日記帳は、自分の小遣いで買う。予想よりも、出費はかさんだ。でも、仕方ない。
帰りは、地下の食品売り場で夕食を買う。今日は、大好きな鳥の丸焼きだ。一羽まるごと買ってしまう。店員さんには、四つ切りにして貰う。値段のシールを貼ってもらい、近くのレジで払う。値段は税込みで千九百五十円。
「また値上がりしているんだから」
母が愚痴っぽく呟く。
改札を抜け、地下プラットホームに向かう右手の階段を下りる。行き先ごとに区分された乗車口―岡崎・豊橋方面は青のランプ―に、母と並ぶ。
帰りの名鉄本線が、また遅れている。構内アナウンスでは、約十五分の遅れだそうだ。このごろ、「人身事故」というか、列車への飛び込み自殺が急に多くなっている。本線では、ほぼ毎日、飛び込み自殺が起こる。多い日には、一日三回だ。名鉄名古屋駅十七時三分発豊橋行きの電車に、十七時一七分に乗る。
特急電車の座席に座っている自分の右横で、おじさんが立ってスポーツ新聞を読んでいる。
暇つぶしに横目で見ると、
「居酒屋が高級料亭化?」「ビール、焼き鳥の値段が一・五倍に」「これでは飲みにいけない」の見出しが読める。「昔は、一人三千円の会計で済んだ。今、同じ量を注文すると、今では、四千円台になってしまっている」「サラリーマンは、いったい、どうやって日々のストレスや疲労から自分を守れ、というのだろうか?」「自宅で作れる美味しい焼き鳥の作り方」「本誌が推薦する焼き鳥のタレ」、とある。
確か、パパも焼き鳥は大好きだ。鳥皮とか、手羽先が大好物だって言っていた。大変だなあ、とつくづく思う。




