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夏美  作者: のかわ ひじり
3/9

三 高校入学後の異変 日本の労働組合はインチキだ!


ぴぴぴぴぴ……。

目覚まし時計の音がする。

文字盤を見ると、朝七時前。

すぐに、パジャマから胴衣に着替え、いつものように水をコップ一杯飲む。

毎朝の日課―本尊の板敷き部屋で演舞する。母と南無妙法華経の唱題をし終え、ふと考える。

今日は、いつもと違う日。

高校の入学式。

なんか胸がドキドキする。


ダイニング・ルームに入ると、母が座っていて、明るい顔で待っている。

「もう、高校入学だなんて、早いわね」

パンをトーストに入れると、しみじみとした口調で、丹念に育ててきた一人娘の共感を求める。

母に向かって、数回軽く頷く。

トーストから、パンが出てくる。雪印のバターをパックから、バターナイフで取って、軽く茶色がかったパンに塗る。

とろけるバターの香りのする、焼きたてパリパリの厚手のパンを食べる。今日のは、焦げの味がする。ハムを五枚取り、二枚、三枚の順でレタスに巻いて食べる。今日の朝のデザートは、果物サラダ。いつもの飲むヨーグルトをコップ一杯飲み終え、しばらく椅子の背に凭れ掛ける。

シャンプー・リンスをつけ、シャワーを浴び、ドライヤーを掛け、母の手伝いで髪を整え、それから着替えだ。

セーラー服も、ブラジャーも、パンティも、キャミソールも、ソックスも、全部、新品の香りがする。


高校へは、母が電話した名鉄タクシーで行く。

呼んでから、十分過ぎのことだった。エンジン音が近づいて振り向くと、淡い黄緑と白塗りのタクシーがゆっくり近づいて、止まり、軽くクラクションを鳴らす。

玄関を出るや否や、少し開いた車窓から、タクシー運転手がこちらを向いている。

「仙葉さんのお宅ですか?」

「そうです」と、母が答えると、後部座席のドアが開く。

家には、ネームプレートが無いので、尋ねたのだろう。

「刈谷南高校へお願いします」

「入学式ですか?」

ぴかぴかの制服とバッグで乗り込む。薄いベージュ色のツーピースと真珠のネックレスで着飾った母親。中年の浅黒い顔の運転手が問いかける。

「そうです」と、母が言うと、

「いいですねえ。新品は。最近、入学式はどこの家でも大変みたいで、新品のバッグや制服を買えない親御さんたちも結構いるみたいで・・・・・・」と、その運転手は、温かい声で続ける。


「うちの息子も、そろそろ入学式で、入学するって、結構お金かかりますよね」

と、運転手は語る。

「大学は、どちらですの?」と、母が問う。

「日本福祉大学です」

「そうですか。私も、大学は福祉大でした。学部は社会福祉学部でした」と、母が共感を込めて言う。

「知多奥田のキャンパスは、安城から結構遠いですねえ。通学は、大変だったでしょう」

「大学の時は、家が中村区にありましたので、それほどでは・・・・・・」


タクシーは、校門前で停車した。

門を入ってすぐ、斜め左に、衝立(ついたて)に群がっている、新入生と母親たちが見える。鞄も制服もピカピカなのは、全員の三分の二くらいだろうか?うちは進学校だから、その比率は高いようだ。

「あっ!クラス分けだ」

「どれどれ。一年二組。あったわよ。夏美。美羽ちゃんも同じクラスよ」

「わー。嬉しい」

「よかったわね」

(いい男、クラスに来ないかなあ。彼氏つくりたいなあ)

母に知られぬよう、内心そっとつぶやく。

辺りには、会場の体育館の開館を待ち遠しく、校舎と体育館の前には、すでに大勢の新入生と保護者が集っている。

時刻は、予定の八時三十分の五分遅れで、会場が開く。

他の新入生とともに、自分は、受付で、入学しおり等の各種書類を、受け取る。

一年二組普通科プラカードの前に、座る。保護者は、生徒から少し離れた後ろの席に。

年配の女性教員の開会の辞で、入学式が始まる。

一同起立で、君が代の斉唱を行う。

「一同、礼!着席!」

「学校長、祝辞」

校長先生が、演壇に立つ。

「生徒のみなさん、保護者のみなさん、おはよう御座います。そして、入学おめでとう御座います。本日は、大変に喜ばしい日であります・・・・・・」

学校長の祝辞が続く。

長々、五分以上も続いた後、新入生代表が、演壇に立つ。

「新入生代表、藍田はるみ」

新入生の代表は、今日のこの日を心待ちにしていたこと、保護者への感謝、先生・先輩方・学校関係者の方々のお世話になります、と言ったこと。個人的には、家庭で、経済的に大変な時期があり、高校すら断念せざるを得ないことを、勉強しながら、あるいは布団の中で思っていたことを話した。

盛大な拍手だった。

次の在校生代表の話を含めて、新入生の鮎川の演説が、一番聴衆の感動を惹きつけた。


式が終わり次第、粛々と廊下を歩き、念願のクラスに向かう。ここで、母としばしの間、別れる。

クラスルームに入ろうとして、ドアの所で頭をぶつけない様に、頭を深く下げる。

それに気づいた男子生徒数人が驚き、直後に吹き出し笑いをする。


(いい男いないかなあ)

しかし、なかなかいい見栄えの男子はいない。

ああ、がっかりだ。

(どこ見回しても、イケメンは、いないなあ)

「ねえ、美羽ちゃん。いい男見かけない?」

「夏ちゃんは、高望みしすぎよ。中学生の時、同級生には見向きもしないで、美容師の卵とつきあっていたじゃない」

(りゅう)ちゃん?あいつ、スーツ会社でモデルしていて、格好よかったけど、音大生(おんだいせい)なんかと浮気して、あー憎らしい」

「でもさ、中二のとき、彼氏より背が伸びたから嫌になっちゃったんじゃない?それから、龍ちゃんが浮気したんじゃない?ふふふ・・・・・・順序逆じゃん!」

「それ言わないで!まったく、不愉快ね。美羽ちゃんだって、自分より背の低い男性と付き合えるの?今の彼氏が、美羽ちゃんより背が低かったら付き合えた?」

「私は、大丈夫よ。心配なのは、夏ちゃんの方よ。夏ちゃんより背の高い男って、この学校にいるかしら?」

めん鳥が鳴くように、くっくっくっ・・・・・・と笑われ、小馬鹿にされてしまった。

「もう、入学早々不愉快よ。やめて!」


酸っぱい表情を、美羽ちゃんにした丁度その時だった。

クラス担任と思われる、ノータイ、灰色の格子の背広、銀縁眼鏡、七三分けの軽い白髪交じりの四角い顔の中年男性が、茶色のスリッパで、教室にスタスタ入ってきた。肩幅が広く、がっしりとした、いかにもスポーツマン風の教師だ。

ざわついていた教室内が、いきなり静かになったところで、この教師は、訥々と語りはじめる。第一印象とは違って、大声ではなかった。

「みなさん、はじめまして。私、岡本夏雄と申します。社会科の授業を受け持っています。年は、四十三歳です。まあ、皆さんの二倍半近くの年です……」

「さて次は、皆さんから名簿順で、自己紹介をはじめましょう 。その前に、自分とは誰か、これまでの生い立ちを、五分ばかりよく考えてください」と、にこやかに語りかける。

「では、相沢(あいざわ)さん」

「はい」

一メートル五十を少し超えたくらいの、品のいい良家のお嬢さんに見える、華奢(きゃしゃ)な黒髪のロングヘアの女の子が席を立つ。

相沢七海(ななみ)です。知立(ちりゅう)市から通っています。趣味は、音楽で、ピアノを弾きます。コンクールで優勝したこともあります」

歓声がクラスルームに響き渡る。

男子の視線はもう、まるで愛玩品であるかのように、(まつげ)の濃くて長いこの愛くるしい西洋人形のような女子に注がれる。

「では、石沢さん」

一メートル八十くらい。(まる)()りでガタイのよい、いかにも体育系と思われる男子が、スポーツ大会でお馴染みの通りのいい溌剌(ハツラツ)(ごえ)で、自己紹介をする。

石沢泰樹(やすき)です。よろしくお願いします。趣味は、スポーツで、柔道が得意です。初段です」

次は、美羽ちゃんだった。

乙部(おとべ)美羽です。趣味は料理作りで、特にクッキーとケーキが得意です」

笑窪(えくぼ)が、クラスの男子の眼差しを集めている。それに、動作が小鳥のように愛らしい。相沢さんと美羽ちゃんだろうな、クラスで一番可愛いのは。それに、美羽ちゃんはともかく、なんかうちのクラス、美人が多くてイヤになっちゃうな。


美羽ちゃんから五人か六人の紹介をおいて、とうとう自分の順番が回ってきた。

ゆっくり、そろそろと席を立つ。

それが、却って、同級生の注目を集め、

「うおっ!」という歓声を誘ってしまう。ざわめきと好奇からくるクスクス笑い。その声が何を意味しているのかは、もう考えなくても明らかだった。


「みなさん、はじめまして。おはようございます」と、最前列の席から後ろに深々一礼し、

丁寧に自己紹介を切り出す。


仙葉夏(なつ)()と、申します。苗字は仙人の《仙》と書いて、葉っぱの《葉》です。趣味は、空手です。空手は、成年の段位で、二段を持っています」

「すげえ」

最後列の席の丸刈りの男子二人が、驚いて互いに顔を見合わせる。そのうちの一人は、もう自己紹介していた。小田切と言ったっけ。空手初段だ。

「すごいですね。機会があれば、是非、演舞(えんぶ)を見せて下さいね」と、担任が言う。


自己紹介が一巡すると、先生が、クラスの仕組み、日常の課業、学校行事についての説明をして、当日の課業は終了した。


教室を出て、美羽ちゃんと廊下を歩き始めてすぐだった。

「おい、ナナちゃん!」という叫び声で、一瞬振り向く。

その声の主は、隣のクラスの深谷という男子生徒で、身長百六十センチに満たない中学校時代の生徒会の副会長だった。

「久しぶりだね。またデカクなったね」

もうまたか、って思ったが、ユーモアのこもった軽い声でやり過ごす。

「いいお世話よ、チビさん!」

って言って、俊敏な動作で、この小柄な男子生徒を思いっきり見下ろす。


《ナナちゃん》か。

あの渾名(あだな)、またついて来る。

うっとうしいなあ。


猪首で、小太り、短足の深谷の後ろ姿を見つめながら、名古屋名物・名鉄百貨店ヤング店前のナナちゃん人形を、また思い出してしまう。身長六・一メートル―異様に長い手足―われながら確かによく似ている、と自虐的になってしまう。

あれは、中学二年生のとき。某民放テレビの下請け社員から、「そっくりさん番組」で是非出演して欲しいと言われて、県内の某私立中学の宣伝を兼ね、このナナちゃん人形と同じデザインのセーラー服を着せられ、撮影されてしまった。ギャラをうんと稼いだと思いきや、ネット上で画像が流れに流れ、とうとう近所や自分の通う中学で有名になってしまった。


しばらくして、携帯で待ち合わせている母親に連絡して会う。

隣には美羽ちゃんの母親がいて、にっこり微笑んでくれた。ここで、美羽ちゃんとお別れだ。別れ際に、美羽ちゃんって、お母さんも可愛らしいんだな、と思った。確か、結婚が早くて二十一歳だった、って聞いていたけれど。今、三十七、八歳ぐらいか。丸顔だから、さらに若く見えるのかな、ってつくづく思ってしまう。 もうすぐ五十のママと全然違うんだから。


「どう?新しいクラスは?」

隣で歩いている母が、さりげなく訊いてきた。

「まあまあ、ってところ」

「まあまあって?」

「なんか、いいオトコがいなくて、がっかり」

つい、うっかり口を滑らせてしまった。

「あんた、学校は勉強するところでしょ?」

さっきまで穏やかだった母の顔が、急にきつくなる。

「わかっているわよ、それくらい!」

ちょっぴり口を酸っぱくして、校門を出る直前の所だった。

何かの政党だろうか?

白い演説カーが、

校門から少し離れた所に止まっていて、五人ほどの運動員と思われる人たちがいる。

「あれ!?右翼みたいのがいる」

すぐ直前を歩く、男子学生の父親らしき人が言う。

見ると、白地に大きな日の丸演説カーに、黒文字で《日本非正規労働者党》とある。

「保護者の皆さま、高校生の皆さま。こちらは、日本非正規労働者党。みなさんの生活を守る党です」

演説カーの前で、三十前後の(あつ)い銀縁メガネ、そばに寄ると火傷しそうな熱血漢が、マイクを握っている。

「新入生の皆さま、入学おめでとうございます!親御さんも、この晴れの日に、気分は爽快でしょう」

「しかし、です。皆さん、ご存知でしょうか?今、日本経済は、大変なことになろうとしています。インフレです。インフレで、景気がよくなったか、と思ったら、給料の増えない人がたくさん出てきて、物が買えずに、苦しんでいる。一体、どういうことなのでしょうか?それは……」

保護者の三人に一人くらいは、ビラを受け取っているようだ。

母親にそのことを聞いたら、

「物価上昇が、気になるのでしょう。ほら、さっき購入したあなたの教科書も、値上げしていたでしょ」と答えてくれた。

「教科書だけで?」

「ほら、あれもこれも上がっているでしょ。スーパーで何を見ているの。あなた、早く結婚したいんでしょ。だったら、家計や物の値段について、もう少し勉強してみたら?親の脛ばかり(かじ)ってないで。結婚するということは、お金や商品と付き合うことなのよ」

と、訥々(とつとつ)と諭されてしまった。


***


「いやあ。大変なことになりつつあるなあ」

次の日の朝、ダイニングテーブルで、やや深刻そうに新聞の一面を読んでいるお父さんの姿が、あった。

「大変な事って?」

「インフレですよ」

台所で食器を洗っている母が、ダイニングルームのほうへ振り向き、真剣な表情で説明する。

「物の値段が上がって、買物がしにくくなる。ほら、収入の低い人は、食べ物を買うのにも苦しんでいるでしょう」

「昨年度四月から三月まで、食糧品の物価は、平均で二十五パーセントも上がっている。物価対策を賃上げに反映しようとする企業は少ない。賃金の上昇は追い付かず、実質賃金は、マイナス十八パーセントになっている」

と、父は新聞の内容をほぼ繰り返すかのように語る。


朝のテレビニュースでも、インフレが話題になっている。

「経営者団体は、物価上昇を政府の責任として、給付金等の経済対策をとるように、政府に申し入れました」

「政府は、これを受け入れる方針ですが、給与を月ごとに物価にスライドするよう、経済団体から各企業に呼びかける方針です」

「やれやれ、消費税のように、またちょっとの給付金で誤魔化されるのだろうか?でも、さすがは、与党だな。景気対策だけは、迅速だ。政治家は、国や国民の遠い将来よりも、目先の景気、選挙、自分たちの利権だけに敏感なのさ」と、父が毎度のように捨て台詞を言う。

「物価上昇に対応できない企業に見切りをつけ、物価に即対応できる企業へと転職する動きが生じています。また、ハローワークや求人情報誌では、最近、「賃金を物価に反映させる」採用条件のメリットを強調している求人側の条件が見かけられます。経済情勢は、転職事情にも反映しています」と、女性アナウンサーが語る。

「また、物価上昇は、全国の約二十パーセントを占める貯蓄ゼロ世帯を直撃しています。安い食料品を買うこともできず、食べ物を減らすか、食事を抜く世帯が急増しています」

「以前は、モヤシばかり食べていたんですが、朝の開店とほぼ同時にモヤシが無くなってしまうんです。私の通う店では、モヤシは一人一袋と制限しています。その日の安い野菜とかもそうです。すぐ、無くなってしまいます。少しダメになった果物や野菜もすぐに買われてしまいます。みんな、それだけ買出しに苦労しているんです」


自分が中学三年の時も、インフレは深刻だった。けど、高校に入学した時にはそれに勢いが増している。国民の購買力、つまり「物を買う金銭的な能力」が急速に悪化しはじめたと父は私に解説する。

「日本国債も下落し、経済的に余裕ある国民は貯蓄を、ドルやユーロや貴金属に投資している」

そんな父の話を聞きながら、大好きなドーナツの値段を確かめた。

確か、中三の時、百三十円から百八十円に上がったな。

そう、心のなかでつぶやいた。

小麦粉の値段が暴騰し、スーパーなどで、パンや小麦粉を買う家庭が急減した。かわりに、米食に移る。自分の家庭もそうだ。自分の好きなドーナツ以外の一切のパンは、この仙葉家から消えたのだった。

そして、先週末の金曜日、パン屋に回ったら、ドーナツが二百五円になっていた。幸い、自分の小遣いは、母親の采配で物価の値上がりを反映してはいる。本当は、「高校生になったから、お小遣い上げて」と言いたいのだが、さすがに自分からお父さん・お母さんには言いづらい。


あれ?あの自称無党派の父が?

午後三ごろの居間。父が、共産党のビラにこびり付いている。

父が共産党のビラを読むのは、珍しくない。というか、公明党でも、民進党のビラでも、宗教団体のものでも、投函されているものには、必ず少しは目を通すのだが、この頃、やけに眉間に皺をよせて、深刻な表情で、細かいところまで読んでいる。

「このチラシ、読んでみるか?」、そう勧められた。

「今、日本経済は、大変な危機的な状況にあります。国と地方の借金はGDPの三倍を超え、政府の財政は、もう限界を超え始めています。景気に(かげ)りが見え始めているにもかかわらず、地方自治体が、なりふりかまわず増税と支出削減、職員の大幅なリストラをしています。共産党は、《大企業と機関投資家へただちに課税し、困窮している国民の衣食住の生活費を賄うべきだ》、と主張します」

「ここまで財政状況が悪化し、庶民の生活苦が深刻になったのは、確かに金持ち、大企業優先の政策の結果だ」

「あれ、お父さん、共産党を支持するようになったの?」

「いや、そういうわけではないが。確かに、このチラシの記事は正しいなとは、思っているが」と間を置く。

「共産党には、防衛政策でもっと現実的になってもらわないと。そうすれば、投票を考えてもいい。防衛政策は、あくまでも、自分は政府よりの立場だけどね」と、条件をつけていた。


***


晴れの日が多くなり、日差しがだんだんと強まってくる。百貨店や集合店舗では、コイノボリや兜や五月人形が飾られ、買い物客の目を引く時である。時はもうすでに五月に入ろうとしていた。


あれは、メーデー直前の週だった。過激化した「行動する保守」系の市民団体や、極右政党を称する団体の日の丸を掲げた白い宣伝カーが、既成右翼の黒塗りの街宣車や、共産党など左翼系市民団体、無党派の即席市民団体、左翼系の過激派とともに、東京・大阪では、●井、●菱、●友などの財閥系企業、愛知県では、ト●●やデ●●●を中心とする大企業のオフィスや工場に、これでもかこれでもかという勢いで押し寄せる。

「大企業は、もっと社会貢献しろ!」「外国にカネを流すな!日本人にカネよこせ!」「強欲経営者め、内部留保をため込むな!」「中小企業、国民にカネよこせ!」「売国経営者をぶっ殺せ!」

企業経営者の憂慮する風評被害を狙いつつ、報道陣の注目を受け、各々の政治団体が、それぞれ勝手に、スピーカーで勇ましく叫び声を上げる。


五月一日メーデー。この日の行事は、毎年実質、正規労働者の待遇改善のための集会の日であった。が、今年は深刻な不況と生活難で、セーフティネットから外れた者が集まって、メーデー集会への憎悪を込めた激しい集会やデモをする政治団体が現れ、そこでは、《労働組合撲滅・いんちきメーデー粉砕の日》と位置づけられている、とニュースキャスターは解説する。


「メーデーの日、この日には、極右主義者の数十台の街宣車が、労働組合の集会に反発して大挙押し寄せ、集会場を取り囲んでいます。名古屋では五千人、東京と大阪では、それぞれ一万人を超える反労働組合の集会が開かれています。すごい熱気です。昨年からの社会現象で、極右勢力と失業者が、労働組合への憎悪をヘイトスピーチで激しく燃やしています」と、キャスターは解説する。

「インチキ貴族組合を叩き潰せ!」

「ゴキブリ組合幹部をぶっ殺せ!」

「ウソツキ組合幹部は、全員ガス室に叩き込め!」

集会参加者は、一様に拳を空に向け、突き上げる。

「物凄いヘイトスピーチです。拡声器の音量を最強にすることで、明らかに、労働組合の集会を妨害しようとしています」と、アナウンサーが実況中継する。


「さて、その全国的な最大組織にあたるのが《日本非正規労働者党》で、実は今、その幹部の方を招待しています」とNHKは、テーブルの背後に座っているそこの一人の幹部を紹介した。

その実直そうな細面の中年男性は、「名古屋支部長の織田清正」と名乗る。

彼は、労働組合を「まあ、理論的には、労働者の生活と権利を守る目的で、経営者と待遇について交渉する団体なのですが」と淡々とした口調で定義している。「しかし、日本のほとんどの組合は、組合執行部が、正社員労働者から給与を一部ピンハネして、事実上私腹を肥やしているだけです。日本では、労働組合は、その大多数がなすべき役割―労働者の権利を守る―を事実上放棄しています」「それはもはや、保守連立政権、経営者団体にすら及ばない無責任組合です」と皮肉を込めて断言し、「私利私欲を貪る、経営者の犬である、全国すべての労働組合の即時解体、それが今の日本には必要なんです」と自らの見解を織り交ぜながら視聴者に呼びかけている。

さらに、非正規労働者党の政権獲得後の展望も述べ、「日本のすべての勤労者を新たに《労働戦線》に加入させ、階層化・身分化した労働者を、国家主導で、一元的な待遇と管理体制に置くべきです。それが階層化され、分断化され、まるでカーストのように身分として固定化されたバラバラな国民を、ふたたび一つの国民とするのです」、と解説する。


また、NHKの日曜特集の放送では、織田支部長が、看板ニュースキャスターの野崎と出てきて、日本の労働組合の現状をこう説明する。

「あなたは、労働者の立場に立つ、と言いつつも、労働組合の解体を主張していますが、なぜでしょうか?」という質問に対して、

「いえいえ、私利私欲の企業内組合の解体・禁止こそが、日本の労働者のためになるのです」と反論し、「今の組合は、昔から、《貴族化し既得権益化した正社員フラブ》とマスコミや経済誌で揶揄されているではないですか。しかしながら、現状はもっと酷いです。労働組合の幹部はですよ、労働者が労災に遭って訴えてきても無視。解雇イジメに遭って訴えてきても無視。組合幹部は、経営者とグルになって、弱い者の首切りをしています。彼らはピンハネで、何もしなくても普通の社員の給与の数倍を貰って生活し、挙句は、組合費でゴルフ、飲み会、キャバクラ、風俗三昧ですよ」と、淡々と語る。

「極右は、今の日本に必要ですか?」という、キャスターの問いに、

「当然です」とその小柄な男は答え、話を続ける。

「なぜなら今現在、かなりの部分の国民の生活問題が、抜き差しならぬ状態になっているからです。既成政党は常に、もともとある程度社会的に恵まれている人に利益を与えます。こうした社会構図は、どの国でも見られ、グローバル化によって、さらに受益者と社会的政治的に疎外された者の格差がどんどん拡大する。ですから、その加速された流れにストップをかけるのは、疎外された者の意見と力を集約する、極右とか極左とかいう政治勢力なのです」


「この織田という男、なかなか見識あるなあ」と、後ろで突然、父の声がする。

「自分が非正規労働者をやっていた頃、労働組合の幹部は威張り腐って挨拶すらしなかったものなあ。あまけに、リーマンショックという不況のときに、派遣やアルバイトが首を切られても、彼ら労働組合員はまったくの知らんふり。昔、高度成長期やバブルには、労働組合は賃上げをやってくれたそうだが。そんな時代でも、おまえの尚じいさんが、労災にあっても知らんふり。組合員の金で飲み食いはするし、会社の取締役の背任にも、全くお咎め無し。労働組合より女性平社員のほうが、会社の不正についてはよっぽど頼りになるし。尚じいさんの勤めていた会社の背任を暴いたのが、経理の女性だったんだよ。それに、おじいさんの労災認定に協力したのも、女性事務員だったらしい。まあ、労働組合なんて、もう要らないと思うよ、少なくともこの国では」と、父は、祖父と自らの実体験をしみじみと語った。


次回 第4話 限定核戦争へ

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