カルテ08:診察室へ
それから二日後――。
「こんな診療所、もう2度と来ないからな!!」
清々しいほどの捨て台詞を吐いて、ユイノは無事退院していった。
私が治療に携わったと知って以来、彼は手のひらを返したように「俺の踊り子に戻ってくれ」と言い続けたけれど、もちろん私は断った。
「俺を振ったら後悔するぞ」
と最後の会計の時にもいわれたけれど、そんな事はあり得ない。
「ユイノのパーティを抜けてから今まで後悔したことないし、むしろ戻ったほうが地獄だと思うから」
たまには素直になってみようと、今の気持ちをそのまま告げたら、彼は私と診療所にありったけの暴言を吐いて出て行った。
「最後まで最悪な野郎だな」
そんな様子をどこからか見ていたローガンが、ふらりと私の側へとやってくる。
「つくづく、お前は男を見る目がないな」
「別にユイノが目的で彼のパーティに入ったわけじゃありません」
「だとしても、あんな男がいるパーティを選ぶ辺りお前には見る目がない」
ばっさり切り捨てて、ローガンは私を見下ろす。
「だからやめて良かったと思うぞ、踊り子」
「そんなこと、言われたのは初めてです」
「人には向き不向きがある。そしてお前は決定的に踊り子には向いていない」
「でも、あなたの助手には向いているっていいたいんですか?」
「少しはわかってきたな」
満足げに、ローガンが笑う。
それから彼は、手にしていたカルテを突然私に差し出してくる。
「それじゃあ、早速始めるぞ」
「始めるって何を?」
「仕事だ。俺の助手なら一緒に患者を診るのは当たり前だろう。
「私、やるなんて一言も……」
言っていないと告げようとした口を、あの無骨な指が再び塞ぐ。
「もう決めたはずだ。そうじゃなきゃ、あんなくず野郎を助けたりはしないだろ?」
「あれは、見捨てるのが忍びなかっただけです」
「見捨てるのが忍びない輩なら腐るほどいるから心配するな。今日も、うちは急患だらけだしな」
さあ立てと目で訴えるローガンに、私は渋々椅子を引いた。
そこで、私は少し驚く。
重いと思っていた腰が、あまりに軽く椅子から離れたからだ。
「行くぞ」
カルテと共に、ローガンが私に白衣を突きつける。
治癒術士しか着れないそれを私が着て良いのかと迷っていると、視界の隅エイナ先輩の姿が映った。
視線が合い、帰ってきたのは温かな笑顔。
その前で白衣をまとえば、彼女の笑みは更に明るい物へと変わる。
「踊り子の服も可愛いけど、白衣も似合ってる」
そんな言葉に私も笑顔をこぼすと、なぜか不機嫌そうなため息が聞こえてきた。
「そういう笑顔を、どうして俺ではなくエイナに見せる。お前に助手の立場と白衣をやったのは俺だぞ。そういう可愛い顔は、まず一番に俺に向けるべきだろう」
不意打ちの褒め言葉に動揺していると、ローガンは思い出したように付け加えた。
「そういえば、答えは?」
「こ、こたえ?」
「俺はお前に惚れていると言った。それに対する何かしらの回答があってしかるべきだろう」
「い、いまここでですか?」
「じゃあ、今夜。九時にチザーレの店で」
決定だと言わんばかりの態度で、ローガンは歩き出す。
そんなに早く答えは出ないと言いいかけて、答えを迷っている自分に驚いた。
「なんだか私、自分で思った以上に自分のことがわかってないみたい……」
誰よりも空気や考えを読むのが得意な踊り子だったはずなのに、自分のこととなるとなぜかそれが上手く出来ない。
自分がどうしたいのかも、どうしていきたいのかも、未だ正確に把握することが出来ないのだ。
ローガンにはああ言ったが、ユイノの治療をしたとき、自分の力が役に立ったことが本当に嬉しかった。
ただ一方で、今でもまだ、自分の能力と過去を受け入れられない。
そんな半端な気持ちで、人を救う仕事について良いのかと悩む気持ちは強いけど……。
「ジグ、早く来い」
傍若無人な元勇者の隣にいると、迷う前に物事はどんどん進んでしまう。
それを最初は嫌だと思っていたけれど、時にはこうして流されるのも良いかもしれないと、今では少し思う。
「それじゃあ、診察開始だ」
ローガンの大きな背中を追いながら、私は診察室へと足を踏み入れる。
時間はかかるだろうけど、彼の後ろにいればきっと自分の力をもっと好きになれる気がした。
ただひとつ、ローガンのことだけは好きになれないと思うけど……、と半ば念じるように付け加えて、私は彼にカルテを渡した。
事務員としてでは無く、今日からは彼の助手として――――。
午前三時の攻撃魔法【END】




