猛獣襲来
気配の主はカバのような大きな口を持ちサイに似た鎧の皮膚を持つ大型の獣だった。
念の為に探ってみるが、間違いなく助けを求めて来た声の主ではない。
ということは、それとは関係なく、ただ己の食欲を満たす為に襲ってきたという事なのだろう。
それが証拠に、鋭い歯が幾重にも重なって見える大きな口からは、だらしなく涎がたれている。
ルティナが解説してくれる。
「ビグーです。『丘鮫』とも『岩砕き』とも呼ばれる凶暴な獣で、スピードが乗るとかなりの速さになるので、気を付けなければなりません」
その言葉が終わるか終らないかのタイミングで、前方ではフィノがもうビグーに斬りかかっている。
巨大な剣を軽々と振りかぶるフィノに対し、ビグーは鋭い歯がびっしり並んだ大きな口で迫ってくる。
フィノは正面から剣を振り下ろした。
ところが、ビグーはフィノに向かって行くように見せかけて、寸前の所でその大きな体に似合わぬ瞬発力で横に跳び、フィノが振り下ろした剣を避けた。
だが、フィノも黙ってそれをやり過ごしはしない。
次の瞬間にはその大きな剣を真横に振るい、逃げるビグーを追いかけている。
その剣先はビグーの鎧の様な分厚い皮膚の一部を切り裂きはしたものの、ビグーの逃げ足には僅かに及ばず、大きなダメージは与えられていない。
それは、ビグーの潔い判断の賜物だった。
ビグーはフィノを襲うのをあっさり諦め、狙いを後ろに変えたのだ。
フィノの素早い動きの所為でそれでも傷は負わされたものの、そのおかげでフィノの間合いを抜けて、新たな獲物を狙って駆け出す事に成功している。
狙っているのはフィノの後ろに位置しているユウとアーダだ。
すかさずルティナが矢をつがえるが、間にいるユウが邪魔になってビグーに狙いを付けられない。
「ユウ様、右に避けてください」
ルティナの切迫した声が響く。
その声に従って、ユウが馬を操るが、その動きに今度はビグーも動きを合わせ、結果、ルティナは狙いを定める事が出来ない。
そこで、ルティナは自分が左に動くことにした。
そこには立派な木が聳え立っていたのだが、馬はルティナの指示通りに跳び、その大きな体を木の幹にぶつけて止まった。
ルティナの馬の勇気ある行動のおかげでユウとの間に出来たわずかな隙間から、ルティナがたて続けに二本、矢を放つ。
その矢は狙いたがわず、その隙間を抜けてビグーに向かって一直線に飛んでいく。
ルティナとしては、ビグーの目を射抜く事が出来れば最高だと思い矢を放ったのだが、それが出来なくとも、一射目のようにビグーの速度を落とせればいい、という思惑もあった。
そうすればその間にフィノが追いついてくれるはずだからだ。
後はフィノに任せておけばいい。
しかし、ビグーは今度はルティナの矢を避けなかった。
走ったまま速度は落とさず、巨大な口をさらに大きく広げ、ルティナの放った矢を二本とも飲み込んでしまったのだ。
いや、正確には飲み込んだ訳ではない。
口の中にびっしり生えた鋭い歯で飛んできた矢を受けて、それからそれを噛み砕いた、という所だろうか。
恐らく一射目の矢を見て、それが出来ると判断したのだろう。
どうやら、ルティナの矢によるダメージは無いと見てよさそうだ。
ビグーは大きな口でユウとアーダを一気に飲み込む勢いで二人の前に迫っている。
「ユウ様!」
「ユウ!」
ルティナとフィノが声を上げるが、残念ながら二人ともビグーの次の攻撃には微妙に間に合いそうもない。
ユウは手綱を搾って何とか馬の向きを変える所まではしたのだが、逃げ切る事は難しそうな上に、馬が横を向いた事により、かえってユウとアーダに直接ビグーの攻撃が当たりやすくなっている。
だが、それはユウが意図した事でもあった。
アーダの持っているラビアローナの槍を使い、どこでもいいからビグーの体を突いてやれば、それが仮に命中しなかったとしても、ビグーが僅かでも怯めば時間が出来る、と言う算段だ。
ビグーはもう、幾重にも重なるびっしり生えた鋭い歯の一本一本までがはっきりわかるくらい近くまで来ている。
ユウは震える身体を無理やり動かし、アーダの手の中のラビアローナの槍に手をかけた。
が、その手がアーダに跳ね除けられる。
もうほとんど時間はない。
焦ったユウは今度は少し力を込めて手を伸ばした。
「アーダ、今はそんな事している場合じゃ…」
しかし、そんなユウの言葉もアーダの耳には届いていないように見える。
アーダは今までに見たこともない鋭い目つきで迫り来るビグーを睨みつけていた。
そしてその視線はそのままに、自分の手の上にかかったユウの手を勢いよく払いのけると、そのままの流れで、握っていたラビアローナの槍をビグーの口の中目がけて力まかせに突き出した。
ビグーに槍を避ける気配はない。
実は、ビグーの口の中には喉の奥まで歯があって、しかもその奥に食道をガードする鎧のような突起がある為、外から見える範囲に槍の刺さる隙間などほとんどなかった。
それがわかっているので、ビグーは口を大きく開けても平気でいられるのだ。
しかし、喉の奥の一番深い場所には、突起ではカバーしきれない隙間がほんの少しだけ存在していた。
その僅かな隙間に、アーダは驚くほど正確に槍を突き刺した。
大きな衝撃が、槍を通じてアーダの身体に跳ね返ってくる。
ユウはそんなアーダを支え、アーダと一緒にその衝撃を耐えた。
それが功を奏したのか、ラビアローナの槍はビグーの喉を貫き、頭の後ろへと突き抜けた。
それによってビグーは、一番外側の歯がユウとアーダの目の前まで来た所で力尽き、そこで力なく崩れ落ちた。




