声の残滓
その夜はそこで一夜を明かし、翌朝、ユウはアーダを含む三人の女性と共に、街道を街とは反対方向へと向かって歩き出した。
これは、ただ単にアーダに配慮して街に行く事を止めた為ではない。
夜中にそちらの方向から例の声が聞こえた…ような気がしたからだ。
それはユウがすっかり眠っている時の事で、その声は小さく、しかもすぐにしなくなってしまった為、その時点では良くわからなかったのだが、翌朝起きてから改めて声を探ってみると、微かに声の残滓ともいえる痕跡を見つけることができたのだ。
それが街とは反対の方向にあった為、その方向に行く事にしたという訳だ。
ちなみにこの辺の事情はアーダにも伝えてある。
誰かに抱きしめられた状態なら、アーダはほぼ従順でいてくれるし、話もきちんと聞いてくれる。しっかり理解もできているようなので、アーダは意外に賢い子だといえるのかもしれない。
何となく辺りを探りながら、街道を半日ほど歩くと、山間の小さな村に差し掛かった。
その村の一軒しかない宿で、昼食だけ御馳走になる事にする。
そこは別に特別な宿ではなく、むしろかなり粗末な造りの宿で、出て来た昼食も特別なモノではなかったのだが、アーダはそれをもの凄く喜んだ。
「凄い。…これ、喰ってもいいのか?」
アーダが凄いと言っている食事は、実はそれほど豪華なものではない。
干し肉のスライスを焼いたものに、野菜のスープ、それに小さめのパンが二個ついているだけの質素なものだ。
それでも、温かい食事にありつける事自体が嬉しいようで、アーダの表情は崩れている。
「欲しかったら俺のも食べていいよ」
「そうかっ。…いや、あたしの分はこれだから、これだけでいい」
ユウが自分の分を勧めると、アーダは初めそれに手を伸ばそうとし、それから慌ててその手を引っ込めた。
アーダもユウの事は一応自分の主だと認めている為、主のものに手を出してはいけないと思い直した様なのだ。
すると、それを見ていたフィノが、自分の皿を押し出した。
「遠慮しなくったっていいわ。ユウのを貰うのが気が引けるなら私の分をあげる。私はルティから少し分けてもらうから平気よ。ねっ、ルティ、いいでしょ」
そして言ってからルティナに同意を求める。
ルティナは少し苦笑いを浮かべながらも頷いた。
「はい。いいですよ。アーダちゃんにはたくさん食べて大きくなって貰いたいですし」
アーダはルティナが頷くのを見て、少し申し訳なさそうにしながらも、しっかりフィノの押し出したお皿を自分の元へと引き寄せている。
そして、フィノとルティナを上目づかいに見つめた後、小さく言った。
「…じゃあ、…もらおうかな」
アーダの食欲はなかなかのモノだった。アーダの前のお皿が見る見るきれいにされていく。
そんなアーダの食べっぷりを微笑ましく見つめながら、ルティナはユウに聞いてみた。
「ところで、ユウ様、あの後声は聞こえないのですか?」
「…うん。ダメみたい。ただ、ここよりも北の方向から聞こえてきたのは確かだから、ここからは北に向かって行くしかないかなって思ってる」
ユウはそちらの方向を向き、何かを探る様に少し黙った。
しかし、その気配は刻々と小さくなっていて、もうほとんどわからなくなっている。
とはいえ、今言った通り、およそ北の方角から声がした事は間違いない。
なので、やはりここから先は北に向かって進むしかないのだろう。
だが、ルティナはその事について何か懸念があるようだった。ユウの顔を窺いながら聞いてくる。
「ユウ様。確か、この先には大きな湖があったと思うんですけど…、どうします?」
ルティナの記憶ではこの村の北には大きな湖があって、街道はそこで西に向かってほぼ直角に折れているはずだった。
そして、湖沿いに湖の西にある大きな街まで続いた後、湖から離れてさらに西に向かって伸びていたと記憶している。
「って言う事は、そこから先は、真っ直ぐ北へは向かえないっていう事?」
ユウはルティナに聞き返した。だが、その口調からはさほど慌てている様子はうかがえない。
ルティナは何か思い出そうとするように、少し考えてから答えた。
「湖の北には大きな街はありませんから、街まで行ったとしても北に行く船などは無いと思います。ですから、湖を渡って北へ行く気ならば、自分で船を手配するしかないでしょう。ただ、この先の集落は私も覚えていない程の小さな集落なので、それに見合うような船は無いかもしれません。かといって、陸路で行けば、かなり大回りする事になりますので、だいぶ時間が掛かってしまう事になるかと思います」
ルティナがそこまで言って一息つくと、ユウは小さく頷いた。
「ありがとう、ルティナ。ルティナのおかげでこの先の状況は大体わかったよ。でもまあ、とにかく行ってみようよ。行けばわかる事だってあるかもしれないし」
ユウはそれほど焦ってはいなかった。
今までもこのような事は何度もあったからだ。
ユウは、この声の主に関しては、徐々にでも近づいていければいい、と思う様になっていた。
なぜなら、仮にこの声の主が命の危険を感じて助けを求めていたのだとすると、もうとっくにその声は聞こえなくなっていてもおかしく無い様に思えるからだ。
声の主がどういう状況でいるのかは気になる所だが、今すぐ声の主の命にかかわる事がないのであれば、声が聞こえるごとに少しづつでも近づいて行けば、いずれはその声の主の元へとたどり着くはず。そんな風に考えて、焦らないことにしたのだ。
もし何か切迫した事態に陥った時には、声の感じもそれなりに切迫した聞こえ方になる…に違いない。
気が付くと、アーダはいつの間にかあっさり二人前の食事を平らげていて、フィノとルティナもすっかり食事を終えている。
それに気づいたユウは、食べ残しておいたパンを一つアーダに軽く投げ渡してから、ゆっくりと席を立った。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
そして、そう言ってからもう一度北の方角を意識して探ってみたのだが、もう声の残滓とも言うべき名残の気配はほとんど感じとれなくなっていた。




