島へ
蜘蛛豹の着地はある意味見事なものだった。
周りの木や岩に糸を放ち、それらに掴まる事で落下の勢いを落として、ほとんど音もなくゆっくりと帰還したのだ。
『ほら見ろ、やっぱり無理だったじゃねえか』
言いつつ、バールリッツが近づいて行く。
どういう意図かはわからないが、バールリッツは念声をワザとユウにも聞こえるようにしているらしい。
一方、蜘蛛豹の方もバールリッツに近づいてくる。
その目つきからして、まだ諦めていないようだ。
『ふん、何度やっても同じ事。あれに行くのは諦めな』
しかし、バールリッツはもうやるつもりはなさそうだ。
確かに、浮遊島は高度が落ちてきている訳ではないので、何度やっても同じ結果になる可能性は高いといえる。
むしろ何度もやる事によって、疲れが溜まって余計に跳べなくなる事の方が懸念されるくらいだ。
「近いように見えて、意外に遠くにあるのだな」
ユウが思わず漏らしたその言葉を、フィノが聞きつけ反応する。
「そうかな。そんなに遠い様には見えないんだけどなあ」
フィノは少しだけ首を傾げながら、ちらちらと上を見上げている。
ユウはそんなフィノに軽く言い返した。
「バールリッツと蜘蛛豹が組んでも届かなかったんだから、たぶんもう無理でしょう。蜘蛛豹なんて糸まで射出したのに届かなかったんだよ」
「それは、蜘蛛豹が下手なのか、糸を出す力が弱かったからなんじゃないの? 私なら届くような気がするけど」
フィノの力が強い事はユウも充分わかっているつもりだが、バールリッツと蜘蛛豹が組んでも出来なかった事を、フィノ一人で出来るようには思えない。
と、突然、フィノが背中の剣を抜いて前に出た。
ユウがそう思っている事を察したらしい。
「ちょ、ちょっと待ってよフィノ、まさかそれを投げるつもりじゃないよね」
「ユウは届かないと思っているのでしょう。だったら落ちて来るのだから、構わないじゃない」
フィノは何故かムキになっている。
しかし、その剣はカノンの地に入るのに必要と思われる大事なものだ。
「いや、万が一島に届いたら大変な事になるじゃないか。簡単に取に行く訳にはいかないんだぞ」
「万が一って、やっぱりユウは私の事を信じていないんじゃない」
「そんな事はないって…」
二人が揉めているのを見て、バールリッツと蜘蛛豹が一緒に近づいて来る。
『何をやっているんだ、ユウ』
「ごめん、何でもないんだ」
だが、そんなやり取りをしている間にもフィノは剣を振っている。
すっかり投げる気満々の様相だ。
その様子を見た蜘蛛豹は、フィノが自分に向かって斬りかかって来ると思ったのか、いつでも応戦できるようにと身構えた。
以前、戦った時の事を思い出したのかもしれない。
あの時は蜘蛛豹の方が襲って来た訳なので、今回、フィノに斬り掛られても仕方がないとも言えなくもないのだが、今のフィノにはそんな考えは全くない。
というか、蜘蛛豹が身構えている事さえ気づいていないように見える。
ユウが身振りで落ち着くようにと諭しているのも全く視界に入っていない。
そしてその場で、フィノは迷う事無く巨大な剣を思いっきり振り上げると、その剣を振り下ろす時の勢いにフィノの力とさらには遠心力までをも乗せて、思いっきり上へと放り投げた。
咄嗟の出来事で、ユウはそれに反応する事ができなかった。
が、それに反応したモノがいた。
蜘蛛豹だ。
蜘蛛豹はフィノが攻撃を仕掛けてくると勘違いして、フィノが剣を投じた瞬間に糸を射出したのだ。
そしてその糸は見事にフィノの剣に命中した。
しかし、剣は蜘蛛豹の予想に反して、蜘蛛豹の方には向かって来ずに、真っ直ぐ真上に飛んで行く。
その先にあるのは浮遊島だ。
しかし、そこには浮遊島がある事はあるのだが、この間にも島はずっと移動していた為、島の中心の最も地面に近い部分はもうすでに通り過ぎている。
それはつまり、更に高い所にまで飛ばさないと、届かないという事に他ならない。
普通ならば到底届かないと思われるその投擲は、しかし見事に成功した。
フィノの剣は島の縁の部分に見事に突き刺さっている。
「ほら、凄いでしょ、私」
「す、すごい。けど、どうするんだよ、あれ。大事な物なんだぞ」
この時、フィノはようやくユウの言葉を理解したようだった。
慌てた様子で上を見上げ、すぐに対策を思案する。
「そうか…。なら、あの剣に何か物をぶつけて落としてしまおう」
「そんなにうまい事行く訳がないだろ」
「やってみなければわからないじゃない」
揉め始める二人を見て、事態を察したバールリッツが緊迫した声色で言ってくる。
『ユウ、あの剣が大事なものなのならば、急いでクリアムに取りつくがいい。今、ヤツの糸はあの剣に付いている。ヤツは糸を辿ってあそこまでいくつもりでいる様だ。だから、ヤツと一緒に行けばきっと剣も回収できる』
一瞬、バールリッツが何を言っているのかわからなかったユウだったが、蜘蛛豹の姿を見てすぐに理解し判断した。
蜘蛛豹が、まるで凧揚げをしている子供の様に、必死に地面にしがみついていたからだ。
「わかった。そうさせてもらうよ」
あの剣が無ければ、カノンへ行ってもまたどこかへ飛ばされてしまう可能性が高い訳なので、ここはバールリッツの提案に乗るべきなのだろう。
そう判断し、蜘蛛豹の方へと歩き出したユウに更にバールリッツの念声が届いてくる。
『うむ。ならば俺達が送るのはここまでだ。一旦あそこに登ったら、クリアムの力を借りなければ降りられないだろうからな。どうせ目的地は同じなのだ、こうなった以上、お前たちもクリアムと一緒に行くしかあるまい』
「え?」
剣を取りに行く事は行くが、その後すぐに戻ってくるつもりでいたユウは、バールリッツのこの言葉に驚いた。
しかしすぐにまた考えを巡らせ、バールリッツの提案に同意する事にする。
良く考えれば、当たり前だ。
蜘蛛豹はあの島に行きたがっていた訳なので、剣を取り戻したからと言って、すぐに降りてくる訳がない。
だとすれば、もうそのまま行ってしまうしかないだろう。
しかし、まだ問題は残っている。
「わかったよ。けど、それなら俺達、四人一緒でないとダメなんだけど、大丈夫かな」
蜘蛛豹はバールリッツやラビアローナのように大きくない為、四人で乗ると潰れてしまいそうだ。
しかし、だからと言って誰一人置いて行く訳にはいかない。
バールリッツが早口で言ってくる。
『乗り心地は保証できないが、最悪、ヤツの躰のどこかを掴んでいれば島には行く事が出来るはずだ。クリアムもそれでいいと言っている事だしな。ああ、それとクリアムには、フィノの剣を利用させてもらう見返りに、お前達に従う様言い聞かせておいた。ヤツは言葉を発する事は出来ないが、俺達と同様お前達が何を言っているのはわかる。お前達のおかげであの島に行けることをありがたくも思っている様だから、うまく使ってやってくれ』
「わ、わかった。ありがとう」
『急いでくれ、もうそろそろ糸の長さが限界なのだそうだ。これ以上離れたら間に合わなくなる』
確かに、もう迷っている暇はない。
ユウはすぐに三人に指示を飛ばした。
「フィノ、ルティナ、アーダ、急いであの蜘蛛豹の躰に掴まって。あの島まで連れて行ってもらう事になったから」
三人は、ユウの切羽詰まった様子を感じたのか、碌な説明もなかったのにもかかわらず、ユウの言葉に素直に従った。
そしてユウを含めた四人が蜘蛛豹に乗る、というよりかは掴まると、蜘蛛豹はもう一本の糸で四人を自分の躰に括り付けて離れないようにしてから、フィノの剣に付けた方の糸を手繰って浮き上がった。
そしてそのまま糸を巻き上げるようにして真っ直ぐ上へと登って行く。
「バールリッツ、ラビアローナ、ここまで連れて来てくれてありがとう。気を付けて帰ってね」
『お前達の方こそ気を付けて行け。あの山の向こうには面倒な奴が多いからな』
そんな挨拶を交わしている間にもバールリッツとラビアローナの姿は見る見る小さくなっていっている。
反対に頭上に見える浮遊島はどんどん大きくなってきていた。




