来訪者
その夜は岩山に入ってすぐの所で一泊し、翌朝、バールリッツは今度は岩山越えのルートに入った。
今日のユウの後ろはアーダの番だ。
長い槍はユウの盾と同様バールリッツの躰に括り付けている。
ラビアローナの槍は長さがあるので、ユウとアーダの足の下、バールリッツの馬体に沿って取り付けた格好だ。
アーダも昨日のルティナ同様、ユウに身体を密着させてきている。
メタモルフォーゼ後のアーダの身体は十分成長したものなので、ユウの背中にはルティナと同等の感触があるのだが、ユウにはそれを感じる余裕が無くなっていた。
ルティナがユウに身体を預けて来たのに対し、アーダはユウのお腹に回した両手を、自分の方へと引っ張る事で身体を密着させているからだ。
「アーダ、もう少し体重を前に掛けた方が良くないか? これじゃあ不安定で、いつ落ちるかわからないような気がするのだけれど」
すると、アーダの少し不機嫌そうな声が返ってくる。
「何言ってんだよ、ユウ。今日はこの山を超えて行くのだから、この方が安定するだろ」
「いや、不安定だろ。重心が高くなるんだから」
確かに昨日よりは前傾している必要は無いのかもしれないが、それでも、完全に起こされる必要はないような気がする。
と言うよりも、これではまるでアーダに羽交い絞めにされているかのようで、そのビジュアルが恥かしい。
「あたしが重心を取るようにするから、安心してあたしに身を任せてくれればいい」
「いや。だから、それだと格好悪いから」
ユウがクレームを付けてもアーダはまともに聞いてくれない。
それどころか、何故かバールリッツまでもがアーダに同調してくる。
『アーダとやらの言う通りだ。悪いがこれから先は足元の状況に合わせてお前達にも体重移動をしてもらわなければならないかもしれない。アーダの足は俺の背中をしっかり抑え込んでいて安定している様だから、身を任せておけば楽だと思うぞ』
バールリッツはアーダの安定感を躰で感じ取っている様なのだ。
そんな風に言われてしまっては、反論するのが難しくなる。
ユウは諦めてアーダに身体を預ける事にした。
折角の背中の感触も、今は母親に抱かれた子供の様な格好の所為で、なんだかあまり嬉しくない。
それでも、バールリッツの言う通り、アーダは確かに安定している様で、バールリッツの躰が大きく揺れるような時であっても、ユウの身体がバールリッツの背中の上から放り出される様な事は無かった。
そんな風にして岩山を登り、岩山と岩山の間の峠のような場所を抜けて行くと、前方に、高さのある崖の上に鋭い針のびっしり並んだ東西に走る壁のような山々が見えてくるようになる。
神域とこちら側とを分ける巨大な隔壁だ。
と同時に気になるのは、その山の手前側に浮かんで見える浮遊島の存在だ。
山向こうで見た時よりも随分と近い位置にある事に驚かされるが、近くで見ると、思った程大きくない事もわかってくる。
が、確かに、島は岩山からはそれなりの距離を保って飛んでいる様で、山頂から飛び降りれば行き付く事が出来るなどと思った事は、考えが浅はかだったと言わざるを得ない。
『ここからは下りになる。なるべくゆっくり行くつもりだが、振り落とされない様注意しておいてくれ』
バールリッツが一言言って下りに入る。
「アーダ、下りに入るとちょっと揺れるみたいだ。なんなら…」
ユウがそれをアーダに伝えようとすると、アーダはそれをくい気味に遮って来た。
「準備ならもう出来ているから、心配ない」
確かに、アーダの身体は安定している。
進行方向もしっかり確認している様だし、心配する必要はないのだろう。
少しして、バールリッツが断ってきた。
『お前の言っていた入口はこの山を降りた後、西に向かえば着くはずだ。だが、この山の西側には少し大きな谷がある。だから、ここは東に迂回して行こうと思う』
「少しくらい遠回りでも安全に行ける方がいいと思うし、無理をしてショートカットをする必要もないだろうから、それでいいよ」
そもそも最初から最短距離を行くつもりではなかった訳だし、その方が結果的に早く着く可能性が高い。
その事はバールリッツも良くわかっているはずなので、バールリッツも確認の為に言っただけなのだろう。
目的地が近くなった事で、ユウが焦っているのではないかと思って言って来たのかもしれないが…。
下りの道行は登りよりも順調だった。
確かに、たまに揺れが大きくなる事もある事はあるのだが、振り落とされるほどではない。
アーダがサポートしてくれている事が大きかったのかもしれないが、危ない思いをするような事もなかった。
しばらくして麓近くまで降りてくると、そこから先はなだらかな斜面が続いていた。
谷も無事に迂回出来た様だし、壁の所へ行くまでにはまだ少し距離はあるものの、壁に突き当たった所で西に向かえば、とりあえずの目的地であるゴフジールの小屋へは行き着く事が出来そうだ。
と、思ったその時、急に強い風が吹き始めた。
見上げると、浮遊島がすぐ近くまで来ている。
しかも、更にユウ達の方へと向かってきているようだ。
高度もだいぶ下がっている。
その所為で、周囲の空気が掻きまわされ、風が巻き起こっているらしい。
『これは凄い。浮遊島の真下に入れそうだ。こんな事は…』
バールリッツは、何故か言いかけていた感嘆の言葉を突然止めた。
不思議に思ったユウが、上から視線を戻すと、バールリッツはもう上を見上げていなかった。
ただ真っ直ぐ正面を見つめている。
「どうかしたのか?」
ユウが問いかけてもバールリッツは反応しない。
なので、身を乗り出す様にして見てみると、少し先に四本足で立つ獣の姿があるのがわかる。
その獣にはユウも見覚えがあった。
以前、この近くに来た時に遭遇した事のある獣だったからだ。
そこにいたのは、赤と黒のまだら模様が印象的な豹だった。




